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仰天人事。日本サッカー協会、辞任の田中氏に代わる新専務理事に原博実氏を大抜擢!

川端暁彦サッカーライター/編集者
記者会見で熱弁をふるう新専務理事の原氏

原委員長を要職に抜擢

12月19日、日本サッカー協会理事会が行われ、田中道博氏が体調不良を理由として辞任して以降は空席となっていた新専務理事に、現・技術委員長の原博実氏を選出した。

専務理事は、会長、副会長に次ぐ第3のポジションで、強化から財務まであらゆる問題に関わる日本サッカー協会の要と言うべきポジション。「専務理事という話が来るとはまったく思っていなかった」と原氏も驚愕した人選となったが、大仁邦彌会長は「まずは日本サッカーを強くしよう、少しでも良くしようという意識が一番に強いこと」「若くて元気で、よく勉強している誠実な努力家で、体力抜群であること」「コミュニケーション能力が非常に高いこと」「会長との連係が重要なポジションだけに、その関係が良好であること」の4つの理由を列挙した。

原新専務理事は「来年のW杯に向けて代表チームをどう強くしていくかということだけを考えていた」と語り、一度はそれを理由に辞退を申し出たことも示唆した。ただ、大仁会長は来年のW杯まで引き続き技術委員長職を兼務することを明言し、説得した。原新専務理事は「この仕事を通じて、日本のサッカーを皆さんと一緒に強くしていきたいと思っている。僕はJリーグの人のこともよく知っていますし、地方協会の人とも力を合わせて、(日本サッカーを)強くして、普及も広めていきたい。僕は日本サッカーの苦しい時代も知っています。ここに満足しないで広げていかないといけないという思いは常にあります。職員、地方協会の人などみんなの力を合わせてやっていきたいと思っている」と前向きにコメントした。

不安材料は現場肌で実務の経験に乏しいことだが、専務理事補佐を新たに設けてそれを補うことで「問題なくやれる」(大仁会長)としている。また、技術委員長としての職務については「日本代表チームの体制は非常にうまくいっているので、原委員長にべったり付いてもらう必要はない。強化担当の技術委員長を兼務ということになる。必要に応じて代表チームに付いていく形になる」と語りつつ、「来年のW杯の結果を見て分析して、次の監督を選ぶ。原氏には(技術委員長として)そこまでの仕事をやるということだと思っている」とも語った。また技術委員長職の実質的な補佐役として、U-22Jリーグ選抜の監督にも決まった元川崎F監督の高畠勉氏が日本代表テクニカルコーディネーターという新たな職に就くことも明らかになった。

原氏は監督などのポジションに未練はないのかという記者からの質問に「現場は好きですよ」としながらも、「日本サッカーのためにお役に立てるならやろうと思った」と、新しい仕事への意欲を示している。

新専務理事略歴

原 博実(はら・ひろみ)

1958年10月19日生まれ。栃木県黒磯市(現・那須塩原市)出身。矢板東高校、早稲田大学を経て、1981年から三菱重工サッカー部でプレー。日本代表として国際Aマッチ75試合出場37得点(歴代3位)。Jリーグ開幕直前に現役を退き、引退後は三菱重工サッカー部が母体となった浦和レッズで指導者人生をスタート。トップチームコーチ、ユース監督などを経て、1998年から99年までトップチーム監督。2002年から2005年にかけて、また2007年にFC東京監督を務めた。2009年から日本サッカー協会に入り、技術委員長(強化担当)を務め、2010年7月からは理事も務めていた。

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

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