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勤務医の約6割が「過労死」の危機ーブラック化する医療現場ー

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:needoptic

「せがれが過重労働とパワハラで、体調を壊してしまいましてね。……真面目にやってきたのに、かわいそうで。『人の命は何よりも重い』と教育されてきたけど、医者の命だけは軽く扱われているんです

この男性の息子は、某病院の勤務医の34歳。昨年、電車の中で意識を失い、病院に搬送。

現在、自宅で療養している。

男性によれば、息子さんは当直のあとも、通常の勤務を行うのが日常茶飯事。連続36時間勤務したあとも、「勉強しないと、新しい知識がアップデートされない」と自宅で勉強していたという。

職場では、上司の医師からのパワハラもあり、患者の家族からは、理不尽な要求を突きつけれることも多かった。

他の病院の勤務日でいなかったことに、腹をたてた家族から、

「なんで担当医がいない。これじゃ、家族には親の病気の状態がどうなっているかわからないじゃないか!勝手な治療は許さん。医者を呼べ!」とクレームをつけられ、その後もことあるごとにクレームを言われたそうだ。

「退院するときにいないと、不機嫌になる家族も多い。私たちの世代は、『お医者さま』でしたけど、今は『患者さま』。医者は24時間365日働いて当たり前とでも思っているんでしょうか。 もっと私も息子のストレスをどうにかしてあげられればよかったんでしょうけど、彼が極限状態まで追いつめられていることに気付いてあげられなかった。かわいそうなことしてしまったな、と反省しています」

男性はこう言って肩を落とした。病院も、上司の医師も、患者の家族も……、すべて加害者。そして、息子の状態に気付いてあげられなかった自分への怒りも、お父さんを苦しめているようだった。

今は落ち着いてきて、ゆっくりと回復に向かっているそうだが、生気を失った息子が、このまま生きる力を失ってしまうのではないかと、目を離すのが心配な時期もあったと語っていた。

滅多に報じられることがないのだが、実は医師の過労自殺は、一般の労働者より多い。

ただ、これは日本に限ったことではなく、米国では一般の労働者の4倍ほど高く、デンマークでも、医師の自殺は、看護師や教員など他の20以上の職種に比べて高いとの調査結果がある。

“自死”という選択は、健康問題、経済問題、勤務問題など、いくつかの要因が絡み合った結果である場合がほとんどだが、医師のケースでは、長時間労働と、周囲からの要求の過度な高さ(責任の重さ、高い技術など)からうつになり、それが引き金になると考えられている。

その傾向は研修医のときが最も顕著で、ある調査では研修開始から1~2カ月後、4割近くが抑うつ状態にあることがわかっている。

また、外科などの体力、精神力ともにタフな分野を希望する学生は年々低下。過酷な労働条件に加え、医療事故⇒裁判⇒逮捕 となる危険性もあり、若手は避ける傾向が強い。勤務医となった後も、耐えられずに辞め、開業する医師も多いとされているのだ。

そもそも勤務医の労働時間は年齢や性別で大きな差があり、20代後半の男性勤務医で、1週間の平均勤務時間(滞在時間)が約75時間であるのに対し、50代では過労死ラインを下回り、週60時間弱。女性の医師は、男性よりも勤務時間が短く、20代で70時間弱、40歳代で約57時間。

医師の長時間勤務が常態化している背景には、医師不足、深夜勤務、36協定などの要因があるが、若い勤務医は、金銭的な理由、医局からの指示、さらには、不足している専門科の病院からの要請で、複数の勤務先で働く人が多く、非常勤の女性医師の増加が、男性医師の負担をより増やしたとの指摘もある。

奇しくも先日、長崎市の長崎みなとメディカルセンター市民病院に勤務していた男性医師(当時33歳)が2014年に死亡したのは過重労働が原因として、妻ら遺族3人が病院に約3億7000万円の損害賠償を求め提訴した。

男性は14年4月に同病院に採用され、心臓血管内科医師として勤務。毎月100時間を超える時間外勤務が続き、同12月に自宅で心肺停止の状態で見つかった。死因は著しい疲労の蓄積による、内因性の心臓死だった。

医療ニュースサイトm3.comが行った調査でも、勤務医の半数を超える56%が、「過労死の危険性を感じたことがある」と答えている。

医者の命だけは軽い――。

この言葉を聞いて、「そうだよ。そのとおりだよ」などと言う人は、いないはずだ。

だが、人の命を預かる「責任」の重さ、過労死ラインを超える長時間労働、深夜勤務、患者や家族との人間関係……。そのすべてが、医師たちを追いつめる。

人間が持つ、「疲れる→休む→回復する」という「回復のサイクル」が機能しない環境が、何をもたらすか? 

質の低下とミス。らくそうな職場を選ぶ若者が増え、ストレスの多い外科医はますます人材不足に陥り、ヒヤリハットをもたらすリスクが高まり、大きな事故につながっていく。

いつの時代も、どこの世界でも、そのしわ寄せは末端の労働者に来る。それは翻って“私”たちの問題として、ふりかかってくるのである。

厚生労働省は今年3月、2040年に「医師」が1.8万~4.1万人過剰になるという推測を明らかにし、医学部の定員を削減を進める方針を示しているが、高齢化社会、核家族化、共働き世帯の増加……、などなど、さまざまな社会構造の変化がクモの巣のごとく絡まっている状態を紐解かずして、「数字」だけで議論を進めるのは得策ではない。

たとえば、病院経営のプロとなる人材を「医学部の中で育てる」という発想への転換を、是非とも議論してもらいたい。

医療や労務制度に関する深い知識を有し、さらには、人間の心身への影響を心理や社会学の観点から理解できる医療マネジメント層が増えれれば、“現場”も変わるはずだ。

以前、医薬関係の講演会に呼んでいただいたときに、千葉大の医学部が、大学病院と看護学部、薬学部と連携して、講義や研修を行っていると聞いた。学生時代から横とつながれば、専門外の理解も深まるし、知識も自ずと増える。人的ネットワークも育まれ、“つながり”がもたらす利点も多い。

私は…、医師というのは、医療現場が考えている以上に、患者や家族にとって大きな存在だと考えている。

そのつまり、なんというか、やっぱり患者にとっても家族にとっても、お医者さんって全てで。先生の何気ない言葉や表情に一喜一憂するのですよ。

個人的な話だが、昨年旅立った私の父親は、「お医者さま」の言葉を、何よりも頼りにしていた。

「○○先生から運動していいって言われた!」「○○先生が“血液検査の結果も良好!”って言ってた」「○○先生から“順調ですね!”って言われた」などなど、入院中も通院しているときも、先生の言葉に父は勇気をもらっていた。

医師は聖職ではない。でも、「残された命」に、光を与えてくれる存在なのだ。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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