Yahoo!ニュース

フライデー報道が本当なら、国谷キャスターは安倍政権ではなく、NHKの体質に涙したと思う

木村正人在英国際ジャーナリスト

議場とは「言葉の戦場」である。一発勝負のインタビューも「言葉の真剣勝負」である。

言葉の真剣勝負

菅義偉(すが・よしひで)官房長官が11日の記者会見で、集団的自衛権を特集したNHK番組「クローズアップ現代」に自身が出演、国谷裕子キャスターのインタビューに応じた際、首相官邸側が内容にクレームをつけたと報じた写真週刊誌フライデーの記事について、「全くあり得ない。あまりにもひどすぎる記事だ。事実と全く違う」と全面的に否定した。

11日発売の週刊誌「フライデー」が「国谷キャスターは涙した 安倍官邸がNHKを『土下座』させた一部始終」と伝えた内容の真偽はわからないが、極めて日本的ないやらしさが感じられる。筆者は30年以上前から憲法改正が必要と主張してきた改憲派だ。今の国際情勢、憲法論、政治状況から考えると、集団的自衛権の行使を限定的に容認する先の閣議決定は極めて妥当だと考えている。

国際政治の力学が急変する時、戦争のリスクが高まることは歴史が実証している。中国が南シナ海や東シナ海で領土的野心を露わにする中、日本も玄関の土間に木刀を備える必要が出てきた。友人の危機を救うため、表に出て木刀を振り回す事態が生じることがあるかもしれない。しかし、「伝家の宝刀」はいよいよという時以外はみだりに使用しないものだ。

「いよいよ」というのは誤解を恐れずに言えば、中国が日本の領土に軍事侵攻してくる時ということである。だから、日本が歴史問題で無用に中国を刺激せず、中国の習近平国家主席が自重している限り、そんな事態は生じない。筆者は集団的自衛権そのものより、それを行使する政治、有権者の意思がもっと重要だと考える。

最近の世論調査をみると、日本の最大政党は自民党ではない。「支持政党なし層」だ。自民党はそれに次ぐ第2政党に過ぎない。民主党の瓦解と野党の離散集合で、日本に健全野党は存在しなくなった。だからメディアの役割は一層、重くなる。国谷キャスターは有権者の疑問に答える形で丁寧に質問していた。英メディアのジャーナリストに比べると丁寧すぎるぐらいだ。

12回同じ質問を繰り返した英国のジャーナリスト

筆者の友人でもある在英の英国政治研究家、菊川智文氏のブログ「ブリティッシュ・ポリティックス・トゥデイ(British Politics Today)」に英ジャーナリストのインタビューをめぐる面白いエピソードが紹介されている。

厳しいインタビューで有名なジェレミー・パックスマン氏の年俸は一説によると80万ポンド(約1億3800万円)。1997年のインタビューで、ハワード内務相(当時)に同じ質問を12回繰り返したことがある。

米国のキッシンジャー国務長官(当時)には、ベトナム戦争を終結させるためパリ協定を結んだ功績でノーベル平和賞を受賞したことについて「詐欺のように感じたか?」と質問し、激怒させた。キッシンジャー長官はインタビューの途中で退席してしまった。

BBCのニック・ロビンソン政治部長はキャメロン首相へのインタビューで、欧州連合(EU)に残留するか離脱するかを問う国民投票を2017年末までに行うと表明したことについて、「欧州懐疑派の有権者を買収しているのではないか」と質問し、「次の総選挙で首相官邸を出ることになるかもしれないですね」と皮肉った。

これに対して、キャメロン首相は「それが民主主義だ。苦痛だが、大変、良いことだ」と答えている。

ちなみに、米映画監督クエンティン・タランティーノ氏は他の英キャスターに新作映画の暴力性についてしつこく聞かれ、文字通り、ぶち切れてしまった。

政治は「言葉の決闘」だ

安倍政権が信念を持って集団的自衛権の行使を限定的に容認することが必要だと考えるのなら、テレビを通じてその信念を有権者に訴えるチャンスだった。インタビューにやり直しはきかない。一発勝負である。だから、首相官邸も切り札の菅官房長官をクローズアップ現代に送り込んだのだ。

ご存知の方も多いと思うが、「庶民院」と呼ばれる英下院の議場は与党と野党の党首が向かい合って対決する構造になっている。その距離は双方が実際の剣を伸ばしても切っ先が触れ合わない距離だ。与野党の党首、議員が言葉の限りを尽くして議論を闘わせる緊張感が政治のよどみを押し流す。

政治とは「武器」を「言葉」に持ち替えた戦争である。政権を奪うため、遠慮のない言葉で相手を斬りつける。無能な者がいかに無能かを満天下にしらしめるため、これでもか、これでもかと事実と論理が操られる。政治を志す者は大学時代から弁論部に所属し、政治思想、弁論術を身につけてくる。

「悪貨は良貨を駆逐する」と言われるが、英国の政治家は「良き言論は悪しき言論を駆逐する」と信じて疑わない人たちだ。放っておくと半日でも1日でも話し続けているような人たちだ。だから議場でもテレビのインタビューでも徹底的に討論する。そうした言論の闊達さが英国の民主主義を支えている。

英国では、前労働党政権も、現保守党政権も、大衆紙サンと高級紙タイムズ、24時間ニュース専門局スカイニュースを牛耳る米メディア王マードック氏の軍門に下っている。唯一の救いは、マードック氏が政治を支配するよりも、メディア・ビジネスでカネを儲けることに熱心なことだ。

イタリアでも、人気サッカークラブACミランを所有するメディア王ベルルスコーニ氏が長らく政界に君臨してきた。それに比べると日本の政治とメディアの関係はまだまだ健全と言えるかもしれない。

記者が涙を流すとき

筆者は大阪で16年間、事件記者をしたが、警察・検察・国税当局から頻繁に脅しを受けた。検察官から「起訴する」と脅されたり、情報漏洩ルートを調べるため同僚が任意の事情聴取を受けたりした。弁護士からも脅されたことがある。暴力団の企業舎弟からは灰皿で殴られそうになったり、「おい、そこの窓はいつでも開いているぞ」と言われたりしたこともある。

国税局の脅し文句は「調査に入るぞ」だった。

警察不祥事を追いかけていると、大阪府警幹部に呼び出され「無事にサラリーマン生活を送りたかったら大人しくしとけ」と言われて、「やってみんかい」とタンカを切ったこともある。ジャーナリストが権力から圧力を受けたり、脅されたりするのは日常茶飯事だ。ニュースソースを守るために刑務所に入る可能性すらある。

しかし、一度だけ下を向いてしまったことがある。東京から赴任してきた社会部長に「君は毀誉褒貶が本当に多いね。警察幹部が君の取材はめちゃくちゃだと言っている」と忠告されたときだ。

国谷キャスターがフライデーの伝えている通り、本当に涙を流したとしたら、首相官邸からのクレームをはねつけず、現場までおろしてしまったNHKの極めて政治的な体質にあるのではないかと筆者は考える。今回の騒動で国谷キャスターまでNHKを去ることになってしまったら、女性記者の大量退職はまた1人増えることになる。

それでもNHKは「記事にある、ご指摘のような事実はありません」(筆者のエントリーに関するNHKのJ-CASTニュースへの回答)という見解を続けるのだろうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事