謎のフェルメール作品『聖プラクセディス』10億円超で落札
オランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメール(1632~75年)が1665年ごろに描いたとされる『聖プラクセディス』が8日、ロンドンの競売会社クリスティーズで競売にかけられた。
『聖プラクセディス』はフェルメールの一番初期の作品になるため、600万~800万ポンドの値がつくとクリスティーズは予想していたが、ハンマープライスで550万ポンド、経費込みで624万2500ポンド(10億8600万円)の値がついた。
今回の競売「オールド・マスター・ペインティングズ(大画家の絵画)」を担当したクリスティーズの責任者ヘンリー・ペティファー氏によると、フェルメールの絵画は37作品しか現存していない.
民間が所有するのはそのうち『聖プラクセディス』を含め2作品しかない。
もう1つの『ヴァージナルの前に座る若い女』(1670年ごろ)は2004年7月17日、サザビーズで競売にかけられ、事前予想の300万ポンドを大幅に上回る1620万ポンドで落札された。
絵画ファンに幅広く人気のあるフェルメールの極めて限られた個人所有作品という以上に、『聖プラクセディス』を取り巻くナゾが絵画ファンの関心を集めてきた。
『聖プラクセディス』は1969年に米ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された展覧会に展示されるまで、フェリーチェ・フィケレッリ(1605~1660年)というイタリア画家の作品と考えられていた。
しかし、作品の左下隅に「Meer 1655」と読めるかすかな署名が見つかった。これをきっかけに、「Meer」という署名を使っていたフェルメール(Vermeer)の真作とみなす研究者が現れた。
フェルメール研究の権威アーサー・ウィーロック氏が1986年、フェルメールの真作と鑑定した後、1年もたたないうちに、美術愛好家である米バーバラ・ピエセッカ・ジョンソン・コレクション財団のジョンソン夫人が購入した。
ジョンソン夫人が昨年死去したのに合わせ、今回、『聖プラクセディス』が競売にかけられることになった。
『聖プラクセディス』はフィケレッリの原作を模写したものとみられている。しかし、原作にはない十字架を聖プラクセディスは手にしている。
まったく宗教性を感じさせないフェルメールの代表作『真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)』(1665年)と作風が違いすぎるとこれまで指摘されてきた。
このため、2010年にオランダ・ハーグで開かれた展覧会「若きフェルメール」から『聖プラクセディス』は除外されるなど、真作論争は実に半世紀近く続いてきた。
しかし今回、クリスティーズはオランダの国立美術館リエイクスミュージアムとアムステルダム自由大学と協力して『聖プラクセディス』の科学鑑定を実施。
その結果、『聖プラクセディス』に使用された鉛白(白色顔料)がイタリアではなくオランダで使われていたもので、他のフェルメールの初期作品『ディアナとニンフたち』(1655~1656年)の白色顔料と完全に一致した。
クリスティーズの責任者ペティファー氏は「同じ顔料が使われたということは、『聖プラクセディス』がフェルメールの真作であることを裏付けている」と断言。
「米メトロポリタン美術館所蔵の『眠る女』(1657年)の女性の表情の描き方、筆使いも共通している」と話す。
そして、フェルメールがわざわざ聖プラクセディスに持たせた十字架のナゾについても「フェルメールが『聖プラクセディス』を描いたのは1655年。彼は22~23歳でカトリックに改宗したばかりで、その信念を十字架で表現した」と解説する。
フェルメールは1653年、カトリックの女性と結婚し、プロテスタントからカトリックに改宗している。
聖プラクセディスは2世紀ごろのキリスト教の聖人で、処刑された殉教者の遺体を清めることに努めたといわれている。
『聖プラクセディス』の売上金はジョンソン夫人の遺志を継いでバーバラ・ピエセッカ・ジョンソン・コレクション財団の慈善活動資金に当てられる。
フェルメールの「超レア作品」なのに入札価格が筆者の思っていたほど伸びなかったのは、フェルメールの作品かどうかをいぶかる人がやはり多かったからか。それともバブルにはもう懲りた?
(おわり)