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ハニートラップに絡め取られた英国人 習近平氏の「腐敗撲滅」が広げる中国ビジネスの大激震

木村正人在英国際ジャーナリスト

セックスシーン盗み撮り

中国での英製薬大手グラクソ・スミスクライン(GSK)の汚職疑惑に絡み、英国人の中国責任者マーク・ライリー氏(52)が自宅で中国人ガールフレンドとセックスしているところを隠し撮りされ、その動画がライリー氏の着任後にGSK役員や監査法人担当者に送りつけられていたことがわかった。

英日曜紙サンデー・タイムズ(電子版)のスクープで明らかになった。GSKの中国現地法人はライリー氏の号令一下、医師や医療行政の担当者に贈り物や買春などの接待攻勢をかけ、9千万ポンド(約155億円)にのぼる薬品の違法販売を行っていた疑いで、昨年6月から中国当局による捜査が行われている。

同紙によると、ライリー氏の前任者は2012年10月、中国責任者の職を離れ、13年4月にGSKを退職。それまでは前任者の部下として雇われていた中国女性ビビアン・シー氏(49)が中国政府へのロビー活動やリスク・マネジメントなどの現地対応を一手に引き受けていた。

ビビアン・シー女史は、江沢民元国家主席率いる「上海閥」の家族の一員。米ウェブスター大学のMBA(経営学修士)を取得し、08年、中国の製薬会社からGSK中国現地法人に引き抜かれた。GSKの狙いは、中国政府が権限を一手に握る中国の薬品市場に食い込むことだった。

告発メール

しかし、ライリー氏が着任したあと、ビビアン・シー女史は出張旅費に不明朗な点が発覚し、GSKを退職。この直後の昨年1月、完璧な英語で書かれた最初の告発メールがGSK役員と監査法人担当者の計15人に送られてきた。

さらに2カ月後、妻と別居中のライリー氏が自宅で中国人ガールフレンドとセックスしている様子を隠し撮りした動画が同じ電子メールのアカウントから送られてきた。告発メールの内容を知らされたライリー氏は、GSK本社に調査を依頼した。

GSK本社の依頼で現地の調査会社「中慧公司(Chinawhys)」のピーター・ハンフリー容疑者と米国に帰化した妻の虞英曾容疑者が、一番怪しいビビアン・シー女史の金融資産や政治的な人脈、家系を調べ始めたとたん、中国当局は捜査開始を宣言した。

身の危険を感じたライリー氏が7月5日に中国を離れたところ、5日後、ハンフリー、虞両容疑者と調査会社のスタッフがビビアン・シー女史の個人データを違法に収集していたとして、一斉に逮捕された。

拘束中のハンフリー容疑者は8月に中国国営放送に出演、個人データの違法収集を公衆の面前で「自白」させられ、「中国政府におわびしたい」と謝罪している。

捜査に協力すれば免責されると考えたGSKはライリー氏に中国に戻るよう指示したが、これが裏目に出た。ライリー氏を含めて46人が最終的に起訴される見通しで、最悪の場合、ライリー氏には終身刑が言い渡される恐れもあるという。

汚職の疑いがかけられているのは、ビビアン・シー女史が現地対策を担当していた時期の、医師や医療行政の担当者への講演謝礼、旅費の取り扱い、中国人販売担当者への経費支出とみられるのに、ビビアン・シー女史へのおとがめは今のところ一切報じられていない。

中国当局は「GSKの賄賂工作で、薬価は7倍に膨れ上がった」として、徹底的に追及する構えだ。

「トラもハエも一緒にたたく」

中国の習近平国家主席が誕生してから、日米欧の対中直接投資は激減している。中国商務省によると、今年1~5月の対中直接投資は前年同期比で2.8%増えたものの、日本からの対中投資は42.2%も減少した。

中国欧州連合(EU)商工会議所の調べでは、1年前には3社に1社が「中国が一番の投資先」と答えていたのに、今年は2割に急落。EU加盟国の1~5月の対中直接投資は前年同期比で22.1%減少、米国も9.3%減ったという。

日本企業の場合、沖縄・尖閣をめぐる緊張がエスカレートし、再び反日暴動が吹き荒れるリスクを警戒。中国当局が商船三井の船舶を一時差し押さえたことや、戦時中の強制連行をめぐって日本企業が訴えられるケースが相次いでいることへの懸念が広がっている。

対中直接投資の激減は、習主席がアヘン戦争から日中戦争までの「歴史的な屈辱」を一掃して「中華民族の偉大な復興」を実現する「中国の夢」を掲げ、「トラ(大きな腐敗)もハエ(小さな腐敗)も一緒にたたく」と大号令をかける反腐敗運動と無縁ではないのだ。

国有企業経営者らの自殺32件以上

習主席の反腐敗運動が広がるにつれ、国営企業経営者の自殺が相次いでいる。鉄道建設大手・中国中鉄の白中仁総裁が自殺、医薬品大手・哈薬集団三精製薬の劉占濱董事長が取り調べ中に自殺、中国国有金属製錬大手・銅陵有色金属集団の韋江宏董事長がビルから転落死するなど、2013年以降、不自然な死亡が62件、このうち32件が汚職捜査に関連した自殺とみられている(英誌エコノミスト)。

中国共産党中央規律検査委員会によると、昨年、規律違反や違法行為で処分を受けた党員と政府の官僚らは18万人を超えるという。しかし、GSKの汚職疑惑でビビアン・シー女史の刑事責任がまったく問われないのと同じように、調査対象者に、習主席と同じエリート2世の「太子党」は含まれていないという指摘もある。

防衛研究所の山口信治アジア・アフリカ研究室教官(昨年12月のコメンタリー)によると、「習近平国家主席は、反腐敗運動の実施やイデオロギーの強化などを通じて党中央と自己の権力強化を図っている」という。

習主席が最も恐れているのは、中国共産党が、ソ連共産党が崩壊したのと同じ道をたどることだ。中国はソ連崩壊から5つの教訓を導いているといわれる。

(1)政治改革と情報公開を進めた結果、党内分裂と多党化を招いた。

(2)それが軍に対する党の指導力を弱め、軍分裂を招いた。

(3)情報公開と思想の多元化によって、マルクス主義の指導的地位が失われた。

(4)「新思考外交」を通じて欧米諸国によるソ連共産党の内部分裂が促進された。

(5)最高指導者ゴルバチョフの思想と行動が決定的だった。

習主席は反腐敗運動を通じて人民の人気を集め、政敵を粛清、権力の一極化を進めていく可能性がある。その標的がいつ、「屈辱の世紀」を中国にもたらした英国や日本の企業に向けられてもおかしくないことをGSKの汚職疑惑は雄弁に物語っている。

中国・重慶市の元トップ、薄熙来氏が失脚した事件は、英国人ニール・ヘイウッド氏が薄氏の妻に殺害された疑惑がきっかけになっている。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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