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PESTって?トランプ政権下で精神不安を訴える米国民の急増

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
トランプ大統領は就任直後にオバマケア(医療保険制度)見直しの大統領令に署名した(写真:ロイター/アフロ)

PTSDならぬPEST(選挙後ストレス障害)

強いショックや精神的ストレスが、ダメージを与えるPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉を聞いたことのある人は多いと思う。似たような症状で、最近、米国で人々の間にじわじわ広がっているのはPEST(Post-Election Stress Disorder:選挙後ストレス障害)だ。米国では大統領選挙があるたびに、保守とリベラルの溝が深まった感があるが、トランプ大統領を誕生させた昨年の大統領選挙は、その溝を底なし沼のようにしてしまったかのうようだ。

6割近くがストレスを受ける政治環境

米国心理学会(APA)が大統領就任式後に1019人の成人を対象に行ったオンライン調査によると、57%が「米国の現在の政治環境がストレスの大きな原因」あるいは「比較的大きな原因」と回答したとう。また40%の人は、同様にトランプ氏の当選がストレスの原因であると回答している。

医療系の非営利団体カイザーファミリー財団のニュース記事では、シカゴ郊外の精神分析医は「28年間の経験で、こんなにストレスが高まっているのを見たことがない。就任式後から精神不安の訴えが急増しているのです」と話している。20代から80代まで患者のほとんどは、セラピーで政治の話を持ち出すという。

政治的には中道派というカリフォルニア在住の35歳の男性も、トランプ大統領の就任後、今後の政治状況に対する精神不安が強くなり、異常に怒りやすくなってしまったと言う。ニュース好きだったが、今ではテレビやソーシャルメディアを見ると不安が強まってしまう。かといって、ニュースを見なければ状況が分からず、それも不安の要因になるというジレンマに苦しんでいる。(Kaiser Health News、A New Diagnosis: “Post-Election Stress Disorder”)

ウェブ上のコメント中傷合戦

トランプ政権発足後、公約実現に向けて次々と繰り出される大統領令と、それに対する混乱と抗議が連日のように続き、正直言って、米国在住の筆者も朝のニュースを見るのが憂鬱である。もちろん、トランプ大統領の熱狂的支持者は、こうした変化にスリルと希望を感じていて、それがまた問題の種になっているのだ。

トランプ支持者にとってトランプ氏の魅力は、保身や既得権ばかり考える政治家とは違い、「思った通りを誰にも気兼ねすることなく口に出し、行動を起こす」ことだ。トランプ大統領の言動が物議を醸すたびに、ウェブ上のニュース記事は賛成派と反対派のコメントや中傷合戦で炎上する。

これまでは旅先の様子を載せたり、家族や友人とのやりとりを楽しむ場だったフェイスブックは、政治対立の過激なコメントに埋め尽くされるようになった。筆者を含め、今回の選挙で異なる政治観を持つ友人や家族と疎遠になったという人は少なくないはずだ。

オバマケア廃止で暗黒の時代へ逆もどり?

さらに筆者のようながんサバイバーは、トランプ政権発足以来、生きた心地がしない日々を送っている。トランプ氏の公約の一つは、オバマケアとして知られる医療保険改革の廃止と新たな仕組みづくりである。オバマケア以前、アメリカの医療保険会社は商業的な利益確保のために、がんのような既往歴があると個人では加入できる医療保険がなかった。私ががんの診断を受けた時は、雇用先を通して団体医療保険に入っていたのが不幸中の幸いだった。

しかしその時でさえ、保険給付額には一生涯に受け取れる上限額が設定されていた。米国の医療費は異常に高い。将来再発したら、あるいは事故にでもあったら途中で保険給付額を使いきってしまうのではないか? 健康で過ごせたとしても、万が一雇用先を失えば、医療保険も失ってしまい、個人ではもう医療保険に入れない―という息がつまるような状況だった。オバマ大統領の医療保険改革で、「既往症のある人の保険加入差別禁止」、「生涯給付額の上限設定禁止」が決まった時の安心感は、今も忘れない。

そして再び、その安心感はふっとばされてしまった。トランプ大統領はもちろんのこと、共和党が多数派の連邦議会も、オバマケアの廃止に意欲的である。トランプ大統領は「もっとずっと安く、いい制度にする」というばかりで、具体的な新制度への道筋さえ示されていない。

がんの予防検診も後退か?

オバマケアでは予防医療を重視し、年1回の健康診断や予防接種、乳がん検診、50歳での大腸内視鏡などは、自己負担なしで医療保険がすべてカバーすることを保険会社に義務付けている。トランプ政権および保守派は、そうした画一的な義務付けが保険掛金上昇の原因だと主張している。どのような内容になるかわからないが、新たな「トランプケア」で、消費者が自分の懐具合に合わせて検診や医療サービスを受ける時代に戻ったら、予防医療がおろそかになる恐れもある。

2月28日には、トランプ大統領が連邦議会に対して基本方針について演説することになっている。オバマケアの廃止はトランプ政権の緊急課題の一つであり、どのような方針が示されるのかと考えただけでも不安な気持ちになる。私のPEST(選挙後ストレス障害)は、残念ながらまだまだ続きそうだ。

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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