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渡邉美樹氏とたかの友梨氏の7年前の激白から探る“ブラックの境界線”とは?

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:needoptic

「暴き出したりなんかして、会社をつぶしてもいいの」

「労働基準法にぴったりそってたら、(会社は)絶対成り立たない」

「つぶれるよ、ウチ。それで困らない?」

ブラック企業――。定義すらあいまいなこのレッテルが企業に貼られる時、必ずといっていいほど、その企業のトップの“ブラック”な言動が問題になる。

「自分にはできた。なぜ、それができない?」

「私は人一倍努力してきた。なぜ、それができない?」

そうやって自分世界の正義を他人(=従業員)に押し付け、“使い捨て”とも取れる言動が“ブラック”と批判されるのだ。

今から7年前の2007年。奇しくも私はワタミの渡邉美樹さん、そして今回のたかの友梨さんにインタビューをした(『私が絶望しない理由』(プレジデント社)執筆に、ご協力いただいた10数名の各界のトップランナーの中の2人)。

当時、渡邉美樹さんは、東証一部に上場させた居酒屋「和民」を持ち株会社制に改組し、郁文館夢学園の理事長に就任したり、介護事業に参入したりと絶好調。誰もが認める、「カリスマ経営者」だった。一方、たかの友梨さんは、全国に124店舗を展開し、テレビ番組「ビューティコロシアム」などに出演。女性企業家のパイオニア的存在としての地位を確立していた。

まさしくトップランナー。ビジネス誌がこぞってインタビューした経営者たちだ。

お2人とも実際お会いし話を伺うと、極めて普通で、悩むこともあれば、人の痛みも分かるし、自分が痛さに喘ぐこともある…どこの会社にも、「いるいる! そういう人!」という方で、自分自身の中にも、リトル渡邉美樹やリトルたかの友梨がいるなぁって、感じた。

そんな方たちが、なぜ、ブラックと呼ばれるような言動をとり、人を傷つけ追い詰めるようになってしまうのか?

いったいどのタイミングで、ブラックに変わるのか? 変わる瞬間は存在するのだろうか?

お2人にインタビューをしたとき、彼らが危機を乗り越える経験でひと回りもふた回りも強くなるプロセスの存在を痛感したのだが、「ブラックの境界線」を越えるプロセスの一部も、当時の語りから探れるかもしれない。そこで今回は、当時のインタビューをもとに「ブラックになる境界線」を探っていきます。

まずは、『私が絶望しない理由』の執筆に至った経緯から。

「ストレス対処力(Sense of Coherence、SOC)」――。これは幾度となくこのコラムでも取り上げている概念だが、SOCは、「人生を生き抜く力」である。

人生で遭遇する困難や危機は、いわば人生の雨。危機を乗り越えるリソース(=傘)を備え、対処(=乗り越えること)に成功すれば、誰もが、いくつになってもSOCを高められる。

そのプロセスが、「実在する人物のリアルストーリーで明らかになれば、おもしろい!」。それが、執筆に至った動機である。

インタビューでは、あえてネガティブな部分に光を当て、子どものときのこと、家族、友だち、学校、恋愛や仕事のことなどを、ひたすら伺った。複雑な人間の心(=感情)を語ってもらうのだから、失礼な質問も山ほどした。

インタビューをお願いした方の中には、明らかにその質問を嫌っていた方もいたが、お二人とも、とても真摯に、一生懸命、ときに自問自答し、自分を納得させるように話してくださったのを記憶している。

今回、改めてお2人のインタビューを読み返してみると、いくつかの共通点を見つけることができた。

1つ目の共通点。それは、お2人とも極めて母親との結びつきが強かったこと。

以下は、特に印象に残っている母親に関する語りである。

【渡邉さんのケース】

「僕は小学校3年くらいの時かな、包丁を持ち出して父親に『お前を殺す』って言ったのを今でも覚えてるよ」

お父さんが、お母さんに何かしたんですか?

