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憎悪と愛国(1)スウェーデンの変貌

木村正人在英国際ジャーナリスト

「2級市民」の憎悪

日本はいったい、どうしてしまったのだろう。橋下徹・大阪市長の従軍慰安婦をめぐる発言が世界を駆け巡る中、在日韓国・朝鮮人への憎悪を掻き立てる極右団体「在日特権を許さない市民の会」が全国に活動を広げている。

憎悪と嫌悪が狭隘なナショナリズムに姿を変え、極右民族主義や排外主義を増幅させているのは何も日本に限った話ではない。寛容の国と呼ばれたスウェーデンや多文化主義が根付く英国でも、暴動が吹き荒れ、衝撃的なテロが移民への憎しみを燃え上がらせている。

「どうして、自国民のわれわれが2級市民扱いされなければならないのか」「移民の教育費、社会保障費まで払うことはできない」「移民はわれわれの国から出て行け」という怨嗟の声は日本だけにとどまらない。

ナチスによるユダヤ人大虐殺の記憶が生々しい欧州でも、極右グループが不気味に繁殖し始めている。グローバル経済がもたらした社会格差。負のスパイラルから抜け出せなくなった新たな下流階層が怒りを移民にたたきつける。

その一方で、米英を中心としたアフガニスタン政策やイスラエルによるパレスチナ迫害に反感を抱くイスラム系移民が過激化し、テロに走るケースが後を絶たない。憎悪と嫌悪が恐怖を拡散し、社会を疑心暗鬼に陥れている。まずはスウェーデンの例を見てみよう。

暴動の引き金

ストックホルム郊外のヒュースビー地区で5月19日夜に始まった暴動は、警官がポルトガル系スウェーデン人の男性を射殺したのが引き金になった。地元主要紙アフトンブラデットの記者に国際電話で背景を尋ねてみた。

「男性がナタを持って自宅近くを徘徊していると通報がありました。警官隊が駆けつけると、男性は自宅にこもって出てきませんでした。女性(妻)が自宅に一緒にいました。中に押し入った警官隊は、女性が危険にさらされていると判断して射殺しました。銃の使用が正当かどうか、これから調査が始まります」

現地からの報道によると、男性は直前に、路上で若者から脅されていた。ベランダでナタを振りかざしていたが、一緒にいた妻は身の危険を感じていなかったと地元メディアに話している。

にもかかわらず、警官隊は男性を説得するわけでもなく、威嚇射撃をするわけでもなかった。銃弾を5~6発、男性に撃ち込んだと報じられている。これを知ったヒュースビー地区の移民が「最初から殺すつもりだった。警察の横暴をこれ以上許すわけにはいかない」と暴れだしたのをきっかけに、暴動は他の移民地区に飛び火した。

ヒュースビー地区の人口1万2千人の8割以上が移民背景を持ち、トルコ、中東、ソマリア系移民が多いという。

僕は、射殺された男性はイスラム系と想像していたが、アフトンブラデット紙の記者は「男性は名前からキリスト教徒とみられます。宗教や民族と暴動の直接の関係ないでしょう。失業問題など社会不満が背景にあると推測できます」と説明した。

スウェーデンは産業革命による格差拡大が階級闘争を引き起こすのを避けるため、1930年代に「国民の家」の理念を掲げ、協調的な社会建設を呼びかけた。その理念が高福祉高負担の「スウェーデン型福祉国家」の出発点となった。冷戦終結後の地域紛争で大量に発生した難民も積極的に受け入れてきた。

この20年間で受け入れたイラク難民は10万人、ソマリア難民は4万人。昨年以降、シリアから受け入れた難民も1万1千人にのぼっており、人口1人当りのシリア難民受け入れ数は欧州の中でも多い。しかし、これまでの政策では難民の急増に十分に対応できなくなった。

ヒュースビー地区の小学校では、6歳児の全員が移民というクラスもある。教育が追いつかず、言葉が習得できないと、高等教育を受けられない。移民背景を持つ若者は競争に負けて就職からはじき出されるケースが多い。移民の失業率は平均16%とスウェーデン人の6%に比べる格段に高い。ヒュースビー地区では、若者の2割は失業している。

