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忍び寄るビッグデータの影

木村正人在英国際ジャーナリスト

プライバシー保護か、テロ対策か

米国の情報機関、国家安全保障局(NSA)が大手検索サイトのヤフーやグーグル、ソーシャルメディアのフェイスブックなどの協力で市民の通話記録やインターネット上の個人情報を収集していたと英紙ガーディアンや米紙ワシントン・ポストが報じた。

2001年9月の米中枢同時テロや05年7月のロンドン地下鉄・バス爆破テロを経験している米国や英国では「英作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』のような秘密国家、警察国家化は困るが、テロ対策も必要だ」という複雑な波紋が広がっている。

プライバシー保護か、テロから身を守る安全を重視するかは、最終的には国民が判断することだ。オバマ米大統領は「NSAによる情報収集活動は米議会によって認められ、司法機関の審査を受けている。100%の安全と100%のプライバシー保護は両立しないことを認識すべきだ」と理解を求めた。

12年の報告によれば、米政府は記録を入手するため、秘密裁判所の外国情報監視裁判所に1856件の申請を行い、いずれも認められている。11年の申請件数は1745件だった。

ロンドンでは「CCTV」と呼ばれる防犯カメラが街頭、バス、地下鉄の車内など、いたる所に設置されている。バスや地下鉄の乗車に使う磁気カード、クレジットカードの使用履歴の監視、携帯電話の盗聴などがどのような範囲で行われているのか、想像もつかない。テロ防止のため、あらゆる手段が講じられているのは間違いない。

たとえば英国でスピード違反の通知が届く。「その時間には車に乗っていなかった」と否認しようものなら、しばらくして、あらゆる角度から撮影されたあなたの写真が自宅に送りつけられてくる。

テレビ画面と監視カメラの機能を備えた『1984年』のテレスクリーンと同じような監視システムが皮肉にも全体主義と戦った自由主義国家の英国や米国で構築されている。

人権活動家なら目をむいて怒り出すかもしれないが、今回の問題で浮き彫りになったのは、NSAも民間企業が保有する膨大な「ビッグデータ」にアクセスして、潜在的テロリストに関する電子情報を収集していたというだけのことかもしれない。

1,200,000,000,000,000,000,000バイトのデータ

ビッグデータの中には、オンラインショッピングサイトやブログサイトで蓄積される購入履歴やエントリー履歴、ウェブ上の配信サイトで提供される音楽や動画などのマルチメディアデータ、ソーシャルメディアにおいて参加者が書き込むプロフィールやコメントなどが含まれる。

『ビッグデータ』の共著者である英誌エコノミストのケン・クッキー編集長(データ担当)、オックスフォード大学のビクター・メイヤー=ショーンバーガー教授によると、ソーシャルメディアの普及でデータ量は毎年2倍以上のペースで増え、現在のデータ量は1.2ゼタバイトと推定されている。

ゼタとは0が21個並ぶので、12垓(垓は兆、京の上の単位)バイト。このうち新聞、雑誌などノン・デジタルのデータが占める割合はわずか2%だ。

クッキー編集長らによると、1日にソーシャルメディアのTwitterでつぶやかれるメッセージは4億件、大手動画投稿サイトのユーチューブのマンスリーユーザーは8億人以上、フェイスブックには毎時1千万枚の写真がアップされる。グーグルは毎日、米議会図書館の100倍以上のデータを処理している。

英BBC放送によれば、昨年やり取りされた電子メールは1440億通。

こうしたビッグデータを有効活用すれば、どういうことが可能になるのか。クッキー編集長ら2人は今年3月下旬、ロンドンにある英シンクタンク、王立国際問題研究所(チャタムハウス)で講演し、2つの例を挙げた。

新型インフルの拡散地域を予測したグーグル

09年、新型インフルエンザが流行した際、グーグルは新型インフルエンザに関連する言葉がどの地域で、どれだけの頻度で検索されたかを調べて拡散地域を正確に把握した。米疾病管理センター(CDC)が同じ結論を導き出したのは、その2週間後だった。

感染症にかかりやすい未熟児について1日16回にわたって血液中の酸素濃度、心拍数、心電図などのデータを収集し、コンピューターで分析すれば、感染症の発症をまる1日前に突き止められる。24時間を感染症の予防にあてることができるというのだ。

