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「一流の脇役」人生をまっとうした宮本慎也の意外なこだわり

菊田康彦フリーランスライター

背番号6が6度宙に舞いました。東京ヤクルトスワローズ一筋に19年間プレーし、今シーズン限りで現役生活にピリオドを打つ宮本慎也選手が、最終戦となった10月8日の巨人戦(東京ドーム)終了後に、ヤクルトのみならず巨人の選手からも胴上げされてグラウンドを去りました。

4日の引退試合では宮本のメッセージ入りの「特製応援ボード」がファンに配られた
4日の引退試合では宮本のメッセージ入りの「特製応援ボード」がファンに配られた

宮本選手は10月4日に本拠地・神宮球場でのラストゲームで引退試合を行った後は、6日の広島戦(マツダ)、そしてこの8日の巨人戦にはコーチとしてベンチ入り。この日の試合前に巨人の阿部慎之助選手から花束を贈られましたが、試合後にはヤクルト、巨人両軍ナインによる“合同胴上げ”で送り出され、「神宮(の引退試合)で泣かないで、東京ドームで泣いたらどうしようかと思いました」と冗談めかしながらも「(阿部)慎之助と(相川)亮二で話してやってくれたみたいですけど、嬉しかったですね」と感激した様子でした。

「一流の脇役」を象徴する記録

ヤクルト入団時の監督だった野村克也氏に言われて「一流の脇役」を目指してきたという宮本選手には、打撃でそれを象徴するような記録があります。通算2133安打(歴代24位)、同408犠打(歴代3位)。2000安打と400犠打をともにクリアしたのは、80年近いプロ野球の歴史の中でも宮本選手のほかにはいません。メジャーリーグには通算3315安打、同512犠打を記録したエディー・コリンズという選手がいますが、コリンズがプレーしていたのはまだ犠打と犠飛が区別される前の時代であり、それ以降で「2000安打&400犠打」を達成したのは日米でも宮本選手ただ1人ということになります。

実は昨年、通算2000安打を達成した宮本選手に、目前に迫っていた通算400犠打に対する想いを聞いたことがあります。すると…

「うーん、送りバントには興味がないのであんまり…。もちろん、それ(バント)をしないと試合に出られなかったんですけどね。でも、僕はバント(のサイン)を出されないように頑張って練習をしてきたつもりなんで、400(犠打)がどうこうという意識はまったくないんですよ」

正直、驚きました。ヤクルトが最後に日本一になった2001年には、今も日本記録として残るシーズン67犠打をマークしたバントの名手が、犠打の記録には思い入れがまったくないというのです。確かに状況に応じたバッティングが身上の宮本選手なら、バントをしなくても、必要ならば巧みな右打ちなどで高い確率で走者を進めてくれるはずです。サインを出さなくても、宮本なら最低限ランナーを進めてくれる──そうベンチに思われるのが、「一流の脇役」としての理想だったのでしょう。

実際、日本ほど送りバントが多用されないメジャーリーグなら、ここまで犠打が多くなることはなかったはずです。ですが、日本の野球というのはアメリカと違い、確実に1点を取りにいくのが主流。歴代の監督も、宮本選手ならバントでなくてもかなりの確率でランナーを進めてくれると分かっていても、2001年には9割5分に迫る犠打成功率を記録した宮本選手だからこそ、100%近い確率で成功する戦術を選ぶことが多くなったのでしょう。

「バントを出されないように頑張った」男のこだわり

4日の引退試合に先立ち、ヤクルトの小川淳司監督は「走者が出たら送りバントをさせるかどうかは、慎也と話して決める」と言っていましたが、無死一塁と送りバントには絶好のシチュエーションが訪れても、サインが出ることはありませんでした。そのあたりを後日、宮本選手に聞いてみると「試合の中でここはランナーを進めたいということなら(サインを)出してもらってかまわないですけど、お客さんに見せたいとかそういうことなら打たせてくださいと言いました」とのこと。そこら辺りも「バントを出されないように頑張った」宮本選手ならではの、こだわりがあったようです。

ちなみにその「無死一塁」の場面、打席に立った宮本選手はランナーが二塁に盗塁したところで、カウント0-2から一塁にゴロを転がしてキッチリと三塁に進めています。ヒットこそ出ませんでしたが、かつての定位置であるショートの守りとともに、打つほうでも最後まで“らしさ”を見せてくれました。

その宮本選手も、来シーズンはもうヤクルトにはいません。小川監督も「彼みたいな存在っていうのはなかなか出てこないと思う」と話していますが、選手としてだけでなく「精神的支柱」としてもチームを支えてきたベテランの穴をどう埋めるのか。最下位からの巻き返しを目指すヤクルトにとっては、大きな課題になりそうです。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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