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ツール・ド・フランスのコースを走るレース、エタップ・デュ・ツール参戦記その3

河口まなぶ自動車ジャーナリスト

エタップ・デュ・ツール参戦記の最終回。1級山岳を登りきった後は、30km以上平坦な道が続く。ここで楽になれるかと思いきや、こういう場所が一番ジワジワと身体に堪えます。気温33度以上の中を、ひたすらトレイン(隊列)を組んで走っていく。

元選手だったマビックの方が先頭を引き、その後をついていくので楽なはず(自転車で隊列を組んで走る場合、後方に位置すると空気抵抗が低くなるため楽に同じスピードを維持できる)だが、気がつくと前走者からジワジワ離れていくのだ。

いくつかのエイドにようやく辿り着くとすぐに給水。もはや飲むだけではやってられずに、頭から水を被る。この時、エイドのペットボトルを丸々1本いただいてかけるという贅沢を何度も。その1で記したけど、ここにペリエのボトルがあって、これを頭から被るとシュワシュワと気持ち良く、かなり生き返る…なんと贅沢過ぎる行為。ボトルがたくさん用意されていたので遠慮なく「頭からペリエ」をさせていただきました。もちろんそれを飲みつつ。

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さぁ、そうして到着したのは98.5km地点にある最後のフーディング・ゾーンであるサモエンズのエイド。もはやチーズもパンも食べ飽きていたけれど、これまた山盛りのオレンジが嬉しい。ビタミンCをたっぷり補給することがこの場合の先決かは定かではないが、とにかくたくさんオレンジを食べて、その後にブラウニーのようなケーキなどの固形物をとり、さらにペリエを浴びて十分な休憩をとった。

ちなみにこの頃になると気温はさらに高温になっており、エイドの出口ではホースで水をかけてくれるサービスがあるほど。手持ちのカメラを仲間にもってもらって、ジャブジャブと全身に浴びてエイドを出発。そして数キロ走ったところに、最後の超級を示す看板が設置されていたのだった。

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11.3km、8.2%。確かにこれまでで一番キツいのは分かる。が、そんなに大したことなくない? と思ったのはここだけの話。その後数分でゴメンなさいゴメンなさい、と思わされることになった。

この看板の場所をUターンするように左側に向きを変えると…もう、そこからすぐに上り坂が始まっている。街中だとたかをくくっていたら、走り始めて数分で膝がプルプルと言い始める始末だ。

しかも、灼熱のヒルクライムほどキツいものはない。コツコツと千里の道を歩み始める気持ちで一漕ぎ一漕ぎを大切に…結構というか、激しく萎える。

しかし気がつくといつしか街並みは消えており、少し横を見ると雄大なパノラマが広がっていることに気づく。が! わぁ、素晴らしい…と思うのは2秒くらいで、あとはすぐに顔が下に向き、頬を汗が流れていき路面へと滴り落ちる光景ばかりを見ることになる。

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しかも坂は、少しも緩む気配を見せない。いや、ほんのわずかに緩やかになることが分かるくらい、ずっとキツい登りが続く。考えてみれば平均で8.2%で坂もバリエーションに富んでいるので、途中15%があってもおかしくない。

私はマヴィックの方と3人でこの登坂をスタートした。が、すぐに1人いないくなり、その後私と2人で途中まで登ったが、その方もいなくなり…最後は完全に1人旅となった。

それにしても写真で見ると、ハイジがいそうなほど爽やかな光景なのに、実際に走ると地獄のようにキツいのだからツンデレが過ぎる場所だ。

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さらにつづら折れが続く区間にさしかかると、自転車を降りて押す人が急増するどころか、ひかげには屍のように横たわる人が大量発生している。しかしこれを見てホッとした、フランスの方々でもさすがにこの坂、キツいんだなと。

しかし同時に、強烈な誘惑にかられる。つづら折れで折り返すあたりに木陰があり、ここにさしかかるとクーラーの効いた部屋に入るようなヒンヤリ感を覚える(錯覚する、が正しいのだが)。少しだけ、休もうかな…。

しかしヒルクライムで足をつくことはリタイヤしたも同様…というヘンなコダワリが自分の中にはある(サイクリストあるある、かと)。このため、休みたい気持ちを押さえ込んで一漕ぎ、登りきった自分をイメージして一漕ぎ、といった感じで誘惑を振り払って登って行った。

すると間もなく頂上! といえるその場所に、まるで天国のように見える水飲み場が! そしてみんなが美味しそうに水をごくごくと飲んでいる。これは休憩所みたいなものだから仕方ない…いやいやダメだと頭を降って、水飲み場で休む人を鬼の形相で睨みつつまた一漕ぎと登る。もはや時速5km/h程度。場合によっては自転車を降りて歩いている人よりも遅かったり…。

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そうして登っていくと、ついに頂上が見えてきた。あれがジュ・プラーヌ峠! ご丁寧に峠の頂点にはゴールゲート並みのゲートが設置されている。一漕ぎ、また一漕ぎ。そしてついにゲートをくぐった。

