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あれから31年。JAL123便機長が守り続けた“大切なモノ”を忘れない

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著者:victoria white2010

1985年、8月12日18時56分。JAL123便が“御巣鷹の尾根”に墜落したとき、私は大学生だった。その後、ANAに入社したわけだが、「JALに追いつけ追い越せ!」という時代に、ANAのCA(客室乗務員)、キャプテン、コーパイ(副操縦士)さん、FE(フライトエンジニア)さん、整備さん……、たくさんの先輩たちから、123便のクルーが最後の最後まで、どうにかしてお客さんたちの命を守ろうと必死だった、と聞かされた。

アノ飛行機の中で、CAたちはひたすら懸命に自らのミッションを全うすべくお客さんと向き合っていたと、幾度となく聞かされたのだ。

機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」

機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」

副操縦士「コントロールがいっぱいです」

これは数年前、公開されたコックピットで格闘する機長たちの声。JAL123便の高濱雅己機長(当時49歳)と佐々木副操縦士(当時39歳)だ。

まだボイスレコーダーは公開されていなかった時代に(私が空を飛んでいた頃)、どうやって先輩たちが乗務していたクルーたちの勇姿を知り得たのか定かではない。先輩たちの中には同級生がクルーの一人だった方や、親戚が亡くなったという方もいたが、なぜ、知っていたのだろう。 ひょっとしたら業界だけに知らされた、なんらかの情報があったのかもしれないし、ただただ自分たちと同じように空を飛ぶ人たちを、先輩たちは信じていただけかもしれない。

いずれにせよ、「CAの最大の任務は、お客様の大切な命を守る保安要員」と何度も何度も先輩から言われ、FEさんにはたくさんのマニュアルの入った大きなパイロットケースを持たされ「重たいだろ? これが僕たちが人命を預かっているという仕事の重さ」だと教えられ、整備さんには「どんな小さなことでも、声に出して確認しながら整備しなきゃダメなんだ」と聞いた。

どんなすばらしい技術も、どんな安全な仕組みも、最後は人。どんな悲惨で不幸な事故も、最後はそこにいる人で助けられる命がある――。

そんな一人の人間としての心の持ちようを、「大切なお客さんの命を守ること」というミッションを、自分たちがそこに存在する意味を、先輩たちからトコトン刷り込まれたのである。

そんなある日、“事件”が起こる。

離陸直前に、機体が激しい衝撃音とともに大きく揺れた。「間もなく離陸いたします」というチーフパーサーのアナウンスから数十秒後、滑走路を走り出した機内を、どよめきが襲ったのだ。

なのに、私は何もできなかった。

本来であれば、「お腹に力を入れて! 頭を抱えて! 足を大きく開いて! Stay calm.  落ち着いてください!」

と、自分もそのポーズをとりながら大声で呼びかけなくてはならない。が、私は声を出せなかった。

目の前でお客さんたちが悲鳴を上げ、不安な顔で私たちの方を見ているのに、まるで金縛りにあったように身体が硬直し、何もできなかったのである。

幸いけが人も出ず、点検後、無事出発することができたのだが、先輩にこっぴどく怒られたことは、今も鮮明に記憶している。

あなたは何のために乗務しているのか?と。保安要員であることを忘れたら、飛んでいる意味はない。

「保安要員である”ことが分かっていれば、なりふり構わず大声を出せたはず。あなたにはそれが分かっていない。どんなサービスをしても、保安要員であることを忘れたら、飛んでいる意味はない!」

そう、怒鳴られた。

情けないことか。先輩たちに何度もCAがそこにいる意味を教わったはずなのに。日常のフライトで大半を占めるサービスにばかり気がいき、一番大切なことを忘れていたのである。

ただそれがきっかけとなり、皮膚の表面で漂っていた“ミッション”が、骨の髄までしみ込んだ。なんせ辞めて20年以上たつ今でも、緊急時の衝撃防止姿勢や脱出用のスライドを滑り降りるときの確認事項が即座に言えてしまうのだ。

「お腹に力を入れて! 頭を抱えて! 足を大きく開いて! Stay calm.  落ち着いてください!」と。「スライドが膨らんでいます。接地しています。急な傾斜ではありません!」と。

今、コレが咄嗟に言えることが、何かの役に立つとは到底思えない。だが、今の今まで言えるくらい刷り込まれて、“ミッション”は初めて意味を持つ。自分と一体化させないとダメだというのが、私の信条になったのである。

ミッションは一般的には、使命、あるいは任務、と訳されることが多いが、私はミッションを、

「自分は何者で、なぜ、そこにいるのか? といった自己のアイデンティティで、危機を乗り越えるための“正義” であり、個人が働く上で欠かせないモノ」と解釈している。

ミッションが明確でない仕事ほど退屈で、苦痛に満ちたモノはない。

また、想定外の危機に遭遇しても、骨の髄までミッションがしみ込んでいれば、「自分のなすべきことは何か? 自分にできることはどういうことか?」と、自らの正義に従い、危機に対峙できる。

危機の恐怖の雨に立ち尽くし、ただただびしょ濡れになるのではなく、やるべきことに徹することで、最高の選択が可能になる。たとえそれが、万事を解決せずとも、「よくやった!」と納得できる行動が取れるのである。

一方、本来のミッションが忘れられてしまうと、効率性だけが重視されるようになり、自分の存在意義を自ら壊してしまうことになる。本来やるべきことがないがしろにされ、“使えないヤツ”に成り下がる。

自戒を込めて言わせていただくと、ミッションなくして、お客さんを満足させることなどできないし、自分自身の職務満足感も満たされない。“いい仕事”をするためにも、いい人生にするためにも、ミッションは必要なのだ。

最後に……。

日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった高濱機長のお嬢さんである、洋子さんは日本航空で働く、現役の客室乗務員である。

ご自身も遺族という立場。と同時に、墜落したジャンボ機の機長の娘であることから、事故当初から想像を絶する苦悩の日々が続いたそうだ。

「519人を殺しておいて、のうのうと生きているな」――。バッシングを容赦なく浴びせられた。

そんな世間のまなざしに変化が起きたのは、ボイスレコーダーが公開されてから。

キャプテンたちの必死な、最後の最後まであきらめず、最後の一瞬までお客さんの命を守るために踏ん張っていた“声”が公開され、やっと、ホントにやっと父親が最後までミッションを全うしていたことを受け入れてもらえた。

「『本当に最後までがんばってくれたんだね』『ありがとう』という言葉を、ご遺族から頂いた時には、本当に胸からこみ上げるものがありました。涙が出る思いでした。父は残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で守ってくれたと感じました」

「私にとっては8月12日は、また安全を守っていかなければと再認識する、そういう一日かなと思います。父が残してくれたボイスレコーダーを聞き、新たにそう自分に言い聞かせています」

機長が守り続けたモノ――。それはお客さんの命であり、家族であり、機長の正義だった。

ついつい責任追及を恐れるあまり、自らのミッションから目を背けてしまうようなことが、現実にはある。見て見ぬふり、気付かないふり……、そんなことをしてしまうことだってある。

でも、自らの正義を信じ、自分たちを信じ、腹の底からマジメにミッションを徹底的に貫く。その覚悟ある行動が、ときに勘違いされたり、ときに受け入れられなかったりすることがあるかもしれない。でも、最後は必ず、分かってもらえるのではないだろうか。高濱機長がそうだったように……。123便のクルーがそうだったように、だ。

どんなすばらしい技術も、どんな安全な仕組みがあっても、最後は人――。

その“人”になれるかどうかが、ミッションで決まるのかもしれません。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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