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元西武・星秀和引退、決め手は巨人・片岡との沖縄トレ

菊田康彦フリーランスライター

2014年も残すところあとわずかとなった昨年12月27日。プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグ、群馬ダイヤモンドペガサスの公式ホームページに、ある「お知らせ」が掲載されました。それは2013年まで埼玉西武ライオンズでプレーし、昨年は外野手兼打撃コーチ補佐として同球団に所属していた星秀和選手の退団を告げるものでした。

実は星選手から現役を引退すると知らされたのは、その3日ほど前のことでした。11月のトライアウトの時点では、現役続行に意欲を見せていたはず。いったいどんな心境の変化があったのか、年が明けて改めて本人に直撃してみました。

海外でのプレーを模索、具体的な条件提示も

NPB9年、独立リーグ1年の現役生活にピリオドを打った元西武・星
NPB9年、独立リーグ1年の現役生活にピリオドを打った元西武・星

「やるつもりだったんですよ。少なくともトライアウトの時点では、そう思っていました」

静岡・草薙球場での12球団合同トライアウト以来、約2カ月ぶりに会った星選手は、いつもどおりの人懐こい笑顔でそう切り出しました。聞けば昨年のトライアウト後、望んでいたNPBの球団からのオファーはなかったそうです。

「クラブチームや社会人のチームからは声をかけていただいたんですけど、どうしてもプロでという想いがあったんで、まずは韓国、台湾から探り始めたんです。でも、どちらも厳しそうだという話で……。あとはドイツやフランスのヨーロッパリーグですね。ライオンズの先輩のG.G.佐藤さんがいたイタリアもあるんですけど、あそこも今は敷居が高くなっちゃって、日本でもある程度名前のある選手じゃないと獲ってくれないらしいです。そこで選択肢が削られてフランス、ドイツ……でも条件は悪くなかったんですよ。渡航費から住むところから面倒見てくれて、自由に動かせるお金が日本円で10万円くらい。ミールマネー(食事代)も出るし、だったらいいかなと思ったんですよ。エージェントを通して、そういう具体的な条件も話したんです」

昨年11月で28歳になった星選手ですが、幸いにして(?)いまだ身軽な独り身。単身で見知らぬ場所に飛び込んで、野球をやってみるのも悪くないと思ったそうです。しかし──。

沖縄で気づいた「練習に身が入らない自分」

「12月の中旬ぐらいに、西武時代の同期入団で、今は巨人にいる片岡(治大)さんに『来年もやるでしょ? だったら沖縄で自主トレやるから、一緒に来いよ』って言っていただいたんで、ついて行ったんです。そこで片岡さんと、あとライオンズで去年ルーキーだった金子(一輝)って選手と一緒にやったんですけど……なんかね、全然ダメだったんですよ」

全然ダメとは? 一昨年の10月に手術した右ヒジの痛みが再発したのでしょうか? それともハードな練習メニューについていけなかったのでしょうか? いや、そのどちらでもありませんでした。

「何がダメかって、まったく気持ちが入らなかったんです。トライアウトの時点では、別に(NPB球団から)声がかからなくても野球するのは楽しいし、好きだし、もう1、2年、自分に区切りがつくまでできたらいいなと思ってたんですよ。だからチームを探してたんですけど、いざ第一線でやってる片岡さんとか、『これからバリバリ頑張ります!』みたいな金子くんと一緒にやった時に、全然目標がない自分に気づいちゃったんですよ。『オレ、なんで頑張ってるんだろ……』って」

11月のトライアウトではいきなりホームランを放ちました。ヒットも打ちました。ヒジの状態が万全であることもアピールできました。それでも、契約をオファーするNPBの球団はありませんでした。今年1年、仮に海外でプレーしたとしても、NPBで2年のブランクがある選手にオファーを出す球団が現れる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。それを分かったうえで、現役を続けるつもりだったそうですが……。

