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「逃げ恥」、原作漫画もついに完結。ドラマ効果で、単行本が電子+紙で累計210万部突破

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
講談社 Kiss 2017年2月号 来年は日本テレビで「東京タラレバ娘」ドラマ化される
講談社 Kiss 2017年2月号 来年は日本テレビで「東京タラレバ娘」ドラマ化される

契約結婚を描き、社会現象化したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS金曜よる10時〜/以下「逃げ恥」)。12月20日(火)に最終回を迎えたドラマより数日遅れの12月24日、クリスマスイブに、原作漫画(講談社「kiss」2017年2月号に収録)も、2012年からはじまった連載を終えた。

漫画の最終回を読んで、ドラマと原作について改めて考察してみたい。

ドラマでの大河ドラマ「真田丸」のパロディと呼応するような仕掛けもあった原作の最終回。ドラマでは主人公みくり(新垣結衣)がかかわった青空市が重要な舞台となったが、原作ではそこは最終回のやや前に登場してしまっている。原作の最終回のひとつ前の回(じつはここの扉が原作者による「真田丸」オマージュになっている)は、閉経した50代の高齢処女(美人で仕事はできる)・主人公の叔母・百合(石田ゆり子)が17歳年下の男・風見(大谷亮平)と肉体関係になる可能性が・・・というところで終わり、最終回は、その百合をはじめ、肝心のみくりと契約上の夫・平匡(星野源)と彼女たちをとりまく人々の進む道が愛情込めて描かれている。

ドラマではみくりと平匡の仕事に関する部分を描き残して終わっていて、漫画では、そのみくりの就職と平匡の転職と、ふたりの新たな関係性と、例のゆりのエピソードなど、今後、スペシャルドラマやシーズン2などを作ることを可能にするのりしろある最終回だった気がする。

脚本家の野木亜紀子はそう簡単に続編はできるものではないというようなことをTwitterで書いていたが、これだけ人気となると、テレビ局的に下心が芽生えないはずもないだろう。

ドラマがはじまったとき、あまりの面白さに星野源の主題歌「恋」の歌詞に掛けて「このまま、3話、4話と1話を超えてゆけ〜♪ 2話を超えてゆけ〜♪ という感じでグイグイ注目されていくといいなと思う」と記事に書いたこともあったが、毎回毎回超えて超えて最終回は視聴率20.8%となった(初回は10.2%だった)のは観てるほうも気持ちよかった。

原作もドラマの勢いに乗って、単行本の売上も右肩上がりで、最終回の扉ページには「重版続々、電子+紙で(既刊1〜8巻まで)累計210万部突破」とあり、毎日新聞では「ドラマの放送がスタートした10月だけで、電子版の配信開始から今年9月までの約2年半の売り上げに相当する」と書かれている。

多々ある成功要因のなかでも、やっぱり原作の出来の良さが大きい。作家・海野つなみは、デビュー20年以上のベテランだが過去ここまで大注目されたことはなかった。よく「(内容が時代より)早過ぎる」と言われるという海野の才能がここへ来てたくさんの人に認知されたことは喜ばしい。

TBS ラジオで12月4日に放送された「『逃げるは恥だが役に立つ』大好きジェーン・スーが、原作漫画家・海野つなみ先生に恥を承知で聞いてきた! 特番」で、ジェーン・スーが「10年前に読んでいたら」のようなことを言ったことに対して「10年前なら受け入れられていただろうか」と冷静に分析していた。

「逃げ恥」を時代にちょうど合ったものとして、ドラマの初回の強烈なつかみにもなったのが「契約結婚」の設定だった。これについては、いろいろな記事でさんざん書かれていて説明するまでもないが、念のため書くと、主人公のみくりが、平匡に給料をもらって妻の仕事(家事)をする契約を結ぶ。就職がうまくいかない逃げ道としてはじまった異例の結婚形態だったが、やがてみくりと平匡は仕事を超えた好意を感じはじめ、通常の結婚形態に進化しようとする。が、そのとき、みくりは給料をもらわなくなったとき家事をどうするかという問題に直面。それは「好きの搾取」ではないかという考え方がドラマをさらに盛り上げた(最終回の前10話、視聴率は17.1%)。

海野は単行本のあとがきで、この作品のジャンルが、読者(視聴者)から「仕事もの」と「恋愛もの」のふたつに分かれて捉えられていたと書いている。「結婚」を「仕事」として捉えることで「仕事もの」にもなり、男女が出会い紆余曲折を経て結婚という流れから「恋愛もの」にも成り得たのだ。

原作の最終回は、「仕事もの」としての役割も十分に果たしていたが、ドラマは、前述の「好きの搾取」問題に沸いたとはいえ、中盤以降「恋愛ものに」のほうに重きを置いたと見える。その証拠に最終回で、「好きの搾取」問題について平匡と話し合うときのみくりが全11話のなかでもっとも魅力的でないという感想がTwitterにあがっていたし、みくりと平匡が冷静に論理的にお互いの立場について議論を交わすことよりも、ハグしたり、恋人(手)つなぎしたりする場面を期待している視聴者の気持ちを代弁した「新垣結衣&星野源「逃げ恥」最終回に漂った”コレジャナイ感”」などという記事も書かれた。

原作者が言う「ムズキュン」(なかなかうまくいかないもどかしさにキュンとする)がドラマの人気要素にだった一方で、社会学者の上野千鶴子が契約結婚の内容に言及するほど、社会問題を盛り込んだ興味深いドラマとして真面目に論じられることも多かった。要するに「仕事もの」であり「恋愛もの」である、いいとこどりをしたことで、ドラマの視聴者層が広がった。