ロンドンで生活していると実際にこういうことが起きる。

ある大手スーパーで生理用品を購入すれば、次の生理前に必ず生理用品の割引券が自宅に郵送されてくる。ネコのエサを買えば、ネコのエサが切れるころに割引券が自宅に届けられる。

妊娠の検査用具を購入すれば、生理用品の代わりに紙オムツや粉ミルク、幼児服の割引券が次々と送られてくるに違いない。

アマゾンの購入履歴も販売促進に活用されている。フェイスブック、Twitter、グーグルメールやスカイプなどの無料サービスは間違いなく使用履歴がマーケティングや宣伝に使われている。

平成24年版・情報通信白書によると、米国ヘルスケアで年間3千億ドル、欧州連合(EU)公共セクターで年間2兆5千億ユーロ、位置情報データの活用により年間6千億ドルの消費者価値が作り出されると推計されている。

NSAがビッグデータを活用するワケ

それでは、なぜNSAがマイクロソフト、ヤフー、グーグル、フェイスブック、Paltalk、ユーチューブ、AOL、スカイプ、アップルのビックデータに注目したのか。これは単なる情報収集ではなかった可能性もある。

クッキー編集長らによると、フェイスブックなどの書き込みやユーチューブなどの投稿をチェックすれば、思想信条を大つかみできる。過激な言動が浮かび上がれば、電子メールなどの通信履歴から交友マップを描き出せる。

インターネット上の活動履歴を分析することで、当該者の行動パターンを予測できる。つまり、イスラム過激派のインターネット上の行動パターンを類型化し、テロの決行を高い確率で算定することができる。

それだけではない。テロリスト予備軍だけでなく、将来、テロリストになる可能性が少しでもある人物までふるいにかけることができるのだ。ビッグデータを活用すれば、人間の行動を予測できるようになる可能性がある。

疑念深めるEU

オバマ政権も米企業も裁判所の令状がない限り、NSAが民間企業のサーバーやビッグデータにアクセスできなかったと説明している。

しかし、告発者となった米中央情報局(CIA)元職員でコンピューター技術者エドワード・スノーデン氏(29)は「個人の電子メール1つあれば、誰の情報でも盗み見できた。情報機関で働く全員の連絡先、世界中の情報提供者やミッションの内容にもアクセスすることができた」と話している。

スノーデン氏の証言が本当なら、NSAは自由に民間企業のビッグデータにアクセスしていたことになる。

NSAは英国の政府通信本部(GCHQ)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとシギント(電子機器を使った情報収集活動)のネットワーク「エシュロン」を構築していると言われてきた。

だから、スノーデン氏が告発した内容に驚く関係者はいなかったが、ヘイグ英外相は「電子情報の収集には高い基準が設けられ、厳格な法的枠組みの中で行われている」と火消しに追われた。

米国とEUの自由貿易協定(FTA)交渉では、米企業が「国境を越えた自由なデータのやり取り」を求めている。FTA締結で米企業が大量の個人情報を収集できるようになれば、米政府によってEU域内の個人情報を収集されるリスクが膨らんでくる。

欧州委員会のレディング副委員長(司法・基本法・市民権担当)は「今回のケースは個人データ保護のための法的枠組みが決して飾りや束縛ではなく、基本権であることを示している」と指摘。欧州議会も討論する構えだ。

ビッグデータから逃れられるか

ビッグデーターにアクセスする国家監視をある程度規制することができたとしても、あなたはビッグデータ支配から逃れることができるのか。インターネット上でデータの使用許可を求める表示が出て、イエス、ノーを答える仕組みが導入されている地域もある。

しかし、前出の『ビッグデータ』の共著者メイヤー=ショーンバーガー教授は「あなたがもし生存したいと望むのであれば、ビッグデータから逃れるという選択肢はもはや残されていない」と指摘する。

あなたの健康データも病院のコンピューターに管理されているからだ。健康データを残すことを望まないなら、病気になっても病院で診断や治療を受けることはできない。

同教授によると、ビッグデータの落とし穴は(1)プライバシーを管理するのは当事者ではなくなり民間企業などデータユーザーになる(2)犯罪を起こす可能性のある人物を割り出し、事前に罰するなどの偏見を引き起こす(3)データを分析、予測するアルゴリズムを作りだす専門家が大きな権限を持つ恐れがあることだ。

私たちはダークサイドに対抗する手段を持たないまま、『1984年』のテレスクリーンと同じようにビッグデータに人間が支配される時代を迎えようとしている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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