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「卒業同時に借金地獄!」世界一の高額教育費を“親任せ”にする政治家たちの罪と沈みゆく日本

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:Carsten Schertzer

今回の選挙で使われる税金は700億。八ッ場ダム事業費4300億円―ー。

この膨大なおカネは、未来につながる数字なのだろうか? 

そんな思いで、数年前に1人の学生から送られてきたメールを、暗澹たる気持ちで、何度も読み返していた。

今回は、彼からのメールの一部を取り上げる。そして、みなさんにも是非とも、考えてもらいたい。

「先生が講義でスティーブ・ジョブズを取り上げた時に、僕は大学を辞めようと、決心しました。僕の両親もジョブズと同じで、僕の学費のために生活を切り詰めて、必死で働いていた。なのに、僕はずっとそれを、見て見ないふりをしていました。だって、周りの人たちはみんなお金持ちで、帰国子女もたくさんいて。僕はついていくのに必死だった。でもジョブズのスピーチを聞いて、僕も大学を辞めようと思ったんです。

ホントウに辞めて、働こうと思っていました。でも、最後の講義で先生が、傘を貸してもらったときの話をしてくれたでしょ? あれを聞いて、辞めるのやめることにした(笑)。僕が今やるべきなのは退学じゃなく、目の前のことをちゃんとちゃんとやって(これも先生が教えてくれたこと)、大学をちゃんと出て、自立することだと考えるようになったからです。それが傘を貸してくれた親に対して、僕が唯一できることだと今は考えています。僕が奨学金をもらうことに親が反対したのも、両親から僕への傘だったんだと思います。

実は、こないだ実家に帰ったら、親が僕が○○大学にいっていること、自慢してるって知りました。前の僕だったら、そんな親を軽蔑したと思う。でも、今はちょっとだけ親孝行できたかなって思えます。父は高卒で、大学を出なきゃダメだっていうのが口癖だったから。それに、『傘を差し出してもらった人に唯一できることは、途中で放り出さないこと』ですよね? だから、とにかく踏ん張ります。先生が言っていたように、めげそうになったら、今の気持ちを何度でも何度でも、思い出すようにします」

ちょっとばかりわかりづらいところがあると思うので、補足しておく。

まず、彼が聴講していた講義では、毎回、講義内容に関連する人物を取り上げている。彼が、「大学を辞めようと決心した」とする回では、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォードの卒業式で学生に向けたスピーチを紹介した。

ジョブズは実母が、未婚の大学院生だったため、生まれてすぐに養子に出された。で、養子縁組したとき、実母が唯一出した条件が、「息子を大学に必ず行かせてほしい」ということだった。

養母も養父も大学は出ておらず、労働者階級。そこでジョブズを大学に行かせるためにコツコツと貯金をし、彼がスタンフォード並みに学費が高い、リード大学に入ってしまったばっかりに、蓄えと収入のほとんどを学費に注ぎ込まざるを得なくなった。

「大学に入って半年たった頃、僕はそこまで犠牲を払って大学に通う価値が見いだせなくなってしまった。当時は人生で何をしたらいいのか分からなかったし、大学に通ってもやりたいことが見つかるとはとても思えなかった。私は、両親が一生かけて蓄えたお金をひたすら浪費しているだけでした。なので、私は退学を決めました。多少は迷いましたが、今振り返ると、自分が人生で下したもっとも正しい判断だったと思います」

このジョブズの言葉に、前述の学生は刺激されたのである。

で、最後の講義の“傘を貸してもらったときの話”というのは、私が学生に話した“私のたったひとつのルール”のこと。

「やると決めたら、とことんやる。背中を押してくれた人、チャンスを作ってくれた人、応援してくれる人……。そんな傘を貸してくれた人たちを裏切らないためには、途中で放り出したり、適当にやっちゃダメ。期待したような結果が出なくとも、ちゃんとちゃんと一つひとつ目の前のことをやる。踏ん張って踏ん張って、それでもダメだ! ってなったら、そのとき辞めればいい。だって、辞めるのはいつだってできるから」

なんだがこうやって文字にすると、とんでもなく恥ずかしいのだが、多分こんな内容の話をしたと記憶している。

念のため断っておくが、彼は決して特別な学生じゃない。厳しい家庭環境で育った学生は決して少なくない。シングルマザー、父親が非正規、実家が倒産などなど、友だちには言いづらい“家の事情”を相談メールや手紙に書いてくる学生は想像以上に多い。

「でもさ、そんなにまでして親が苦労しなくても、奨学金もらえばいいでしょ?」

「だいたいなんで彼の両親は、奨学金をもらうことに反対したのか?」

“貧困の連鎖”を断ち切りたかった――。そう、私は考えている。息子に借金生活を強いたくなかったのだろう。

いまや、大学生2人に1人が利用している奨学金。利用者がここまで増えた背景には、この20年間での親の収入低下と、入学金や授業料の高額化がある。しかも、学生自身の就職状況の悪化で借りたお金を返せない人は急増し、奨学金の滞納者も延滞額も年々増加している。

