Yahoo!ニュース

“やる気がでない“は病気? “すき家“化する社会

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:anieto2k

夏休みも間もなく終わり……。

「なんとなくやる気が出ない」なんて人も多いはず。

何を隠そう、私自身がそうなのだ。

お盆前あたりからジワジワと遠のいていった“やる気”が、お盆中、完全に失せた。しかも困ったことに、お盆が明けて以来、どうやってやる気エンジンをかければいいのか、わからなくなった。

やる気がないわけじゃない。出ない。どうやっても出ない…のである。

そもそも人間には、「疲れる→休む→回復する」という「回復のサイクル」があり、心身ともに元気になれば自ずと英気が養われ、やる気は出る。やる気があるのに、やる気が出ない、なんて、わけのわからないことは起こらないシステムを、人はちゃんと備えている。

つまり、やる気があるのに出ないのは、異常な状態。

おそらく、“私たち”は(私、ではなく“私たち”とさせてください)、私たちが考えている以上に疲れている。回復のサイクルが機能しない、“非人間的な働き方”をしているのである。

先日、「すき家」の労働環境改善に関する第三者委員会の報告が公表され、まるで“蟹工船”のような労働環境に唖然とした方も多いはず。

でも、あれはまさしく、日本社会そのものである。

つまり、“人”という概念が欠けた働かせ方に、疑問1つ持たない人たちがいる。そして、働いている人たちも、そのことにうすうす気が付きながらも、それを受け入れてしまっているのではないか、と。過酷な労働の先に “楽園があるかも”なんて幻想が、そうさせているのである。

以下は、「すき家」の報告書に記されている、経営幹部と第三者委員会とのやりとりである。ちょっとばかりご覧いただきたい(以下抜粋、Q=委員会の質問、A=経営幹部の回答)。

(1) 経営幹部A

Q 「(過重労働問題への対応として)営業時間を短縮するという話は?」

A 「ない。考えたこともない」

Q 「所与の条件なんだね?」

A 「営業時間を短縮したからといって評価が下がるとか、地位が落ちるとか、そういう話ではない。守るべきものとして、24時間365 日というのはあり、苦しいからやめるというのは一度も言ったことはない。絶対に(店は)閉めない、というのがあり、そこで労働基準監督署とか労働環境を考えたことはない。新入社員が体を張っていた事実はある。それは会社のルールで仕方なくやっていたのか、自分の思いでやっていたのかは、やる人間によって変わる」

(2)経営幹部B

Q 「24時間、365日にこだわらなくてもいいという声もあるが、どうか?」

A 「会社として、方針として24時間365日やるのは必須。自分自身もやるべきだと思っている。儲けだけ考えればやらない方がよい。深夜営業をやるのはストレス。すき家以外のグループ会社に行った時は、初めて深夜安心して眠れた。しかし、1日の4分の1は深夜帯の売り上げ。2000店舗あってお客様にも来ていただいている。社会インフラになりつつある。そういう期待があるのに閉めるかというと、どうか」

さて、これを見てどんな感想を持っただろうか?

「これ以上でもこれ以下でもない。法令を守らないのは完全にアウト。それが問題」

そう考えた人は多いはず。確かに、その通りだ。でも、再度考えて欲しい。

なぜ、法令を守れなかったのか?

なんでコンプライアンスが機能していなかったのか? と。

退職者が後を絶たず、ワンオペを止めるべきとの意見が社員から出ていたにもかかわらず、なぜ、放置されつつづけたのか? ということを。

この報告書のやりとりには、“人”がいないーー。そう思えないだろうか?

「やる人間によって変わる」と自己弁護ともとれる発言や、「深夜営業をやるのはストレス。でも、1日の4分の1は深夜帯の売り上げだし」なんて言葉には、微塵も人という概念が入っていない。

過重労働で社員がウツになっても、居眠り運転で何回も交通事故を起こす社員がいても、過労からノイローゼになる社員が後を絶たなくてもワンオペを続け、社会問題になってからも、「ブラック企業とは違うと言いたい」などと経営者が反論できたのも、働いているのは、「人」という、ごくごく当たり前のことを忘れてしまったから。

