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石巻の震災遺構や震災伝承の検討会議に高校生や大学生も

加藤順子ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士
旧門脇小(左)と旧大川小(右)

2011年の東日本大震災で、約4千人の死者・行方不明者が出た宮城県石巻市は、震災の記憶や教訓を後世に伝えるあり方や、震災遺構の整備について本格的に検討する3つの会議を今月設置する。同市では、亀山紘市長が今年3月、市立門脇小学校(2015年3月に閉校)の校舎の一部と同大川小学校の校舎の全部を、遺構として残す方針を決めている。それぞれの会議は、震災伝承に詳しい県内の有識者、市内で防災教育等に関わってきたNPO、地元の復興協議会や語り部、遺族らで構成され、「石巻市震災伝承計画」を策定する。委員には、地元の高校生や大学生も選ばれた。

被災小学校の卒業生や元校長、遺族も委員に

会議関係者によると、市全体の震災伝承の基本的な方針について話し合う「震災伝承検討会議」には、委員15人程度のうち、地元の石巻専修大学から学生1人が推薦され、参画するという。

また、石巻湾に面し、風光明媚な石巻の名所日和山の麓にある旧門脇小について、市は、被災校舎の保存のあり方について話し合う震災遺構検討会議を5回予定している。当時同校にいた275人の児童は教職員と裏山に逃げて難を逃れたが、校舎は津波と市街地火災の両方に見舞われた。委員20人弱の中には、当時同校の6年生で、現在は地元の高校に通う卒業生1人も入った。

震災当時、門脇小で校長だった鈴木洋子さん(65)は、教え子が委員になったことについて、「当時の在校生の生の声をこの検討会議に届けられることがなにより大事」と話す。火災で教室の中まで黒く焦げた校舎を、防災教育の拠点として活かすべきだと訴え続けてきた鈴木さん自身も、遺構検討委員に選ばれた。

さらに旧門脇小の近くにある、私立日和幼稚園(休園中)の遺族の佐藤美香さん(41)も委員に入った。震災当日、美香さんの長女愛梨ちゃん(当時6歳)らが乗った園バスは、本来の通園ルートではなかった同小の校庭を経由し引き返す途中で、津波に飲み込まれた。バスに閉じ込められた5人の園児と添乗員1人が死亡した。

一方、津波で折れ曲がったコンクリート製の廊下や、教室の床や天井が剥がれて無残な姿となっている旧大川小の被災校舎に関する会議については、委員20人弱のうち半数以上の10人が同小で子どもを亡くした遺族に決まった。大川小は、避難の遅れにより児童・教職員84人が津波に飲まれて死亡・行方不明となり、学校管理下の災害としては教育行政史上最多となる犠牲者を出した惨劇の舞台だ。3月までに5回の会合が予定されている。

大川小の被災校舎を巡っては、2013年から2014年にかけて開かれた「石巻市震災伝承検討委員会」(委員長・平川新宮城学院女子大学長)が震災遺構としての検討対象から外したことから、兄弟姉妹や同級生を亡くした当時の在校生や卒業生らでつくる「チーム大川」が、各地で校舎保存を訴える活動をしてきた。会議関係者や遺族によると、高校生や大学生となった卒業生が遺構検討会議に参画することも検討したが、見送りとなった。別途、卒業生の意見を聞く機会を設ける案が出ているものの、実現するかについては不明だという。

旧大川小の遺構検討会議は7月12日、旧門脇小の遺構検討会議、震災伝承の検討会議は21日に初会合が開かれる。

ジャーナリスト、フォトグラファー、気象予報士

近年は、引き出し屋問題を取材。その他、学校安全、災害・防災、科学コミュニケーション、ソーシャルデザインが主なテーマ。災害が起きても現場に足を運べず、スタジオから伝えるばかりだった気象キャスター時代を省みて、取材者に。主な共著は、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)、『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)、『下流中年』(SB新書)等。

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