日本学生支援機構によると、奨学金の返還をする義務を負っている人は約322万9000人、うち3カ月以上延滞している人は19万4153人(平成24年度末時点)。3カ月以上延滞している人たちのうち、「無職・失業中又は休職中」の人が18.2%、「非常勤の労働者」が15.1%。また、年収が「200万円未満」は63%、「300万円未満」は83%にのぼっている(日本学生支援機構 平成24年度奨学金の延滞者に関する属性調査結果より)。

2012年度から年収300万円以下の場合、期限なく返還猶予を受けられる「出世払い奨学金」が導入されたが、返還を再開しても、まずは延滞金の支払いに充てられるため,元本を減らすのも難しくなる。また、滞納が続くと、個人信用情報機関に登録されるケースもあり、カードやローンの利用が制限される。

そんな厳しい実態に、文科省の「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」の有識者会議では、「なんでそっちにいってしまうのか?」と、首を傾げたくなる発言が飛び出した。

「防衛省などに頼み、1年とか2年とかインターンシップをやってもらえば就職は良くなる。防衛省は考えてもいいと言っている」

有識者会議のメンバーの1人で、経済同友会専務理事の前原金一氏が、こんな発言をしたというのだ(「奨学金返還に、防衛省で就業体験?」9月3日付 東京新聞)。

これって……何? 問題の本質は、そこなのか?

有識者会議の提言に従い検討されている、返済不要の「給付型奨学金」の予算額は380億円(約6万3千人対象)。

「380億円の財源の確保は難しい。将来的に、創設に向けての検討も進めていく」――。これが財務省の見解だった。

一方、今回の選挙で使われる税金は700億。八ッ場ダム事業費4300億円。

この膨大なおカネは、若い世代の社会的チャンスを創出するための“投資”なのか?

少なくとも、教育におカネをつぎ込むことは、子どもたちのチャンスを広げるための投資だ。

教育に国がかけるお金は、世界的にみても日本は最低レベル。もっぱら最下位を独走中だ。今年9月に経済協力開発機構(OECD)が公表した教育施策に関する調査結果では、2011年の国内総生産(GDP)に占める日本の教育への公的支出割合は3.8%で、5年連続で32カ国の中で最下位だった。

大学の奨学金制度でも、国の現行の奨学金は全て大学卒業後に返済する「貸与型」で、給付型を設けていないのは先進国では異例だ。その一方で、家庭が負担する教育費は、世界トップレベル。特に、幼稚園などの就学前と高校の家庭支出は圧倒的に高い。

やれグローバル人材を育成しろ、やれリーダーとなる人材を育てろ、と、騒ぎ立てているが、

「国はさぁ~、あんまりおカネ出さないから、お父さん、お母さん、よろしくね!」と。

「え? そのおカネがない? そりゃあ、困ったね。でも、日本の富裕層は22.3%も増えて、増加率は世界一となってるから、おカネ持ちの家だけがんばってもらえばいいか? うん。それでいいね!」

少々意地悪な物言いではあるが、そう考えているのだろう。

日本が世界的な経済国になったのは、100年以上前の“未来に向けた”投資があったからだとされている。1906~1911年、日本全国の市町村予算の5割近く(43%)が、教育費に充てられていた。当時、日本人の識字率の高さに、欧州の人たちが驚いたという話は、誰もが一度は聞いたことがあるにちがいない。

1913年頃の日本は、経済的にはまだ発展途上にあるにも関わらず、書籍出版については世界一。出版点数ではイギリスを抜き、アメリカの2倍以上に達していた。文字を書ける人、文字を読める人、学んだ人、学びたい人――。“知性”という人間の潜在能力が、多くの人たちから引き出されていた結果だ。

この100年以上前の、学校教育の普及によって、人間がもつ潜在能力を最大限に引き出す人間的発展を最優先させた日本の取り組みは、

「人間的発展というものは、その国が豊かになって初めて手に入れることのできるぜいたく品である」

という経済学者たちの間の通念を覆したと、ノーベル経済学者のアマルティア・セン博士は語っている。セン博士のいう潜在能力とは、自己実現に至る道でもある。

「人間的発展を遂げた人たちを増やせば、より多くの人びとが経済拡大のプロセスに直接参加することが可能になる」のだと。

私たち人間の誰もが持っている潜在能力は、社会的チャンスなくして発揮するのは不可能。チャンスがあるからこそ、秘められた力がカタチになる。親の所得、職業、社会的地位などで、子どもの人生のチャンスの選択肢が規定されてしまう世の中とは、“ダイヤの原石”をゴミ箱にポイ捨てするようなものだ。

一部のエリートや金持ちだけにチャンスを与えるんじゃなく、1人でも多くの人に社会的チャンスを均等に分配する。親の所得や仕事、社会的地位で、子どもの人生の選択肢が制限されることのない社会。

それが生きる力、学ぶ力、考える力、ものをつくる力を引き出し、国の土台を作る。格差のない社会の人たちは、生きる力が高く、健康で、人生満足度が高い。強固な土台なくして経済拡大も国の発展もあり得ない。

政治家たちが訴えていること。今一度、じっくりみる必要があるのではないだろうか。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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