移民狩り

2010年から警察による不法滞在者の取り締まりが強化され、ブロンドの髪と青い目を持たない移民に疑いの目が向けられるようになった。ヒュースビー地区では警官隊が移民の若者に「サル」「動物」「ニグロ」という侮蔑の言葉を吐きつけ、「お前らはスウェーデンから出て行け」とののしる姿が何度も目撃されている。

将来の希望を失った若者が抱く社会からの疎外感。薬物取引、強奪などの犯罪が増え、警察の取り締まりがエスカレートする。抑えつけられた移民の不満が爆発する悪循環が寛容の国スウェーデンを蝕んでいる。暴動には移民のほかスウェーデン人の若者も加わっていた。

国民1人当りの国内総生産(GDP)が世界的に見ても高いスウェーデンで、これだけ大規模な暴動が起きるのは珍しい。しかし、過去25年間で格差の拡大率は経済協力開発機構(OECD)の中でもスウェーデンが一番大きくなったとされ、小規模の暴動が徐々に目立ち始めていた。

姿隠すイラク難民

僕がスウェーデンの変化に気づいたのは10年9月、ストックホルムから列車で約40分のセーデルテリエ市(人口6万人)を訪れたときだった。

イラク戦争をきっかけに起きた宗派抗争を逃れたイラク難民が人口の1割を超える同市は、「リトル・バグダッド」と呼ばれていた。07年には欧州全体の4割強の1万8559人のイラク人がスウェーデンに難民申請を行い、実にその80%が認定された。

米国が受け入れたイラク難民の数よりもセーデルテリエ1市だけで受け入れた数の方が多いことで有名になったほどだ。

イラクで弁護士をしていたという60歳代後半のテルー・ガリさんはフセイン大統領(当時)の弾圧を恐れて祖国を脱出した。

ガリさんは「イスラム過激派はイラク戦争について、キリスト教の米英両国がイスラムに戦争を仕掛けたと宣伝し、イラクのキリスト教徒もテロの標的にされた。イラク国内のキリスト教会が次々と爆破された」と悲しそうな表情を浮かべた。

他のEU加盟国がイラク難民の受け入れを絞り始めたのを受けて、スウェーデン政府も寛容政策を転換。08年2月、イラク人の帰国を進めることでイラク政府と合意し、難民の受け入れを制限し始めた。

ガリさんの息子は駐留米軍の運転手をしていたため、イスラム過激派につけ狙われ、07年に妻と子供2人を連れてスウェーデンに密入国した。しかし、難民申請を却下され、家族と姿を隠した。

本国に送還されれば、イスラム過激派に殺される恐れがあるからだ。

「イラク難民を支援してきたキリスト教会は申請を却下された人に『列車やバスに乗るな。街頭に出るな』と助言しています」とガリさんは肩を落とした。10年に入ってセーデルテリエ市の教室からイラク人の子供が100人も姿を消していた。

イラク難民を対象にコンピューター教室を開く30代のドゥレイド・ベヘナムさんの右腕には銃創が残っていた。「イラクのアルカイダ組織が職場に押し入って来て、機関銃で撃ち抜かれた」とベヘナムさんは打ち明けた。

差別の拡大

スウェーデンでは就職斡旋、地方参政権付与など移民の統合政策に力を入れており、セーデルテリエ市ではイラク難民支援を取材する予定だった。それだけに、国情が安定しないイラクへのキリスト教徒の強制送還はあまりにも非情すぎると思った。

移民は人口の約2割、その半数はEU域外から流入している。寛容と協調を理想に掲げるスウェーデンは、急増する難民・移民に適応できず、喘ぎ始めていたのだ。意図せざる差別と不平等が急拡大したことが今回の暴動の背景に横たわっている。

移民排斥を唱えるスウェーデン民主党の支持率は上昇し、世論調査で10%を超えるときもある。多文化と接触したことがない「無知」が排外主義を拡大させ、白人社会と移民社会の亀裂を広げている。スウェーデン在住40年以上の邦人男性は「極右の支持層は低学歴、低所得に多いことが統計に表れています」と指摘する。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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