やった! と自転車を跨いだまま足をついて、両手をロッキーよろしく上げて天を仰いだ瞬間のことだった。

これまでにランや自転車のロングライド、トライアスロンなど様々な競技をしてきたが、それらの時には体験したことのなかったほどの、強烈な脚の攣りがやってきた。両足の大腿四頭筋が上に引っ張りあげられるように収縮し、さらにももの裏も引きつり、ふくらはぎは2つとも硬直した。

だから私はロッキーなみに雄叫びをあげたほどだ。「いっ痛い!」

しかし自転車を跨いでおりてしまったため、自転車を自分の股の間からどかすこともできず、そのまま立ち尽くすしかないという拷問。そのまま声をあげながらも3分くらい、そこに立ち尽くすしかなかった。

しかしこうした大会ではレスキュー関係もしっかりしている。苦しむ僕のところに駆け寄る関係者。これで助かる…と思ったら、

「ここ、ゲート付近に止まらないで先にいってもらませんか?」

という非情な通告。

「ノー! 脚が固まって歩けない!」

と僕。

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困り果てるスタッフ。少し脚の攣りが弱まったので、すかさず片足を上げて自転車を避けた瞬間、その場に倒れこんでしまった。脚が再び強烈に収縮。スタッフも呆れ顔でつま先を押してくれたのだった。

本当はまだ脚が少し攣っていたけれど、あまりに長居も良くないので作り笑顔でその場を離れ、数百メートル先のエイドステーションで命の水を補給する。もちろんペリエは2ボトルくらいもらって1本を頭から被る。

そうしてようやく脚が動くようになり、仲間も頂上に到着。あとは下りのみ! 早速走り出して加速していく。50km/h、55km/h…これでゴールで楽になれる。

そう思って右コーナーを曲がり終えた瞬間、どっきりかと思うような登り坂がお出迎えをしてくれたのだった。これには本当にびっくり。もうひとつの峠が待ち構えていたのだ。

頂上で合流した仲間は再びいなくなり、1人旅に。脚はもう産まれたての小鹿なみのプルプル具合。ヒドすぎるコースレイアウト、と呪いつつまた一漕ぎ一漕ぎしていく。

が、さすがに悪魔はいなかったようで、1〜2kmで登りが終了し、60km、65km/hと速度が増していく。わ、これは登りとは別の意味でヤバい。

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そう思って前を見ると、カーブのところに結構な割合でコースアウトした人が応急処置を受けている。曲がりきれずにコースアウトしたり、手前で落車したり…ジャージが破れている人も多数。うわっ、背中が全部すりむけてますけど…というお方も。

ただここは4輪で培ったライン取りを応用して、丁寧かつスピードをなるべく殺さずに、かつ周りを慎重に見極めながらこなしていった。そうしてついに、ゴールであるモルジヌの街にたどり着き、メインの通りを駆け下りていく。そして遠くにフィニッシュ・ゲート。

ここでマビックの方が追いついてくれて男2人で手をつなぎ、手を高くあげてゴールしたのだった。ついに! エタップ・デュ・ツールを完走したのだ! ちなみに僕はこのエタップ・デュ・ツールの1ヶ月前に、オーストラリアのケアンズで開催されたアイアンマンを完走したが、その時よりツラいと思った。見かけの距離と斜度では計れぬコースであり、ここを駆け上がるツール・ド・フランスの選手達を心からリスペクトしたのだった。

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それにしても、やりきった! と大きな満足感と達成感に包まれたのだった。

ゴール近くのホテルに戻り、シャワーを浴びてビールで乾杯しつつ仲間を待つ。iPhoneで何気なくエタップ・デュ・ツールのページを見ていたら、すでにリザルトが出ていた。

もちろん自分のリザルトを即座に探す。かかった時間は実に8時間11分、うむむ。やはりエイドで休みすぎているのが響いている。

あの休憩を早めたら何分、ここをパスしたら何分…と、たられば計算はこうしたイベント後は良くある話。う〜ん、次走ったら7時間台の手前まで行けそうだな、しかし6時間台にもっていくには…。

そうして計算していて気がついた。あ、今回のコースは本来の峠がひとつなくなって、距離が短縮されたんだっけ…ということは、本来のコースだったら、制限時間ギリギリかタイムアウトして回収されている? それが疑いようのない真実だ。うむむ、やはりエタップ・デュ・ツール、厳しい…。

そうして敗北感を味わう私に、さらなるダメ押しが。

リザルトを見ていたら、順位が出ていた。10652位/11201人中。あれ? これってほとんどビリって感じですな…。これにはさすがに凹んで、来年のリベンジを誓ったのだった。

ビールがなんだか、いつも以上に苦く感じられたのだった。

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ツール・ド・フランスのコースを走るレース、エタップ・デュ・ツール参戦記その1

ツール・ド・フランスのコースを走るレース、エタップ・デュ・ツール参戦記その2

自動車ジャーナリスト

1970年5月9日茨城県生まれAB型。日大芸術学部文芸学科卒業後、自動車雑誌アルバイトを経てフリーの自動車ジャーナリストに。日本自動車ジャーナリスト協会会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。YouTubeで独自の動画チャンネル「LOVECARS!TV!」(登録者数50万人)を持つ。

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