「もう目標がないんで、海外に行くのってただ『楽しみたい』みたいな感じなんですよね、僕的には。それでも好きだからって野球を続けている方もいっぱいいるし、僕もそれをやろうとしてたんです。でもね、沖縄で“一流”と一緒にやった時に、練習に身が入らない自分に気づいちゃったんです。練習メニューについていけないとかじゃなくて、どこかで手を抜いている自分が気持ち悪くて……。たとえば筋トレしてても、今までだったら10回やったらもう1回!って思ったはずなんです。『あと1回やったらヒット1本打てるんじゃないか』って頑張れたんですけど、そのもうひと頑張りが効かないんですよ。全然できない。力が入らない」

小学生の頃から練習に明け暮れ、憧れのプロ野球選手になった星選手にとって、それは初めての“経験”でした。

「僕は一軍でバリバリやってた時期も短いし、どっちかって言えば練習の期間のほうがずっと長かったわけです。もう小さい頃から練習ばっかりのこの野球人生において、練習に身が入らなかったのは初めてだったです。それに気づいちゃったんですよ、沖縄で。もし、このままやったらグダグダになるなって。それでも楽しいから、来年も野球をやっちゃったら、たぶんその次の年もやっちゃう。そして、たぶんその次も……。でも、可能性がないまま続けても、成長はできないなっていうイメージだったんです。だったらここで区切りをつけないと、落としどころがなくなっちゃうなって」

再出発は西武時代の先輩、G.G.佐藤氏のいる会社で

沖縄で現役引退を決意し、それを片岡選手に告げたのは帰京する前日のことだったそうです。

「12月の20日ぐらいですね、帰る前の日だったんで。片岡さんも驚いてましたけどね。『え、辞めるの? じゃあなんで来たの?』みたいな(笑)。だから『いや、やるつもりだったんです』って言って経緯を説明したら分かってくれて……だから、片岡さんには『ホントにありがとうございました!』って。『沖縄に呼んでもらえなかったら(来年も現役で)やっちゃってたかもしれないです。それじゃ遅かったかもしれないです。感謝してます』って」

ユニフォームを脱ぐと決めた星選手は、沖縄からある人物に連絡を入れます。その人物とは──。

「沖縄に行く前にG.G.佐藤さんに相談した時に、会社に誘ってもらってたんですよ。だから電話で『決めました』って言って、お世話になることにしたんです」

星選手にとっては西武時代の先輩であり、プロ1年目の春季キャンプでルームメイトでもあった「G.G.佐藤」こと佐藤隆彦氏は、昨年限りで千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受け、サラリーマンとして第二の人生を歩み始めたばかり。その佐藤氏が勤める、住宅建設に必要な測量や地盤調査などを行う会社、株式会社トラバースに星選手も入社することを決めたそうです。

「ほかにもいろいろ話はいただいてたんですけど、決め手はG.G.佐藤さんなんです。プロでけっこういろんな人にお世話になった中で、G.G.さんには特にお世話になったんですよね。会社には『すぐ来てくれ』って言われたんですけど、いろいろ心配してくれた人や声をかけてくれた人に直接会って『引退します。今度はこういうところで働きます』っていうのを説明しなくちゃいけなかったんで、1月中は時間をもらったんですよ。だから2月から働くんですけどね」

佐藤氏の父親が社長をしているというトラバースには、星選手のほかに、やはり昨年限りで北海道日本ハムファイターズを戦力外になった尾崎匡哉選手も、既に入社しているそうです。

「会社に野球部ができたんです。G.G.さんがいるし、尾崎さんもいるし、僕もいる。あと独立リーグにいた方もいるらしいんですよ。強そうでしょ? 楽しむ野球ならそっちでいいかって。だから、これからはガンガン働いて、会社をもっとデカくしていきますよ!」

まずは現場での研修を経て、ゆくゆくは営業の仕事に就くという星選手。冗談めかしながらも「周りで家を建てるという人がいたら、ぜひ紹介してくださいね」と話す表情は、早くも営業マンのようになっていました。

「小学校から目標にしてきた、日本では一番レベルの高いところで野球ができたし、そこでいろんな人に出会えたっていうのが、これからの人生でも一番の財産になると思います。もちろん野球で学んだことはありますけど、野球をやっていたから出会えた人がいっぱいいたんでそれに感謝しています。ファンの方にも感謝しかないです」

NPB9年、独立リーグ1年の現役生活にピリオドを打った星選手──いや、これからは「星さん」になりますが、その第二の人生に心からのエールを送りたいと思います。

フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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