だから、カイテン(24時間連続勤務)や、2カイテン(48時間連続勤務)なんて言葉が日常的に使われ、「24時間、365日営業」を、何が何でも守ろうとした。

人間はロボットじゃない。人間は夜になれば眠くなる。トイレにも行きたくなる。

“人”に深夜勤務をさせるなら、2時間勤務の4交代制とか、3人制とか、日中の勤務以上にコストをかけるべきだった。が、それをしなかった。それでも24時間365日を守りたいなら、いっそのこと、ロボットでも雇えばよかったのだ。

で、ここでふと思ったわけです。これって、すき家に限ったことじゃないよね、と。

「管理職になってからは、夜ちゃんと眠れたことって、ほとんどないですよ」

フィールドインタビューで、そう話してくれる人たちは多い。

私は管理職でもなければ、組織の人間ではない。けど、似たような感覚を抱きながら日々過ごしている。

原稿の締め切りに追われているとき、心身ともに疲れ果て、「嗚呼、もう無理。寝よ!」とベッドに入る。ところが不思議なことに、目が覚めると、寝る前には浮かばなかった文章を綴ることができる。

「人間ってすごいよね~。寝ながらも、脳の中で原稿書いてるんだね!」

なんて嬉しそうに友人に話していたけれど、よくよく考えれば、それって、ちゃんと休息できていなかった。ただそれだけ。

以前、夜の報道番組に出ているとき、生放送終了後は気分が高揚して目がギンギンに冴えてしまうことがあった。おそらくあの時と一緒。確かにカラダはベッドに横たわり、確かに目は閉じ、確かに意識も “寝た”状態になっていたが、頭は“ギンギン”だった。緊張状態から解放されず、休めていなかったのだろう。

そもそも、疲れは、時間がたてば自然に消えていくものではない。「疲れを取る作業」が必要となる。

特に、精神緊張や心的負担を伴う仕事は、心的な疲れをもたらし、「食べて寝れば回復する」というほど、単純じゃない。

心的な疲れを癒すには、適度な運動、精神的ゆとり、遊び、お喋り、笑い、など、心的疲労を癒す“資源”が必要不可欠。だが、どこまでも効率化が求められる現代社会では、そういった資源まで貧困化した。

結果、頭痛、肩こり、イライラ、やる気がでない、眠れない、ケアレスミス、疲れやすいなどの症状に代表される“蓄積疲労”に陥いった。蓄積疲労は、最悪の場合、うつや突然死につながる極めて深刻な状態である。

おまけに、グローバル化が進み、ネット環境も整い、24時間365日連絡が取れる世の中になった。

まさしく一億総国民が、24時間365日開店状態。仕事から完全に解放されることが難しい現代社会は、すき家と同じように、「働いているのは人である」という、至極当たり前のことを忘れてる。

疲労は、いわば“借金”と同じだ。放っておけば、どんどんと利子がついて、にっちもさっちもいかなくなる。

私たちは、私たちが認識している以上に疲れていて、疲れの借金だらけになっているのである。

うつ病を1人も発症したことのないアフリカの狩猟民族の人たちは、今でも太陽とともに起き、太陽とともに寝て、日中は体を適当に動かす、という規則正しい生活をし、食事はみんなで平等に分け合い、仲間とコミュニケーションを常時とっているという。

そして、彼等の生活態度を取り入れると、うつ病患者の症状が改善してくると報告されているのである。

太陽とともに起き、太陽とともに寝て、日中は体を適当に動かす――。今はそんな働き方は、夢のまた夢。生活を180度変えるには、稼ぎだって激減する覚悟が必要になる。でもだからといって、借金に殺されては元も子もない。

なので、さっさと仕事を切り上げ、趣味に没頭し、気を使わなくていいメンバーと美味しいご飯をとる時間を作った方がいい。身体を動かし、有給休暇を積極的にとる。せめて利子だけでも返さなきゃ。そうするしかない。社会が変わらない現状では、そうするしかないのである。

さて、とにかく今日は日が沈んだら、パソコンを閉じることからはじめてみよう。東京時間に翻弄されず、自分時間で。ん? 東京の空も、意外といいぞ。吹いてくる風にも、ちょっとだけ秋の香りだ。みなさまも、ときには空を見上げてみてくださいね。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

河合薫の最近の記事