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学校を“ブラック企業”化する、「子どもが可哀そう」という呪文

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:Thomas Leuthard

「子供に与える影響を考えると……」

「子供たちの立場に立って考えなきゃ……」

「子供たちのことを考えてない……」

何らかの“問題”が起きた時に、常に教師たちに向けられる言葉。

昨年、埼玉県で起きた教師たちの駆け込み退職、4月に息子の入学式を優先し勤務先の入学を欠席した女性教師、のど自慢出場のために授業参観を休んだ中学校の先生……。

自分は、早期退職しても、先生のことは許さない。

「子供とおカネを天びんにかけて、おカネを取ったってことですよね? 無責任だし、子供たちにとって、どうなんでしょうかね」

自分は、子どもの行事を優先させても、先生のことは非難する。

「今の教員は教え子より息子の入学式が大切なんですか? 無責任ですよね。先生のいない入学式なんて、子どもたちが可哀そう」

もちろん批判の一方で、「先生だって人間だもね」と擁護する声もある。だが、とかく先生への風当たりは強く、その“暴風”は年々強さを増している。

「先生はもう先生じゃないのよ。ただのサラリーマン。だって子供たちのための仕事より、管理職のための仕事ばかりなんだから。職員室では、どの先生もパソコンに向かって、息を潜めている」

こう話してくれたのは、昨年、定年退職をなさった中学校の先生である。

先生によれば、学校で、学級崩壊ならぬ、職員室崩壊が起こっているのだそうだ。

「昔はね、本当に楽しかった。教師みんなが一丸となって子供たちに向き合っていたし、みんなで1人ひとりの生徒のことを話し合い、考える時間もあった。例えば、何か問題を起こす子供がいるとするでしょ? 1つの原因だけで問題を起こすってことはなくて、いくつかの要因が絡み合っている場合がほとんどなの。だから先生たちみんなで子供の情報を共有して、みんなの“問題”として取り組まなきゃならない」

「でも、今は、何か問題が起きるとそれに関係のある1人の先生だけがやり玉に挙げられる。特に管理職は何かあると、自分の責任問題になるから、その先生だけに問題があったのかのような追及をしたりする。今の先生に求められているのは、間違いを起こさないこと。間違いを起こさない無難な教師が一番いいんです」

「それに子供たちの学力が低いと先生の指導に問題があるように言われるけど、どんなに先生たちが頑張っても学力が上がらない学校というのがある。例えば、県でトップクラスの学力を誇っている学校の先生全員が、学力の低い学校に行って頑張ったとしても、そんなに簡単には学力は伸びない。先生たちだけじゃ、どうにもできないことが現実にあるの。でもね、そんなの世間は認めない。すべては先生の問題。先生の資質に問題があるとなってしまうんですよ」

こんな現状を話してくれたのである。

奇しくも、今朝、「日本の先生、世界一多忙なのに指導には胸張れない」という見出しで、先生たちを取り巻く過酷な職場状況が報じられていた。とにかく時間がない。残業も多い。なのに、ちっとも自分の仕事に自信を持てない先生の姿が、OECDの調査でわかった、のだと。

この結果に文部科学省の担当者は「控えめな国民性もあるが、多忙で授業準備に時間が取れていないことなどが、自信の低さに影響しているかもしれない」と指摘し、事務職員らの配置を進めることなどを対策にあげた。

うむ。確かに、そういう面もあるかもしれない。でも、事務職員を増やしても、根本的な問題は解決されない。

数年前に都内の新任の小学校教諭が自殺した時には、親たちからのクレームに追い詰められていたことが一因とされたこともあった。

ある保護者から「子供のけんかで授業がつぶれているのが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」などと、次々と苦情を寄せられ、苦しんでいたとの証言が寄せられたのだ。

保護者だって、大切な子供を預けているのだから、「子供のために」と文句の1つや2つ言いたくなることはあるかもしれない。“モンスターペアレント”と呼ばれる保護者の存在が指摘されることもあるが、理不尽なことを言ってくる保護者はごく一部とする先生たちも多くいる。

でも、都合のいい時だけ、世間は「教育者」などと言うけれど、ホントに教育者と敬意を払って接している人たちがいかほどいるのだろうか。

学校の “ブラック企業化”。そんな現象が、進んでいる。そう思えてならないのである。

かつて、教師という仕事の、社会的評価は高かった。校内暴力なるものが社会を騒がせていた時代には、まだ、“戦う教師”として世間は好意的に教師を受け入れていたため、保護者は味方だった。

だが、そんな先生たちを支えていた、世間との良いつながり、保護者との良いつながり、そして同僚たちのつながりが途絶え、教師たちの支えとなる資源が失われている現状がある。今、先生たちは、非難されることはあっても、褒められることはなくなってしまったのだ。

教員の精神疾患による休職者は10年で約3倍も増え、強い疲労を訴える教員は一般企業の3倍以上。なぜ、先生たちはこんなに病んでいるのか? 私たちも、どこかで、無意識に先生たちを追い詰めているんじゃないのだろうか?

「子供たちのため」という美しい響きの言葉と共に、「先生なんでしょ?」と、“責任論”という反発できない刃を突きつける。

「子どもが可哀そう」「先生なんでしょ」そうやって、先生に”完璧さ”を求める。

件の先生が語っていたように、先生だけじゃ解決できない問題が山ほどあるにもかかわらず、容赦ない攻撃を先生に仕向ける“世間”が存在している。

ILO(国際労働機関)は、労働に関する報告書の中で、教師は個性的な人格を持つ40人近くの子供たちを統制しなくてはならないため、非常にストレスフルであり、その状況は“戦場並み”であると指摘している。さらに、1人の教師のストレスは周りの教師にマイナスの影響を及ぼすことに加え、教育の質に対する深刻な打撃を意味する、と警告している。

先生だって、人間。悩むこともあれば、失敗することあるし、家族だっている。私たちと同じ、「人」なんだと。そんな当たり前のこと受け止める余裕が、「子どもが可哀そう」と呪文を口にする前に、私たちにも必要なのではないでしょうか。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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