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【データで検証】1995年に野茂投手がドジャースにもたらしたもの

菊地慶剛スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師
野茂英雄投手の登場は間違いなくMLBの歴史に新たな1ページを加えた(写真:築田純/アフロスポーツ)

確か日本のメディアでも報じられていたと思うが、先月末に米国のスポーツ専門サイトの「Sporting News」が以下のような記事を配信したのをご記憶だろうか。

The 40 most important people in baseball history, ranked

邦題をつけるならば、「野球史上最も重要な人物ベスト40」とでも訳せばいいだろう。あくまで記者の個人的意見とはいえ、米国の野球史に大きなインパクトを与えた人物が選ばれる中で、日本人で唯一、野茂英雄投手が37位にランクインする快挙を成し遂げたのだ。

選考理由は、村上雅則投手に次ぐ史上2人目の日本人MLB選手となり、パイオニアとしてその後に続くことになったイチロー選手、松井秀喜選手、ダルビッシュ有投手らの橋渡し役を担った、というものだ。

確かにその通りなのだが、もし野茂投手が1年目の1995年シーズンに一大旋風を巻き起こすような活躍ができず、平凡な成績しか残せていなかったなら、今とはまったく違ったストーリーになっていただろう。それほど当時の野茂投手がもたらしたインパクトは、米国内を熱狂させるものだった。

あれから21年が経過し、当時の状況が語られる機会はめっきり少なくなり、リアルタイムで目撃していない若者も増えてきた。そこで今回は、現場で取材していた記者の1人として、データを使いながら「ノモマニア」旋風を改めて検証してみたい。

野茂投手がドジャースと契約した1995年2月は、MLBと選手会が労使交渉が進展せず前年から続くストライキの真っ直中だった。そのためメジャー契約は許されず、マイナー契約で入団。そのままマイナー選手としてキャンプ参加中にようやくストライキが解除となり、1ヶ月遅れながらシーズン開幕を迎え、野茂投手も晴れてメジャー選手の仲間入りをすることができた。

しかし当時も人気チームだったドジャースといえども、長期ストライキによるファンの反応は冷ややかなものだった。ストライキ前までの1994年シーズンは平均観客動員がリーグ3位の4万1443人を誇っていたが、再開後は本拠地開幕戦で5万を突破したものの、徐々に観客は減っていき、4万人を超えることもほとんどない状態だった。

実は野茂投手が登板した試合も、最初の頃はファンが大挙して集まった訳ではなかった。本拠地で投げた最初の4試合の観客動員は3万4159人、2万8164人、3万1002人、3万6694人─程度のものだった。日本からやってきた完全に未知数の投手に対するファンの関心が低いのも、当然といえば当然だった。

それが6月中盤から、状況は一変することになる。6月2日のメッツ戦で自身メジャー初勝利を挙げると、そこから連勝街道に突入する。まず14日の適地パイレーツ戦で16奪三振(シーズン最多)で3連勝を飾ると、真っ直ぐとフォークで次々に三振を奪う野茂投手への注目度は一気に急上昇。連勝を4に伸ばし遠征から戻った24日のジャイアンツ戦には、遂に野茂投手を見るために5万3551人のファンが集結。5万人を突破したのは開幕戦以来の出来事だった。

この試合で13三振を奪う好投で初完封勝利を飾りファンをさらに熱狂させると、続く29日の地元ロッキーズ戦でも再び13奪三振で連続完封を達成。もう誰も野茂投手の実力を疑うものはなく、1980年代にドジャースで一大旋風を巻き起こしたフェルナンド・バレンズエラ投手の再来と大騒ぎとなった。ここから地元LAは「ノモマニア」旋風に包まれた。

オールスター戦に選出され先発投手を務めると、シーズン後半戦もファンの熱狂ぶりは留まることを知らなかった。後半戦は本拠地で8試合に登板し、5万人以上の集客3回、4万人以上の集客3回を記録することとなった。

この年ドジャースは5万人を突破した試合が8試合あったが、そのうち4試合が野茂投手の登板試合。しかも残り4試合は開幕戦とシーズン終盤の地区首位争いによる2試合が含まれることを考えれば、野茂投手1人でどれほどファンを球場に呼び寄せていたかが理解できるだろう。

さらにノモマニア旋風はLAのみならず全国へと波及していった。シーズン後半は遠征先の試合前に、相手チーム担当のメディアのために記者会見がセットアップされるようになった。場所は変わるものの同じ内容の質問が繰り返され、野茂投手も辟易するほどの人気ぶりだった。この頃になると、米国メディア全体の関心事となっていた。

長期ストライキの影響はドジャースに限らず多くのチームに及んでいた。それを物語るように、この年のドジャースの平均観客動員は3万8420人と前年より落ち込んでいるにも関わらず、リーグ2位にランクしているのだ。ちなみに6月27日以来野茂投手が登板した本拠地試合で平均を下回ったのは3万8286人だった9月19日のジャイアンツ戦しかなかった。

これだけファンを魅了する活躍があったからこそ、日本で野茂投手と対戦していた日本人選手たちがMLBをより身近な存在に感じ取れるようになり、続々と野茂投手の後を追うことになった。

だが野茂投手は単に日本人選手とMLBの橋渡しになっただけでない。今でも「長期ストライキ後の低迷するMLBを救った男」と称されるように、1990年代後半のマーク・マグワイア選手、サミー・ソーサ選手の本塁打競争による人気復活までの低迷期を支えた主要選手でもあったのだ。

残念ながら通算成績では殿堂入りは叶わなかったが、野茂投手のMLBデビュー当初のインパクトは今後も記憶に残り続けるべきものであるはずだ。

スポーツライター/近畿大学・大阪国際大学非常勤講師

1993年から米国を拠点にライター活動を開始。95年の野茂投手のドジャース入りで本格的なスポーツ取材を始め、20年以上に渡り米国の4大プロスポーツをはじめ様々な競技のスポーツ取材を経験する。また取材を通じて多くの一流アスリートと交流しながらスポーツが持つ魅力、可能性を認識し、社会におけるスポーツが果たすべき役割を研究テーマにする。2017年から日本に拠点を移し取材活動を続ける傍ら、非常勤講師として近畿大学で教壇に立ち大学アスリートを対象にスポーツについて論じる。在米中は取材や個人旅行で全50州に足を運び、各地事情にも精通している。

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