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『“二刀流”の中で覗かせた大谷翔平投手の投球課題』

木村公一スポーツライター・作家

4月11日、大谷翔平投手の千葉でのイースタン初先発ゲームの投球を観た。結果は新聞各紙が報じているように、あまり芳しいものではなかった。前回、3月28日のイースタン・西武戦での中継ぎ(東京ドーム)を、かりに「9」とするなら、この日は「4」くらいだろうか。中継ぎと先発など違いは多くあるものの、その差は歴然としていた。球速はMAXで152キロ出ていたようだが、ほとんど空振りは取れない。「140キロ台でも伸びとキレがあれば空振りが取れる」というのは野球でよく言われることだ。藤川球児の絶好調時でも153キロ程度だったが、指から放たれたボールは低めから浮き上がるように感じられ(物理的に浮き上がることはないとされるが)、打者のバットの上を行く伸びを見せた。大谷も、東京ドームでは抜群の投球だった。数字ばかり出すのは好きではないが、常時球速150キロ台半ばのストレートは、まさに伸びと威力に満ちたものだった。極めつけは最後の打者、嶋基宏に投じたスライダーだ。ど真ん中近くに投じられたにもかかわらず、嶋は瞬間、避けようと反応した。それほどの鋭い曲がりの、圧巻のスライダー。「金を払ってでも観たい」と思わせるストレートとスライダーだった。しかし、この千葉ではそのスライダーも3球程度投げたようだが、鋭さは拝めなかった。

大谷投手の今の課題

なにがいけなかったのか。さまざまな評者がそれぞれの視点で語っているので、ここではごく基本的、技術的なポイントに着目してみた。

それは「投球のばらつき」だ。多くのボールが抜け、ときに引っかかる。本人は登板後に、「先発だから、数イニングを投げるため力まず投げようとした」と述べたが、東京ドームでもばらつきは目立った。この千葉でも、初先発による緊張を差し引いても、投球フォームが定まっていないのは明らかだった。だから低めにも投げきれない。意識して低めに投げようと意識しすぎると上体に頼りがちとなり、手投げになる。不思議とそうした投球は、球速ほど見た目速く感じられないという。だから、打たれる。いささか乱暴だが、この日の投球はそんな感じだった。

ではなぜフォームが定まらないのか?

要因のひとつは、体重がボールに載り切っていないように感じられた点にある、と思った。

投球とは……。なにやら教科書的で恐縮だが……まず両足でマウンドをグッと踏み込み、そこから軸足に体重を移動させ(投手によっては、ここで“大地のパワーを最大限に身体に取り込む”という表現をしたりする)、載り切ったところでそのパワーを上体に移し、肩から腕、そして指へと集約させ、初めてボールをリリースする。その一連の動作を、上半身と下半身のバランスを崩すことなく、コマが廻るようななめらかな回転の中で行う。それが投球の「原則」だ。工藤公康氏だったか「バランスよく、スムースな体重移動さえ出来ていれば、腕は自然と前で振れ、意識せずとも勝手にボールは手から離れて捕手の構える低めにいく」と言っていた。

その点、大谷は教科書に加えても良いほど素晴らしいフォームを有している。テイクバックなど、ダルビッシュを彷彿とさせもする。

ただし、この日にも現れていたが、体重が載り切らないで投げてしまう傾向がある。その証左が、軸足がプレートから離れるタイミングだ。写真では解りづらいため、スロービデオを撮ってみました。拙い映像ですが、彼の右足がプレートから離れる瞬間をご覧いただきたい。

彼の好調時、そして多くの優れた投手の場合、この軸足(右足)の足先がプレートから離れるとき、パッと離れるのではなく“ズルズル~”と擦れるがごとき動きでもって離れる。要は、それだけ体重が軸足に残っている証。ほんのわずか、時間にすればコンマ単位か。これだってスローで見れば、決して悪いというレベルではない。しかし、もうほんのわずかでも軸足がプレート板=大地に着いていれば、ボールに体重が載り切り、球威を生む。そしてなにより、安定した投球フォームを支えることになる。

課題は“単純”。だが……

大谷という投手が試合中に気づき、意識して軸足に体重を残して投球出来ればなんの問題もない。素晴らしいことだ。

だが解っていても、下半身に粘りがなければ、修正のしようもない。その克服方法はトレーニング。鍛えること、のみだ。他ならぬ走り込みである。走って、走って、下半身を強化し、軸足に体重が載っている時間、いわゆる“ガマン”出来るフォームを作っていくこと。2軍などのキャンプで、よく「陸上部のようだ」といわれる所以は、この原点である下半身強化に尽きるわけです。そして首脳陣も、そんなことは私などに言われずとも、重々、承知しているはず。

ところが大谷の場合、本来なら陸上部である今の時期に、1軍の外野を守り、打席に立っている……。“二刀流”の難しさは、多くの方がそれぞれの表現で指摘しているが、それは結果のみならず、そうした単純な基礎練習からして制約を生んでいるように思えてくる。

私は彼の、そして日本ハム球団の二刀流に賛否はない。だが目の前の、ごく当たり前だからこそ、近道のない課題にどう取り組んでいくのか。その臨み方や打開策には関心を抱く。球数は必ずしも多く投げる必要は(彼の場合)、ないのかも知れない。では絶対的な、投げる身体づくりはどうやっていくのか? 投げ込む中で作っていくのか? それとも……? 

大谷と、指導者たちは、どのような選択をしていくのだろうか。

スポーツライター・作家

獨協大学卒業後、フリーのスポーツライターに。以後、新聞、雑誌に野球企画を中心に寄稿する一方、漫画原作などもてがける。韓国、台湾などのプロ野球もフォローし、WBCなどの国際大会ではスポーツ専門チャンネルでコメンテイターも。でもここでは国内野球はもちろん、他ジャンルのスポーツも記していければと思っています。

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