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ロシアの反同性愛法とソチ冬季五輪の行方

木村正人在英国際ジャーナリスト

ロゲ会長のイシンバエワ批判

国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長は23日、英BBC放送で、陸上女子棒高跳びの世界記録保持者エレーナ・イシンバエワ選手(ロシア)によるロシアの同性愛宣伝禁止法を擁護する発言を批判した。

ロシアのプーチン大統領は今年6月、18歳未満の青少年に同性愛をPRすることを禁ずる同性愛宣伝禁止法を成立させた。罰金は4000~100万ルーブル(1万2千~300万円)と言われている。

強権的な政治手法が国内リベラル派の批判を浴びているプーチン大統領には、同性愛の拡大を抑える政策をとることで、同性愛者に悔悛を求めるロシア正教会や保守層の支持を取り付ける狙いがあった。

「禁じられた愛」の現状

旧ソ連時代は「禁じられた愛」だった同性愛は共産主義体制の崩壊とともに容認されたが、ロシアの同性愛者はいまも社会的な迫害と偏見にさらされている。

同性愛者の人権保護に努める国際組織「国際ゲイ・レズビアン協会(ILGA)」が今年5月に発表した欧州レインボーマップによると、ロシアの同性愛者が置かれている環境は49カ国中、最下位。

ロシアでは同性愛憎悪による殺人事件も発生。同性愛者の権利を問うドキュメンタリーを撮影していたオランダ人が同性愛宣伝禁止法に基づいて拘束され、3年間の入国禁止とされた。

プーチン大統領は「同性愛者は他の人々と同様に完全な権利と自由を享受している」と強調したが、レインボーマップの採点によるとロシアのトータルスコアは7%と第1位英国の77%と比べるとお寒い限りだ。

ロシア側は「人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づくいかなる差別行為も五輪運動とは相容れない」とする五輪憲章を尊重する考えを示し、同性愛宣伝禁止法は来年のソチ冬季五輪に影響することはないと表明した。

ソチ冬季五輪ボイコットを

しかし、同性愛者の活動団体は、ソチ冬季五輪のボイコットを呼びかけている。ソ連軍のアフガニスタン侵攻をめぐるモスクワ五輪(1980年)、ロス五輪(84年)、チベット弾圧をめぐる北京五輪(2008年)に続くボイコット騒ぎに発展する恐れがくすぶる。

その最中、モスクワで行われた世界選手権で同性愛者の象徴である虹色のネイルを施して出場したスウェーデンの女子選手2人を、プーチン大統領に近いイシンバエワ選手が批判したことから論争が過熱した。

選手権で金メダルを獲得したイシンバエワ選手は「スウェーデン選手の振舞いは(同性愛宣伝禁止法を施行する)ホスト国への敬意を欠いている」「異性愛こそノーマル」と発言。

激しい批判にさらされたイシンバエワ選手は、同性愛者への差別意識はないと苦しい弁明に追われたが、同性愛宣伝禁止法を支持する立場は変えなかった。

任期残りわずかのロゲ会長はイシンバエワ選手の発言について「失望している。彼女は論争に立ち入るべきではなかった」と批判した。

しかし、開催国ロシアに同性愛宣伝禁止法の見直しを求めたというより、論争がこれ以上広がらないよう火消しに努めたと見るのが妥当だろう。

北京五輪の教訓

北京五輪では、チベット弾圧を批判して聖火リレーが妨害され、世界中に中継された。しかし、大会期間中、中国当局はインターネットの一部サイトへのアクセスを規制したり、チベット独立支持者を取材中の記者を拘束したりした。

中国政府は五輪誘致の際、「報道の自由」や「人権問題の改善」を約束したにもかかわらず、完全に反故にされ、IOCも中国への批判を避けた。おそらくソチ冬季五輪でも同じようなことが繰り返されるのだろう。

北京五輪後も中国当局の人権弾圧は続いている。五輪憲章は掛け声倒れに終わり、IOCは開催国への気兼ねから「事なかれ主義」に堕している。

同性婚認める流れ

国際都市ロンドンで暮らしていると、愛にもいろいろな形があることを実感させられる。有力政治家も同性愛者であることを公表しており、市民生活の中にさまざまな愛の形が溶け込んでいる。

イシンバエワ選手は最初の記者会見で「われわれの歴史を見ても(同性愛のような)問題はこれまでなかった」との見方を示したが、社会の偏見と弾圧によって閉じ込められていただけなのだ。

ついこの間までは男性同性愛者専門だった近所のパブに異性愛のカップル、レズビアンのカップルも列をつくるようになった。

同性婚を最初に法的に認めたのは2001年のオランダ。フランスでも今年4月、同性愛カップルに法的婚姻や養子迎え入れを認める法律が成立。英国でも7月に同性婚を認める法律が成立した。

一方、米連邦最高裁も6月、結婚防衛法の「結婚は男女間による法的結合」という条項に違憲判断を下した。

ローマ法王フランシスコは聖書が禁ずる同性愛を認めない姿勢は変えなかったが、「私には神を探し求める同性愛者を裁くことはできない」と同性愛者への差別に警鐘を鳴らした。

曖昧なIOCの態度

こうした流れに逆らうことはプーチン政権の基盤強化にはつながらず、政権の死期を早めるだけだろう。

イシンバエワ選手は週刊誌のインタビューで、荒れ果てた母国ロシアを離れ、モナコへ移住することを考えていると明かした。いったい何のため同性愛宣伝禁止法を擁護し、ロシアの伝統や価値を強調してみせたのか、その真意を疑わざるを得ない。

ロシア第二の都市サンクトペテルブルクでは、市民団体が「米人気歌手マドンナさんが未成年者を前に同性愛を宣伝した」として警察に告発した。

外国人がロシア国内で同性愛宣伝禁止法に触れる活動を行った場合、どのような適用を受けるのか今のところ詳らかにされていない。ソチ冬季五輪での対応も明らかにされていない。

IOCが北京五輪と同じような態度を繰り返すつもりなら、五輪はスポーツを通じて差別のない世界を推進しようという高邁な精神を失い、国威発揚と国内の景気対策に利用される落とし穴に再びはまるだろう。(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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