「母親のことを怒鳴りまくった。それが限界に来て、もう許せない、と包丁を持ち出した。そしたら母親が『何してるんだ、やめろ』って怒ってね。僕は母親から怒られたらすぐに言うこと聞くからさ。『はいはい』ってすぐやめましたよ」

「僕は母が入院している時は、面会時間が終わるまでずっと母の傍にいた。これが僕の日課。ずっと母のベッドの横で生活をしてたんです。だから、僕にとって父の会社の清算は、母が亡くなったことのショックに比べれば10分の1くらい。母がすべてだったんです」

※渡邉さんは小学校4年生のときにお母さんを亡くし、その半年後、父親の会社は経営難に襲われ清算している。

【たかのさんのケース】

「祖母の家で畑仕事からたきぎ採りまで、いろんな辛い仕事をやらされても、頑張っていればいつかは母と二人で暮らせると思っていたんです。なのに、やっと母と一緒に暮らせるようになった時、母には『東京のおじさん』がいた。がっかりしましたね。その人が私の三人目の父です」

母親が実の母ではないことを、中学生のときに同級生の会話で知ったと伺いましたが。

「そうです。でも、母に確かめたら、『そんなことはない』って言いました。母は去年亡くなったんですけど、最後まで『私が母親だ』と言い続けました。私、もともとトモコって名前で、これは生みの母親がつけた名前です。なのに、母親ったら何かの取材があった時に記者の人に『トモコっていう名前は私が付けたんだ』って言ってるの。おかしいでしょ?」

「母は気っ風が良くて美しくてあっさりしていて、凄く好きな人でした。でもね、母は、とても自由な人でもあったんですね。だから、ある意味私が憧れて、慕っていただけかもしれない。とても厳しいし、いわゆる『優しいお母さん』ではなかったですから。でも、お母さんだからお母さん。私には身内は母しかいないわけじゃないですか。だからお母さんは恋しい人」

※たかのさんの母は養母で、3回の結婚を繰り返している。また、旅館の住み込みで働いていたため、たかのさんは小学校時代、親戚の家を転々としていた。

SOCが高い人には、共通して「信頼できる人」がいることがわかっている。自分1人ではどうすることもできないストレスの雨に降られたとき、傘を貸してもらえる心の距離感の近い人が、たった1人でいいので必要なのだ。

つまり、お2人とも、お母さんの存在が、最大かつ最強の傘だった。

とはいえ、通常、大人になる過程で社会との結びつきを求め、社会の中に「信頼できる人」を求める。社会にたった1人でいいので、大きな傘(=他者)を持てたとき、“自立した個”として真の強さを持てる。

渡邉さんにとって、その存在は大学時代の友人で、「渡美商事」創業メンバーである黒澤真一氏と金子宏志氏。一方、たかのさんにとっては、最初の夫だった。

この方たちとの出会いが、いかにしてお2人にとって重要な傘になったかは、今回のテーマとは異なるので、詳しくお知りになりたい方は著書を見ていただきたい。ここでは、その方たちとの出会いではなく、別れに着目する。

どんな出会いにも別れはあるものだが、物理的な別れが訪れても“心”の距離感はそうそう遠くなるものではない。だが、お2人はその“心”を引き離した。

遮断したといってもいい。自らの意志で信頼できる人を排除したのである。これがお2人の2つ目の共通点であり、この排除こそが、「境界線越え」に関係していると推察している。

【渡邉さんのケース】

一緒に創業なさった黒澤氏と金子氏を、退任させた、というのは随分と厳しい人事ですね。

「仲間というのはずっと仲間じゃない。一緒に成長していくその瞬間その瞬間の仲間なんです。わかります? だからその瞬間仲間であっても、次のステージに会社が行った時に付いて来られなければそいつは仲間じゃない」

相手からはどう思われていると思いますか。

「どうかな。その時々じゃないかな。つまり向こうで仕事がうまくいっている時は、『離れてよかった』『ああ渡邉も頑張ればいいな』と思っていると思うし、向こうで厳しい状況になった時には『あいつが切ったからだ』というふうに恨んだりするでしょうね。何れにしても全く後悔はないです。今も同じことをやりますよ。後悔していない」

【たかのさんのケース】

「彼のことが大好きだったし、夫婦関係がうまくいかないのは、自分に欠陥があるんだと思ってました。結婚したら家庭に入って、子供を産むべきなのかもしれない。そうできない私は、女としていたらないんじゃないかってね。とにかく、出口のない迷路に入り込んでしまって、疲れ切ってしまったんです」

その状況から打破するために、「地獄の特訓」という自己啓発セミナーに参加した?

