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STAP細胞は“黒”か、“白”か?

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:Jitin Hirani

さっさとジャッジできないのはいけないこと、ダメなこと――。

過剰なまでに、拙速に、しかも、安直に、「白と黒=ポジティブとネガティブ」の対立軸で物事にジャッジを下したがる世の中の風潮に、ちょっとばかりウンザリしている。

小保方博士の論文の報道にも、その傾向が見え隠れする。

「世界的な発明」、「ノーベル賞候補だ!」と散々持ち上げたかと思いきや、「捏造か?」なんて見出しが週刊誌やネットの画面に踊る始末だ。

論文の掲載元であるネイチャーの調査結果も、まだ明らかになっていないにも関わらず、あたかも「×(バツ)」と言わんばかりの報道や、コメントが行き交っている。

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授が、

「STAP細胞は、細胞の初期化メカニズムに迫る上で、極めて有用です。またSTAP細胞は未来の医療、たとえば移植に頼らない体内での臓器の再生、失われた四肢の再生などにつながる大きな可能性のある技術です。iPS細胞研究所でも研究に取り入れて行きたいですし、理化学研究所等、他の研究機関と最大限に協力して、技術の発展に貢献していきたいと思います」

とHPで見解を述べているにも関わらず、だ(全文はこちら)。

昨夜は、共著者の若山照彦山梨大教授が、論文の撤回を打診したとのニュースが駆け巡り、多くの番組がトップ項目で若山教授のインタビューを報じていた。

「STAP細胞の存在に確信が持てなくなった」とのコメントを繰り返し流し、「昨年2月くらいに、小保方氏に横についてもらって作り方を教わり、1回だけ成功した」というコメントを流しているメディアはごくわずか。

この報じ方は何なんだ? 

だいたい、どれだけの人たちが、『Nature』(ネイチャー)という科学雑誌に掲載されるまでのプロセスや、そのハードルの高さを知っているのだろうか。

いかなる分野のジャーナルであれ、レフリー(審判員)付きの場合には、その研究分野に精通するレフリーが2~3人つく。そして、最初のハードルでレフリーが「箸にも棒にもかからない=論文掲載は×(バツ)」と判断されたものは、リジェクトされる。

一方、「議論の価値あり=△(サンカク)」と判断された場合には、筆頭論文執筆者は、「これでもか!」っていうほど、レフリーから重箱の隅をつつかれ、やりとりを繰り返す。指摘の1つひとつに、相手を納得させるエビデンスを示し、論文を修正する。このやりとりが実に厳しく、知力も、体力も、気力もいる作業なのだ。

なんといっても、相手はプロ中のプロだ。その分野を知り尽くし、さまざまな視点からも議論できるプロフェッショナルの研究者を納得させるのは極めて難しく、これはとことん考え抜く作業でもあり、自分との戦いでもある。

特にネイチャーのようなジャーナルでは、このハードルが高く、1万本前後の論文が毎年投稿され、ジャーナルに掲載されるのはわずか800本前後。掲載に至る論文はわずか8%しかない。

私も研究者の端くれなので、海外の産業心理学系や公衆衛生系のジャーナルに投稿することがあるのだが、1回目の査読で指摘された点を、決められた期日内に修正し、その結果にNGを出され、ジ・エンドとなることもあれば、2回目の査読で新たに重箱の角をつつかれ、さらなる修正を求められることもある。

そこで、「やっぱダメね」とリジェクトされてしまうときもあれば、査読はどうにかくぐり抜けても、最後の最後で編集部からNGを出されてしまうこともごくたまにある(編集部にNGをだされた経験は私にはないが)。とにかく骨が折れる。しんどい。が、それ以上の収穫もある。レフリーとのやり取りでは学ぶことが多く、論文が掲載される間にわずかながら成長できる。

「第一に、あらゆる科学分野における重要な研究成果を、迅速に掲載することで研究者を支援すると同時に、科学関連のニュースや問題を報告し、議論するためのフォーラムを提供することです。第二に、研究成果について、その学問的意義や文化的意義とともに、身近な生活にどのように関わっているかを解説し、世界中の読者に速やかに伝えることです」

これは、ネイチャー が1869年の創刊時に掲げ、144年経った現在もなんら変わることなく守り、生きき続けている「創刊の趣旨」だ。

要するに、論文掲載は、あくまでもスタートライン。「これは議論に値する△(サンカク)です。△を○(マル)に近づけ、世の中に貢献するために、さぁ、みなさん、議論をはじめましょう!」と、専門家たちがスタートの旗を振った。今度は世間から、「◯」をもらう作業が始まるのである。

つまり、小保方博士の研究結果は、肯定されたわけでも、否定されたわけでもない。まさしく△。将来、結果的に〇になることもあれば、残念ながら×になることもある。だが、仮に×になったとしても、小保方博士の研究結果は、「細胞の初期化メカニズムに迫る上で、極めて有用です」という山中教授の言葉どおり、意味のある発見なのだ。

いずれにしても、この△を△だと認め、どうしたら○にできるかをとことん考えさせ、○に近づくための議論をとことんして、実際にとことん試してみる。そのめんどくさい作業を繰り返すことのほうが、「白黒を早急に見極める」ことよりも大切なんじゃないだろうか。

それを、今、まさしく「ING形」でやろうとしているのだから、それはそれでいいじゃないか。 小保方博士だって、「100年後の実りを信じて頑張りたい」と言っていたじゃないですか。

いったいなぜ、外野たちが、勝手なコメントを言い、「〇か?×か?」みたいな報道ばかりが繰り返されるのか?

新しいものは常に混沌としていて、実に曖昧で、貧弱だ。だからこそ、おもしろい。

そもそもこの世の中に、最初から決まった正解などない。

なんでもかんでも拙速に白黒つけることは、一見正しいようでいて、大切な芽をつぶししてしまう。

「成熟するということは、曖昧さを受け入れる能力をもつということ」――。

このジークムント・フロイト(オーストリアの精神分析学者)の名言を、私なりに解釈をすると、

「なんでもかんでも拙速に白黒つけたがる人たちは、未熟だ」――

ということだ。

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健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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