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もはや増税延期の是非ではない、「財政ファイナンスを認めるのか」解散だ

小黒一正法政大学経済学部教授

「『タイタニック』という映画がある。超大型豪華客船の船底は氷山に衝突して傷ついている。徐々に浸水し、沈みゆく。しかし甲板では、船が傾き、沈没する可能性があることをわかっていながら、「損傷は小さく、この客船が沈むはずがない」という甘い認識があるのか、何事もないふりをして楽団が音楽を奏で続けている――。いまの日本財政の状況を見ていると、このシーンを思い出さずにはいられない。」

これは、緊急出版で近刊する拙著『財政危機の深層 増税・年金・赤字国債を問う』(NHK出版新書、2014年)からの引用である。

現在、政府の借金である政府債務が対GDP比で200%を超えている。政府債務の多くはいうまでもなく国債であり、これだけ大量の国債を発行すれば、国債価格が下落し、長期金利が上昇してもおかしくない。約1000兆円もの政府債務がある状況で、長期金利が急上昇すれば、借金の利払いも急増し、財政が危機的な状態に陥るのは明らかである。しかし、長期金利は1%を切る水準で低下している。

この理由は、アベノミクスの第一の矢、つまり日銀が異次元緩和(厳密には「量的緩和」)で大量の国債を市場から買い入れていることにある。「量的緩和」とは、中央銀行が「通貨量を増やす」という量的調整を行う非伝統的な金融政策のことを指す。量的緩和を実施するとき、例えば、中央銀行は民間金融機関から国債を買い入れ、民間金融機関に通貨を供給する。そうすると、市場に流通する国債が減るため、国債の価格は上昇し、長期金利は低下していくという理屈である。

しかも、2014年10月31日、日銀は年間のマネタリーベース(「日銀が供給する通貨」をいい、具体的には「現金通貨+中央銀行預け金の合計」をいう)の増加額を、約80兆円まで拡大(これまでより年間で約10~20兆円規模の拡大)することを発表した。2012年末に約130兆円(うち保有する長期国債は89兆円)だったマネタリーベースについて、2014年末に275兆円(同200兆円)に増やすことになる。

その際、これまで年間約50兆円のペースで増やすとしていた長期国債の保有残高が年間約80兆円に相当するペースで増加と、これまでよりもさらに約30兆円多いペースで増加するよう買い入れを行う予定である。長期国債を年間80兆円増やすには、日銀が保有する長期国債のうち償還分も買う必要があり、実質的な買い入れ総額(グロス)は110兆円程度になるはずだ。そして、長期国債の平均残存期間(満期になって償還されるまでの時間。デュレーションともいう)も現状の7年程度から7~10年程度に延長する。

だが、この異次元緩和には限界がある。なぜなら、このまま日銀が買い入れ額を増やしていけば、近い将来、市場で取引される国債は底を突くからだ。理由は単純である。大雑把であるが、財政赤字(新規の国債発行額)が約30兆円としよう。日銀が異次元緩和で市場から毎年約80兆円(グロスの買い入れ額約110兆円から償還分の約30兆円を除いたもの)の国債を買い入れると、金融機関が保有する国債のうち50兆円を日銀が吸収してしまう。2014年時点で国債発行残高は約800兆円で、すでに日銀は約200兆円の国債を保有しているから、単純な計算で約12年間[(800-200)兆円÷50兆円]で日銀はすべての国債を保有し、国債市場が干上がってしまうことになる。

もちろん今後の財政赤字の状況や、日銀以外の各保有者の動向によっても、結果は違ってくる。例えば生命保険会社等は、資産運用のために国債が必要だ。だから実際には、12年も待たないうちに国債市場は枯渇することになる。

そう考えると、今回の解散・総選挙の争点は「増税を1年半延期するか否か」を国民に問う解散・総選挙というよりも、むしろ「財政ファイナンスを容認するか否か」ということこそが大きな争点だと気づくはずだ。財政ファイナンスとは、財政赤字を穴埋めするため、日銀が国債を大量に買い取ることをいう。財政ファイナンスには2種類ある。

