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死亡事故調査の資料を京都市教委と第三者委が全廃棄 見識が問われる事態に

加藤順子ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士
京都市教委は「調査委が決定したから廃棄することが適切である」と遺族に回答

2年半前の2012年7月、京都市立小学校のプールで発生した小1女児溺死事故。事故を検証し、報告書を作成した第三者調査委員会(委員長 安保千秋氏、京都弁護士会)と事務局を務めた京都市教育委員会が、解散と同時に、1年かけて収集した全ての資料を全て廃棄していたことが、先月遺族の調べでわかりました。なかには、のべ33時間に及ぶ再現検証の映像や、膨大な聴き取りデータや委員たちがやりとりしていたメールが含まれています。

首尾よく調査委が立ち上がったはずが…

調査委は、調査委員7人ののうち5人が遺族による推薦で立ち上がりました。設置にあたっては、市教委も協力的で、遺族の要望が多く聞き入れられてスタートしたはずの検証でした。特に再現検証は、事故当時現場にいた子どもらも参加して行うなど画期的な試みとして評判になりました。

ところが、検証中盤から調査委と遺族との関係がうまくいかなくなっていったといいます。報告書案ができた段階には、遺族が論証の不備をなんども指摘し、再現実験の数値計算などを追加で求めましたが、指摘は本格的に検討されることはありませんでした。調査委は、最終報告書を市に提出したのちに解散。調査報告に納得がいかない遺族が、真相究明を求めて、再検証や独自調査を模索していた矢先に発覚したのが、今回の調査資料の廃棄でした。

市教委や調査委員が説明する調査資料廃棄の理屈と経緯

市教委によると、調査資料の廃棄は、調査委解散の直前に調査委員の合意で行われ、事務局もその決定に従ったということです。市教委の説明によると、現状では「資料の探索と回収は不可能」。市教委は、「高度にプライバシーな情報の漏えいを避けるため」「(報告書作成)目的外使用はできないため」「報告書が全て。組織的に文書を管理しておらず公文書にもあたらないため、廃棄は特に問題ない」などと、廃棄の正当性を主張しています。

また、委員長を務めた安保弁護士は筆者の取材に対し、「調査委は解散したので答えられない。見解は全て、遺族からの質問書に対する市教委の回答文書に盛り込まれている」と繰り返しました。

そのほかの委員らも筆者の取材に対し、「せっかく集めた資料を廃棄するのはもったいないと思ったが、委員就任時に機密保持契約を結んだこともあり同意した」「調査資料があってもなくても報告書は変わらないが、調査資料の扱いについて遺族のいる場で話すべきだったかもしれない」などと、廃棄を決めた経緯を振り返っています。

他の調査委は、調査後の資料の扱いをどうしているか?

学校に限らず、痛ましい事故が起きた場合に公的な調査委や検証委が設置されますが、それらも同様の観点で調査資料を全て廃棄しているのでしょうか?

2011年に大津市立中学校で起きたいじめ自殺の事案では、第三者調査委員会(委員長 横山巌弁護士)が立ち上がりました。京都市の場合と同じように、条例によって調査委は正式に付属機関と位置づけられ、委嘱された委員は、特別公務員として調査・検証業務に当たりました。

調査委が使用した資料は、調査委解散後、市の文書取り扱い規定に基づいて事務局を担当した市長部局が保管しました。今は、その後に設置されたいじめ対策推進室が、資料を引き継いで保管しています。同推進室によると、それらの多くは市教委や捜査機関にあるものの写しであり、原資料が失われることはないものの、大事な調査資料として残しているとのことでした。

同年に起きた、東日本大震災で児童・教職員84人が亡くなった石巻市立大川小学校の津波被災事故でも、2014年2月までの1年間、検証委員会(委員長 室崎益輝神戸大名誉教授)が事故検証を行いました。この時は、外部のコンサルタント会社が事務局を務めたこともあり、検証終盤になって、検証資料が行政の関与が及ばない扱いになることを恐れた遺族が、ヒアリングやアンケートも含む調査・検証資料の保存を強く要請しました。事務局も「しかるべき預け先」を探すことを約束しました。

