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地中海のキプロスで強制預金課税 危機再燃の火種になるか

木村正人在英国際ジャーナリスト

預金封鎖

欧州連合(EU)のユーロ圏財務相会合や国際通貨基金(IMF)がキプロスに100億ユーロ(約1兆2400億円)を融資する代わりに、キプロスの金融機関の全預金口座に6・57~9・9%の税金をかけることを決めた。口座からの預金引き出しを防ぐため、キプロス政府は16~18日、一部の預金を封鎖する。

現地からの報道では、キプロスに駐留し、アフガニスタンに向かう英国兵士はインターネットで預金を引き出そうとしたが、凍結されていたという。

キプロスの首都ニコシアでは、土曜日も営業している協同組合銀行が臨時休業した。現金自動預払機(ATM)も空っぽになり、預金者が銀行支店前に列をつくる騒ぎになった。

怒りのあまりブルドーザーで金融機関に突っ込もうとした預金者もいた。

「取り付け」にも似た騒ぎが起きたのは、ユーロ圏が10万ユーロ以上の預金について預金額の9・9%、それ未満の場合は6・75%を1回に限り徴収すると決めたためだ。徴収額は全体で58億ユーロにのぼる見通しだ。

もともと支援額はキプロスの国内総生産(GDP)に匹敵する170億ユーロと伝えられていたが、預金者の損失負担に加え、国有財産の売却、法人税の引き上げなどで穴埋めし100億ユーロに抑えた。

ユーロ圏には、貸し手に損失負担を求めて傷口を大きくしてしまった前科がある。

ギリシャ国債の民間保有者に約5割の損失負担を求めた際、ギリシャ国債だけでなくスペイン、イタリア国債も投げ売られ、危機は一時、制御不能の状態に陥った。

その後、欧州中央銀行(ECB)が南欧諸国の国債の無制限購入を打ち出してから欧州の債務・金融危機は沈静化している。

にもかかわらず、キプロスの金融機関の預金者に異例の損失負担を求めたのはなぜか。ロシアの富裕層や犯罪組織がキプロスの銀行口座を脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)に使っている疑いが強いからだ。

キプロスの金融危機

地中海東部に位置し、面積は四国の半分程度、シチリア島、サルデーニャ島に次ぐ地中海第3の島の南側を占めるキプロス共和国。人口80万人の約8割はギリシャ系で、トルコ系は1割強だ。

1950年代からギリシャへの併合を要求する運動が起き、ギリシャとトルコが介入、60年に英国から独立した。

83年には北側の北キプロス・トルコ共和国が独立を宣言し、首都ニコシアをはさんでキプロス島は今も南北に分断されている。北キプロスを承認したのはトルコだけだ。

主要産業はGDPの約2割を占める観光だ。主な輸出品はオレンジ、オリーブなどの農産物、衣料だったが、海運、国際金融部門が急成長した。2004年にEU加盟、08年1月、キプロスよりもさらに小さなマルタとともにユーロ圏に加盟した。

小国キプロスにとってユーロという大きな通貨の傘の下に入ることは、為替の急激な変動に翻弄されずに済むメリットがある。キプロスのサリス財務相(当時)は「これでインフレや金利上昇を抑制でき、ユーロ圏の巨大マーケットと結ばれる」とユーロ導入の意義を強調した。

金融バブル期、欧州の一般市民も別荘を求めてキプロスに殺到したが、世界金融危機、欧州債務危機でキプロス経済を潤わせた「別荘市場」は崩壊した。キプロスは11年、ロシア政府から25億ユーロの2国間融資を取り付け何とか急場をしのぐかに見えた。

しかし、メルケル独首相とサルコジ仏大統領の主導でユーロ圏は12年2月、ギリシャ第2次支援策で合意。ギリシャ国債の額面が減免されることになり、国債投げ売りを誘発した。

これで、ギリシャ国債を抱え込んだキプロスの金融機関の経営状況は一気に悪化した。同年6月、キプロス政府はEUに国内金融機関への緊急融資を要請した。

キプロスの金融機関のバランスシートは全体で1500億ユーロ、GDPの8倍以上に膨らんでいた。世界金融危機の直撃で非ユーロ圏の小国アイスランド(人口約32万人)では金融システムが崩壊した。キプロスは金融危機の第1波をユーロの傘で防いだ。

キプロスを破綻から救うには金融機関に108億ユーロを注入、さらに62億ユーロの財政赤字を埋める必要があった。緊急融資の総額はキプロスのGDPにほぼ匹敵する計170億ユーロにのぼるとみられていた。

キプロスのGDPは179億ユーロで、ユーロ圏全体のわずか0・2%に過ぎない。ショイブレ独財務相は「キプロスのシステムは適切ではない。仮に破綻しても経済規模が小さいのでユーロ圏への影響は無視できる」とキプロス救済に消極的だった。

