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【震災裁判傍聴記】大川小元校長「想定しなかったが、マニュアルに津波の文言入れた」

加藤順子ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士
2011年4月5日の大川小付近

2011(平成23)年3月の東日本大震災で、学校管理下で児童74人が教諭らと共に死亡または行方不明となった宮城県石巻市大川小学校の津波被災事故をめぐり、児童遺族19家族が市と県に損害賠償を求めている裁判は8日、仙台地裁(高宮健二裁判長)で証人尋問が始まった。震災当時の同校の元校長と、震災前に教頭として同校に赴任した際に災害対応マニュアルに初めて「津波」の文言を盛り込み、事故後の調査にもかかわった前校長が、証言台に立った。

震災当時の柏葉照幸元校長は、地震発生時に県内の内陸部に出かけていて助かった立場であることから、事前の危機管理体制と、当時までに幹部教員が認識していた津波の予見性について、原告側からの質問が続いた。

柏葉元校長は、平成21年度に同校に着任した際、教頭(津波で死亡)が担当した危機管理マニュアルを改訂を承認している。

教頭が策定した改訂版は、それまでの同校のマニュアルよりもさらに津波時が想定された内容となり、タイトルに「地震(津波)発生時の危機管理マニュアル」、学校に災害対策本部が設置された場合の本部(校長・教頭)の役割として、情報収集に「(津波関係も)」、また、安否確認や避難誘導班の役割に「津波の発生の有無を確認し、2次避難場所へ移動する」と、3ヶ所で「津波」に言及している。

ところが、校舎すぐそばを流れる北上川堤防の上まで1〜2メートルの津波が浸水することが予測されていた津波ハザードマップについて聞かれた柏葉元校長は、「知りませんでした」、「別の区域のほうを見ていたような気がします」と答えた。

震災当時、大川小の校舎は津波時の避難先になっていた。柏葉元校長は証言で、「大川小の津波が来ることは想定していなかった」と繰り返したが、「大川小に津波が来ないと思っていたのに、なぜマニュアルに津波の文言を入れたのか?」と遺族側の代理人に問われると、「来るとは思っていなかったので、文言を入れるくらいはいいと思っていた」とあやふやな危機管理意識をあらわにした。

マニュアルには、津波時等の校庭からの二次避難先に「近隣の空き地・公園等」とだけ表記があり、元校長らは具体的な地名は記載されていないが、隣接施設を想定していたと主張している。

仮に、校庭から出てマニュアル通りに避難していたとすれば、裏山に近くなるため、「短時間で逃げられたのではないか?」という問いには、「なんとも言えない」と答えた。

津波の可能性については、直前の2日前の2011年3月9日に起きた地震で津波注意報が出た際に、教頭と教務主任と3人の間でやりとりを交わしていた。「万が一に来たらの話」として、津波襲来時には、学校の裏山にのぼるルートに言及したという。

柏葉元校長の尋問は、全般に、「わかりません」「なんとも言えません」「よく覚えていない」という回答が多かった。

一方、事故後の事後対応に関わり、震災から1年後に同校に赴任した千葉照彦前校長に対しては、主に、震災が起きるまでに教育行政ではどのような危機管理体制が求められていたかの観点から尋問が行われた。

千葉前校長は、かつて同校の教頭だった平成18年11月に、危機管理マニュアルの改訂に着手した。

改訂に取りかかった理由は、宮城県沖地震の再来に対する危機意識が高まっていたためで、それ以外の特別な理由は、「ございません」とした。

完成した平成19年度版には、大川小の危機管理マニュアルで、初めて「津波」という文言を盛り込んだ。校庭からの二次避難について「近隣の空き地・公園等」という表現で触れた。

千葉前校長が、改訂した当時に参考にしたのは、1995年の阪神淡路大震災の兵庫県内の学校の災害対応マニュアルだったというが、具体的にどこの資料だったかは明らかにしなかった。地震に伴う一般的な災害の種類として「津波」を列挙したという。

当時は市の津波ハザードマップは出来ていなかったが、平成16年度に策定されていた県の地域防災計画は参照しなかったという。

今回の裁判では、事故後の学校や市教委の事後対応についても、争点の一つとなっている。

遺族への説明会で、柏葉元校長が震災直後に生存教諭とやりとりをした携帯電話のデータを提出するよう求める声が遺族たちから上がっていたが、実際にデータ提供を求められたかどうかについては、「ないです」と証言。データは、柏葉元校長が退職した平成24年3月後に削除された。

また、千葉前校長は、震災後に市の教育委員会の指導主事として、大川小の事故対応にあたった。その際、児童や教職員へ聞き取りを行った別の指導主事が、初動調査時の手書きメモを廃棄したとされることについて、着任後に調べたかどうかを聞かれたが、「調べていません」と答えた。

原告代理人の斎藤雅弘弁護士は、「事後対応をしっかりやる気がなかったということだ」と、尋問後に、学校や市教委の対応を批判した。

証人尋問は、21日にも行われ、校庭に子どもを引き取りに言った母親や、防災広報を担当した市の元職員らが証言する。

ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士

近年は、引き出し屋問題を取材。その他、学校安全、災害・防災、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運べず、スタジオから伝えるばかりだった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

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