一つは、「中央銀行(日本では日本銀行)による国債の直接引き受け」だ。つまり、政府が発行した国債を、市場を介さずに日銀に買ってもらうことを指す。それによって当面の国債の償還財源を確保するわけだ。つまり、「国債と引き替えに、中央銀行がお札を刷って政府に渡す」ということである。そんなことが許されれば、市中にお札があふれ、その国のお札に対する信頼は失われてしまう。急速にお札の価値が下がっていき、結果的に高インフレーションが引き起こされる可能性が高まる。そうなると、もう中央銀行も物価をコントロールすることは容易ではない。このような状況は国民の経済生活が劇的に脅かされる事態であるから、中央銀行の国債直接引き受けは、財政法第5条で原則禁じられている。

もう一つは、上記で説明したように、「節度を失った量的緩和」による財政ファイナンスである。もっとも公式には、日銀はデフレ脱却を目的に異次元緩和を行っている。例えば、2014年11月12日の衆院財務金融委員会において、日銀の黒田総裁は「大量の国債購入はあくまでも金融政策運営上、2%の物価安定の目標を実現するために必要な手段として行っているものであり、財政ファイナンスを目的にしてない」旨の答弁を行っている。しかし、早稲田大学ファイナンス総合研究所の野口悠紀雄・顧問やBNPパリバ証券の河野龍太郎・経済調査本部長らも指摘するように、実質的には財政ファイナンスになっている蓋然性が高い。

なお、このような状況の中、安倍首相は2014年11月18日、経済成長の下振れ懸念が強まったと判断し、消費増税の一年半延期を問うための衆議院の解散を正式表明した。増税延期の是非を巡ってマスコミ等では議論が盛り上がってきているが、日銀の異次元緩和と同様、財政危機を回避するのに残された時間はそれほど長くないという現実を深く認識することも重要である。つまり、財政の限界である。

米国のアトランタ連銀のブラウン氏らの研究(Braun and Joines, 2011)は、政府債務(対GDP)を発散させないために、消費税率を100%に上げざるを得なくなる限界の年を計算している。結果は消費税率が10%のままならば2032年まで、消費税率が5%のケースでは2028年まで。ブラウン氏らは試算していないが、消費税率が8%のケースでは「2030年」頃が限界の年となるはずだ。そもそも消費税率を100%にすることは現実的には不可能だろう。ならば、これらの限界年は、その後、どんなに財政再建の努力を行っても財政破綻を防ぐことはできない限界の期限を示していることになる。

また、そもそも今回の増税は「止血剤」に過ぎず、財政を安定化(対GDPでの政府債務を発散させずに、一定比率に安定化)させるには、消費税率は20%を超えるという現実も重要である。現在の議論には以下の視点が欠けている。まず、再増税が遅れれば財政的に同じ効果を持つ税率引き上げ幅は2%(10%-8%)より大きくなる。財政を安定させるためには、最終的にどの程度の税率が必要なのか、も議論されていない。

詳細は近刊する拙著『財政危機の深層増税・年金・赤字国債を問う』(NHK出版新書、2014年)をご覧頂きたいが、米アトランタ連銀のアントン・ブラウン氏らの研究は次の可能性を示唆している――日本がデフレから脱却し2%のインフレを実現した場合でも、今後5年おきに段階的に消費税率を5%ずつ引き上げていき、ピーク時の税率を32%にしなければならない。このシナリオは年金給付などの削減など、相当厳しい状況を前提としている。増税スケジュールを遅らせれば、ピーク時の税率が急上昇し、若い世代や将来世代の負担が増す可能性がある。消費税率を10%に引き上げる痛みを先送りすれば、将来の痛みはずっと大きいのだ。そして、財政規律が失われれば、完全な財政ファイナンスになることはいうまでもない。

いずれにせよ、財政再建には3つの手法しかない。増税、歳出削減、経済成長の3つだ。この中で、痛みを伴わないのは経済成長による財政再建である。ただし、国民所得を拡大するために経済成長は重要であるが、経済成長に頼る財政再建はギャンブルである。そうすると、財政を再建するには、増税や歳出削減を進めるしかない。

つまり、再増税を巡る対立の本質は「実施 vs 延期」ではなく、本当の対立軸は「いまの痛みか vs 近い将来のより大きな痛みか」という選択なのだ。

法政大学経済学部教授

1974年東京生まれ。法政大学経済学部教授。97年4月大蔵省(現財務省)入省後、財務総合政策研究所主任研究官、一橋大学経済研究所准教授等を経て2015年4月から現職。一橋大学博士(経済学)。専門は公共経済学。著書に『日本経済の再構築』(単著/日本経済新聞出版社)、『薬価の経済学』(共著/日本経済新聞出版社)など。

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