ユーロ危機で巨額の税金投入を強いられてきたドイツの納税者には「救済疲れ」が広がり、「どうして私たちの血税でロシアの大富豪を助けなければならないのか」という不満が渦巻いていた。

ロシアのオルガルヒ

キプロスの法人税は一律10%。旧ソ連が崩壊した1990年代から、旧ソ連の国有財産をただ同然で手に入れたロシアのオリガルヒ(新興財閥)は国内の権力闘争とは無縁のキプロスに資金を移し始めた。

ロシアの法制度では投資家の権利が十分保障されていないため、オリガルヒはキプロスにペーパー会社を設立してロシア国内の会社を遠隔操作するようになった。

キプロスはオリガルヒにとって合法的なタックスヘイブン(租税回避地)、マネーロンダリングの拠点になった。キプロスの金融機関に預けられている資金の大半はオルガルヒの富と言って良かった。

サッカーのイングランド・プレミアリーグに所属する人気クラブ、チェルシーFCを所有するアブラモビッチ、米プロ・バスケットボールチーム「ブルックリン・ネッツ」のオーナーで2012年のロシア大統領選に出馬したプロホロフ、ノボリペック製鉄所会長のリシン、ガスプロム・コンツェルンのウスマノフらそうそうたるオリガルヒの面々がキプロスに投資している。

消える巨額マネー

12年、ロシア政府はロシア極東部ワニノの巨大港湾施設の権益をロシアの鉄鋼メーカーに払い下げた。その2~3週間後、鉄鋼メーカーはキプロスの会社に持ち株のすべてを転売した。キプロスの会社はいずれも未登記だったり、設立されて間がなかったり、取引相手として怪しかった。

ロシアの大手国営銀行はキプロスの会社に石油掘削機購入資金として4億5700万ドルを拠出したが、キプロスの会社は同じ日に1億6000万ドル少ない金額で石油掘削機を購入していた。

いずれのケースも取引の差額がどこに消えたかわからなくなっていた。

英系投資ファンド「エルミタージュ・キャピタル・マネージメント」の顧問を務めていた弁護士マグニツキー(死亡時37歳)の獄死事件にもキプロスは絡んでいる。

同マネージメントは07年6月、ロシア税務警察の捜査を受けるが、マグニツキーは税務警察の関係者が押収した書類を使って2億3000万ドルの不正還付を受けていると告発した。しかし、マグニツキーは08年11月に拘束され、約11カ月後、激しい拷問で持病の内臓疾患を悪化させて死亡した。2億3000万ドルのうち3000万ドルがキプロスの銀行経由で海外に消えていた。

11年の時点で、キプロスからロシアへの投資総額は13億ドルを超え、キプロスはロシアへの最大の投資国になった。一方、キプロスへの最大の投資国もロシアだった。

メルケルの思惑

キプロスの銀行のギリシャ支店が破綻すれば、ギリシャに対する金融不安に再び火がつきかねない。このため、ドラギ、レーン欧州委員(経済・通貨担当)、常設金融安全網「欧州安定メカニズム」(ESM)の責任者レグリング氏はキプロス救済をドイツに迫った。

12年9月のドイツ総選挙で野党・社会民主党(SPD)の首相候補となるシュタインブリュック前財務相は「キプロスがユーロ圏を離脱することは市場への誤ったメッセージになる」とキプロス救済を支持した。しかし、その一方で、「キプロスは銀行を集約し、その他の条件を満たす必要がある」と厳しい条件を付けた。

先月下旬、キプロスの大統領選で緊縮財政に前向きな中道右派の野党・民主運動党(DISY)のアナスタシアディス党首が57・5%の得票率で当選した。民営化に反対したフリストフィアス前大統領と異なり、アナスタシアディス大統領はEUが求める国営企業の民営化に条件付きで賛成しており、協議は一気に進展した。

しかし、メルケルはロシアのオルガルヒなど預金者に負担を求めた。脱税、マネーロンダリングの資金を手放しで救済しないという姿勢をドイツ国内の有権者に示すためだ。ユーロ圏やECBはアイルランドやスペインの金融機関を無制限で支援する方針で、キプロスはあくまで「例外」との立場だ。

レーン欧州委員によると、ロシアもキプロスに対する25億ユーロの融資の期限延長や金利軽減に応じるという。月曜日の18日、キプロスは祭日。19日に開業するまでにキプロス政府は全口座から6・57~9・9%を引き下ろす。預金者にはそれに相当する銀行株を発行する。

週明け、市場がユーロ圏の措置をどう受け止めるかはわからない。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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