他省庁の調査・検証組織にも聞いてみました。

国土交通省には、鉄道、航空機、船舶の事故の調査を担当する運輸安全委員会があります。こちらでは、調査資料は運輸安全委員会が文書として保管しているとのことでした。国交省によると、委員が業務で受発信したメールの削除をすべきという考えもないそうです。

消費者庁の消費者安全調査委員会も、同様です。

厚労省では、医療事故や保育事故の調査を取り扱います。医療事故については、今まさに、10月1日の改正医療法の施行に基づく公式な医療事故調査制度開始を目指し、指針作り等の準備が進んでいる段階です。新制度では、医療機関の調査に当事者が納得しない場合に、大臣指定の第三者機関が調査・検証、説明を行います。担当する厚労省医政局総務課によると、カルテと違って、第三者機関が集めた事故情報を調査終了後にどのように扱うかについては明確な取り決めはまだないとのことですが、調査資料が全て捨てられていいという考え方はないだろう、とのことでした。保育事故についても、ある調査委員経験者は「調査の原資料を全て廃棄するという方針は聞いたことがない」と話しています。

「ソースがなければ報告書の意味も価値もがない」「調査委の落ち度」と専門家ら

学校事件・事故に詳しい専門家や遺族らも、調査資料を全て廃棄する事例が発生したことにみな驚いています。

学校事件・事故被害者弁護団の共同代表の津田玄児弁護士(東京弁護士会)は、「原資料がなければ報告書の意味も価値もない」とし、学校安全に詳しい研究者の一人も、「どこかで資料を残す話し合いをしなかったことは、調査委の落ち度ではないか」と話しました。

学校や保育事故に詳しく、遺族の推薦で検証委員を務めることも多い教育評論家の武田さち子さんも、「廃棄は情報開示請求対策ではないか。自治体の検証に遺族が納得せず、上位機関が再検証している例もあるので残すべきだった。また、遺族が疑念を呈しているなかで同意なしに廃棄すれば、都合の悪いことを隠蔽したと取られても仕方がない」と話しました。

学校でのいじめ自殺の遺族で、今は、遺族支援や、学校事件事故の調査委員会に関する問題提起を続けるNPO法人ジェントルハートプロジェクト理事の小森美登里さんは、「ありえない。本当にそんなことがあるのか」と、資料廃棄に驚きを隠せない様子でした。さらに、「もし本当に廃棄されたのであれば、今後立ち上がる他の調査委員会でも、調査資料や部署の取り扱いは必ず決めていかなければ」と、他の事例に影響が及ぶことを心配しています。

武田さんによると、実際に、2012年10月に東広島市立中の中学2年男子が自死した事件の調査委員会(委員長 吉中信人広島大大学院教授)で、京都市の調査委と似た様なことが起きていたそうです。調査委は、原因究明のために行ったアンケートについて、守秘義務を理由に公文書化させないために、調査委の解散後は私人である委員長が保管することを決定。遺族側の激しい抗議を受けて、市は保管方針を見直す事態になりました。

東広島市の事例も、今回の京都市の事例も、調査資料を公文書化させないための理屈はよく似ています。過去に起きていた調査資料の取り扱いについての問題が広く共有されず、資料廃棄が起きていたことがわかりました。

遺族、20日に文科省申し入れ

今回の調査委と京都市教委による資料廃棄について、公文書や情報開示に詳しいNPO法人クリアリングハウスの三木由希子理事長は、次のように話しています。

「重大な問題だ。報告書の検証可能性を残しておかないと、検証や調査はやった意味がない。独立性を持たせようとした結果廃棄されてしまったのかもしれないが、検証委は公的な機関として体系的な記録の管理や終わった後の資料保存をしていかなければならない。付属機関としてやったことであれば、委員や市教委だけでなく、京都市や京都市長の責任でもある」

事故で亡くなった浅田羽菜さんの母親は、「資料廃棄には、憤りを通り越して、呆れている」。

特に調査実施から間もない時期に、専門家や教育行政が積極的に原資料を廃棄した経緯を重く見ています。学校事故対応の実態を調査・研究する文科省の有識者会議で、資料の保管のあり方について議論を行うよう、20日夕方に文部科学省に申し入れを行う予定です。

(追記 大津市の調査委の委員長名と誤字を修正しました)

ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士

近年は、引き出し屋問題を取材。その他、学校安全、災害・防災、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運べず、スタジオから伝えるばかりだった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

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