日本の学力回復 アジア上位独占 OECD学習到達度調査(PISA)
経済協力開発機構(OECD)は3日、世界65カ国・地域の15歳51万人以上が参加した2012年の学習到達度調査(PISA)の結果を発表した。
中国・上海市が初参加の前回09年と同様、「数学的応用力」「読解力」「科学的応用力」の3分野でトップを独占。香港、シンガポールが2位と3位を占めた。
「ゆとり教育」断ち切る
日本は数学的応用力7位(前回9位)、読解力4位(同8位)、科学的応用力4位(同5位)と上位に食い込み、「ゆとり教育」の悪弊を断ち切り、学力を復活させていることを改めて印象づけた。
PISAは初等中等教育の達成度を調べるテストで、知識の量ではなく、応用力、批判的思考を重視している。500点が平均点だ。
「ゆとり教育」は02年、「生きる力」の育成を目指し、学習内容を大幅に削減して実施された。「詰め込み教育」の量を減らしただけで、教育の質を転換させることはできなかった。
肝心の教師たちが「ゆとり」の中で子供たちをどう教えていいのかわからなくなったためだ。
03年PISAの結果が発表されると、数学的応用力や読解力で日本の学力低下が顕著になり、いわゆる「PISAショック」が走った。
フィンランドの落日
PISAの各分野で1位、2位を独占した北欧フィンランドに注目が集まり、筆者も当時、ヘルシンキを訪れた。
フィンランドの教室の主役は子供たちだった。形式にとらわれず子供たちの好奇心を引き出すには、教師の力量が求められる。小学校の教師も修士号を取得し、教室での指導方法は臨機応変だった。
日本では一昔前まで「教師は聖職」と言われたが、フィンランドでは教師への尊敬が息づいていた。父母も、地域も、学校も、政府も教育の担い手である一線の教師を支えていた。
フィンランドは未来を担う子供たちに投資した。有名私立校がエリートを輩出する英国とは異なり、フィンランドは「公教育」が柱。日本はこぞって「フィンランドもうで」を繰り返した。
日本は07年に全国学力テストを復活させ、11年度から学習内容を大幅に増やした新指導要領を導入。学力低下の犯人とされた「ゆとり教育」に終止符を打った。
しかし、「暗記中心」「ガリ勉タイプ」の詰め込み教育に戻るのではなく、フィンランドの教育も参考にしながら、PISA型学力を高める新指導要領に切り換えたのが、学力復活の決め手になった。
アジア旋風
しかし、一世を風靡したフィンランドは数学的応用力12位、読解力6位、科学的応用力5位とランキングを大幅に下げている。
OECD事務総長の特別アドバイザー、アンドレアス・シュライヒャー氏は2日、ロンドンで記者会見し、「フィンランドの教育が機能しなくなったというより、アジア諸国が勃興したのだ」と強調した。
上海市は2回連続のハットトリック。しかも、スコアを前回より5~14ポイント上げているからすごい。
中国はエリート主義?