「今の状況をどうにかしたいと、出口を求めての行動だったんです。セミナーでは『カラスがトンビになったぐらいで、でかい顔するな』ってたたかれて。そして最後にセミナーの先生に、『あなたには能力があるから世の中のために役立てなきゃいけない』と言われて、突然バーンと目の前が開けて。『そう、私には能力がある。それを生かさなきゃ』って、それまでのモヤモヤしていた気持ちが吹き飛んだんです」

「それで家に帰るなり夫に、『申し訳ないけど、私は仕事に生きます。こんな私で嫌だったら別れていただいて結構です』って言った。彼も驚いてたけど、自分でもそんなこと言う自分に驚きました。その後、私は『100店舗』という目標を掲げて『女として生きる』ことをやめて仕事に全精力を傾けたんです。仕事は1+1=2になるけど、男は1+1が2にならない。仕事はまじめにやればやるほど成果が出るけど、男は尽くせば尽くすほど苦しくなる。だから仕事って最高だと思います」

でも、そのあと今のだんなさんと結婚なさってますよね? 二度と結婚はするものかと思っても、恋には落ちるものなんですね。

「ものなのよ(爆笑)。でも変な話、結婚したあとでも、『なんであなたがここにいるんだろう』って思ったことがあるわ。だから仕事だけに生きてることに変わりはないの」

「次のステージに会社が行った時に付いて来られなければそいつは仲間じゃない」――。

「『女として生きる』ことをやめて仕事に全精力を傾けた」――。

インタビューした当時もこの言葉の強さに衝撃を受けたが、今回「ブラックの境界線」という視点から改めてこの言葉を聞くと……。うん、そのなんというか、そのときには感じ得なかった、危うさを感じる。

ひょっとしたら、人の傘を自らの意志で排除したことが、境界線を越えるきっかけになってしまったんじゃないか、と。

どんなに強い人であれ、自分だけの傘で踏ん張るには、はがねのように堅く、決して人に弱さを見せない意志の強さと覚悟が必要となる。

それ自体は決して悪いことではない。だが、自分に厳しくするのと同時に、行わなくてはならないことがある。

他者を受け入れる訓練だ。その訓練を怠ったとき、しなやかさが失われるのだ。

しなやかさとは、すなわち、他人の痛みを感じること。他者の痛みを感じない人は、自分のルールが絶対的価値になる。近くにいる人が雨に濡れていても、気付かないから傘を差し出すこともしない。

お2人にインタビューさせていただいたのは7年も前のことだし、“ブラック”と批判される言動がホントにあったのか、どうかはわからない。でも、「ブラックになる境界線」のヒントがこの語りにある。そう思えてならないのである。

実は、高すぎるSOCは、「堅いSOC」と呼ばれ、あまり良くないとされ、他者のストレッサー(ストレスの原因)になるとも考えられているのだ。私自身、実際にSOC が高得点(13項目の心理尺度で測ることができます)の人にインタビューをすると、「ああ、この人の周りは大変だろうなぁ~」と感じることが多い。

いずれにしても、上手くいったときほど、競争に勝ったときほど、自分が強くなったときほど、他人の痛みを思いやる訓練を決して忘れちゃいけない。意識じゃなく、訓練。日々の生活で、他人を思いやる瞬間を持ち続ける訓練だ。

そのめんどくさい作業を止めてしまったとき、「人を人」として見られなくなり境界線を越える。きっと、おそらく、無意識に……。想像する以上に、その境界線はあっさりと越えられてしまうものなのかもしれません。

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健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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