原作漫画は、最終回もそうなのだがわりと淡々としている。このノリでドラマをやっていたら、おそらく2015年にフジテレビの月9「デート〜恋とはどんなものかしら〜」(古沢良太脚本)のように、平均12.5%、最高14.8%程度だったのではないだろうか。「デート」は、恋愛下手な男女(杏、長谷川博己)が結婚するまでに様々な試行錯誤を行う物語で、結婚にあたって契約(性交渉の回数なども)を結ぼうとするエピソードもあり、これまでの恋愛ドラマにない論理的なアプローチが面白く、古沢はこのドラマで橋田賞も受賞したが、「逃げ恥」のようなエモーショナルな要素がやや不足していた。そもそもそういうものに欠けている人間がどう男女関係を構築していくかという、「デート」はどちらかというと原作の「逃げ恥」に近い。

その点、ドラマ「逃げ恥」は、脚本家の野木亜紀子と、「木更津キャッツアイ」など宮藤官九郎脚本ドラマの演出を多く手がけてきた金子文紀をメイン演出家として、サブ演出家に「重版出来!!」、映画「ビリギャル」の土井裕泰と「花より男子」の石井康晴という、TBSの40〜50代の脂の乗り切ったヒット演出家たちによって、原作のエッヂ過ぎる部分をやや削り、原作のもつ多様性を生かしていろいろなタイプの人にアプローチするものにした。彼らの才能に関しては、前述の記事、「ガッキーがかわいいだけじゃない! ドラマ『逃げ恥』に光る原作・脚本・配役・TBSの総合力」で書いた。

原作に関しては、野木自身がTwitterでこう書いている。

あんまり小ネタ小ネタ言ってると何か誤解されそうと勝手に心配してつぶやきますが、逃げ恥原作はドラマよりも思考実験的要素が強い理知的な漫画です。ドラマではそうした要素を、メインストーリーに絡む必要最小限しか描いていないので、読むとそのあたりも楽しめると思います。

原作を深く読み込みながら、巧みに中身をカットペースト及び一部オリジナルな部分を加えて、11話にまとめた野木の脚本の中でも白眉だったのが、みくりと平匡が悩む「自尊感情」という心理学用語を、「新世紀エヴァンゲリオン」のパロディにしてとっつき易くしたことだ。自尊感情によって他者とのコミュニケーションがうまくいかない悩みはエヴァが描き続けてきた内容だ。

エヴァは、ことのほか「逃げ恥」の世界と親和性があり、これをもとに評論を書く人たちもいた。女性向け恋愛漫画とエヴァのマリアージュの親和性は、監督の庵野秀明が、エヴァのあとでアニメ化した少女漫画「彼氏彼女の事情」(「カレカノ」/原作:津田雅美、96年〜05年/アニメは98〜99年)によって強固となる。「カレカノ」もまた少年少女が接近することによって、それまでずっと隠していた心の弱さが露呈してしまうことを恐れて心を閉ざしてしまう話だった。みくりの元カレをシンジ君やカヲル君にしたりして人気作を釣り餌にしているように見せながら、「エヴァ」と「逃げ恥」の間にある「カレカノ」の存在までも、野木の知性と感性はすくいあげたように思う。

その他、「情熱大陸」から「新婚さんいらっしゃい!」まで様々なテレビ番組のパロディを、原作にあるものないもの各種取り入れるなどして、ドラマ「逃げ恥」は、視聴者より決して遠く先に行き過ぎないように心がけていたように感じる。例えば、もはやWヒロインのようになっていった百合に関して50代の性や出産の問題にまでは突き詰めず(もっとも性欲に関しては原作でもあまり触れられず単行本の寄稿イラストで久保ミツロウが指摘しているのみ)、大学時代の友人(岡田浩暉)との再会エピソードを描き、そこにユーミンの楽曲を流したり、月9の「101回目のプロポーズ」(91年)を思い出させるような平匡が車に轢かれそうになる場面をつくったりして、ひと昔まえに流行った恋愛ドラマ風味を意識したことが、とっつきやすさになっていた。みくりや平匡の仕事の話を原作のようにもう少し描いてほしかったとも思うが、恋愛のほうに絞ったのも視聴率をとるうえでは正しい選択だったのだろう。

また、原作では、みくりがおじやをつくるとき、めんつゆで済ますが、ドラマではCMの関係もあるのだろうが「白だし」を使う。また、ベランダにやってくる2羽のジュウシマツのつがいの睦まじさを、みくりと平匡に重なるように演出しているのも効果的。世の中、恋愛しない人が増えているといっても、まだまだ恋愛という「キュン」や「優しさ」に反応する人がドラマの視聴者には多いという最たるものは、恋ダンスで、これも大いに盛り上がったが、うまいのは、理屈と言葉で押しきってしまいがちな(原作や「デート」のように)、この作品の男女の結婚のあり方の中に潜む「ムズキュン」と称された快楽という本能の出口を、エンディングで踊っちゃう! という身体性にもっていったことだろう。ドラマスタッフ、なかなかに小賢しい。

原作もドラマもみくりは己の「小賢しさ」に悩んでいたが、彼女のように、生粋のテレビ屋(蔑称ではない、敬称として)たちは小賢しい仕掛けをたくさん用いて、それが、ドラマ「逃げ恥」を秀作として小さくまとまらせず大きく爆発させた。もともと大ヒット作だったわけでない原作と、決して人気枠だったわけでなかった火曜10時のドラマが、みくりと平匡のように共闘して突破口をみつけた、マリアージュ成功作だ。

原作はkiss 4月号で番外編(百合と風見の話らしい)が掲載される予定。最終巻がまとまるのも楽しみだ。

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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