スポーツの祭典オリンピックと同じように、中国は国家の威信をかけPISAに臨み、中国の中でも最先端を行く上海市の進学校から選りすぐりの生徒を参加させているとウワサされる。
筆者が「上海市の好成績はエリート主義と関係しているのでは」と質問すると、OECDのシュライヒャー氏は「地方出身者が住む貧しい地域の学校でも成績が良かったから、そうは言えない」と答えた。
「上海市の教育システムは非常に良く機能している。そして、家族、社会が子供たちの成長に期待している」
中国には「孟母三遷の教え」という故事がある。孟子の母は、住居を墓所の近くから市場の近くへ、そして学校の近くへと移して子供の教育環境を整えようとした。
中国伝統の教育ママは今や「タイガーママ」として世界にその名を轟かせている。
「タイガーママ効果はどうなのか」と尋ねてみると、「タイガーママ(として有名な米エール大のエイミー・チュア教授)のような高学歴ではなくて、両親は高い教育を受けていないケースが多かった」とシュライヒャー氏は言う。
しかし、豊かではないものの、子供の教育を何よりも優先させるのが中国伝統のタイガーママだと筆者は思う。
シュライヒャー氏は英国と上海市の子供たちを比べながら、「上海市の子供の60%が数学に興味があると答えた。上海市の子供たちは勉強すれば学力がつくと信じている」と指摘した。
英国の子供たちは成績が悪ければ、「運がなかった」「先生の教え方が悪い」「親が貧乏だから」と責任転嫁するのに対し、上海市の子供たちは「自分の努力が足りなかった」と反発心を見せる。
「ユー・キャン・ドゥー・イット(やればできる)」の精神が、現在のチャイニーズ・ドリーム(中国の夢)を推し進めている。
中国も資質教育
「科挙」と呼ばれる官僚登用試験の歴史を持つ中国では激しい受験戦争がもたらす暗記中心の詰め込み教育が蔓延していた。しかし、日暮トモ子・有明教育芸術短大准教授の報告によると、1990年代半ばから、創造性・実践力重視の「資質教育」に取り組んできたという。
上海市はその中でも先進的に教育改革を進めてきた地域だ。
しかし、激しい受験戦争は改善されていない。
学校外での習い事、四当五落(4時間睡眠で勉強すれば合格、5時間眠ると不合格)さながらの長時間学習、「小皇帝」と呼ばれる一人っ子への両親、4人の祖父母の過剰な教育熱がPISAでの好成績を支えている面は否定できない。
日本が学校任せになっているのに対し、上海市は社会全体が勉強をする環境を作り上げている。
タイガーママの威力
自由放任主義が幅を利かす米国で厳格な中国式子育てを実践、体験記「タイガーママ」がベストセラーになった米エール大のチュア教授にインタビューしたことがある。
「親が豊かになると子供が甘やかされてダメになる恐れが増える。私は娘に斜陽の道を歩んでほしくなかった」。まさに「斜陽」という言葉が今の先進国にはぴったりくる。
しかし、先進国の欧米諸国では子供の自主性を損なうとしてタイガーママの教育法には否定的な意見が目立つ。
チュア教授が子供たちと約束したのはー。
友達宅でのお泊まり禁止▽学校劇には参加しない▽テレビとテレビゲーム禁止▽すべての科目で「優」を取る▽体操と演劇以外はクラスで1番になる、などなど。
「一人っ子政策の中国で子供は4人の祖父母と2人の両親から甘やかされる一方で、過度の学習を強いられている」
「アジア式は子供に厳しすぎて選択の自由がなく、逆に欧米式では子供は大切にされすぎて選択肢が多すぎる」
と、チュア教授は強調した。「誰でもやればできる。だから、ハードワークは当たり前」。これがタイガーママの信念だった。
こうしたタイガーママたちの信念がアジア旋風の原動力になっているのは間違いない。
脱欧入亜?
PISAにおけるアジア諸国の台頭を見ていると、日本が明治維新後、義務教育を導入し、「殖産興業」「富国強兵」を推進、列強の一角に食い込んだ歴史を思い出す。
不平等条約をはねのけた当時の日本と同じように、中国、韓国、台湾、シンガポールには植民地化された負の歴史を一掃しようというナショナリズムの高揚がある。
日本は衰退著しい欧米とは距離を置き、力強く台頭するアジアとの競争に身を置こうとしている。
しかし、日本はモノカルチャーや同質性の高い社会がもたらす高生産性というアジアの優位よりも、多様性が生み出す創造性に重きを置く欧米型の強みにも目を向けるべきだと筆者は考える。
日本はどんな社会を目指すのか。株や不動産など資産を持つ者だけが豊かさを享受できる社会なのか、それとも知的創造性と志を持つ若者が未来を切り開く社会なのか。
PISAは義務教育修了時の学力をはかる1つの尺度に過ぎない。PISAの結果に一喜一憂する以上に大切なのは、知的生産革命が胎動を始めたとば口に立つ今、国家指導者が21世紀に日本が進む社会ビジョンを語ることだ。
(おわり)
お時間が許せば、拙著『EU崩壊』もお楽しみ下さい。