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「国境越えた子供の連れ去りは違法」ハーグ条約、日本人の子供に初適用

木村正人在英国際ジャーナリスト

英国の裁判所、子供を日本に戻すよう命じる

国境を越えて不法に連れ去られた子供の扱いを定めたハーグ条約が、英国で母親と暮らす日本人の子供に初めて適用された。

日本人夫婦間の争いで、母親が子供を連れて渡英。日本で暮らす父親の申請に対して、英国の裁判所が子供を日本に戻すよう命じた。

日本では今年4月にハーグ条約が発効したばかりで、「同条約に基づき日本の子供に返還命令が出されたのは把握する限り初めて。条約の趣旨に基づいた判断だ」(外務省ハーグ条約室)という。

「国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約」は1980年にオランダ・ハーグで採択されたことから「ハーグ条約」と呼ばれる。加盟国は現在、92カ国。

日本は昨年、国会で承認

片方の親が16歳未満の子供を無断で国外に連れ去った場合、子供をいったん元の居住国に戻して、その国の裁判で養育者(監護者)を決めるという国際的な取り決めだ。

国際結婚の破綻に限らず、今回のように同じ国籍の夫婦にも適用される。

主要8カ国(G8)では日本だけが未加盟だったため、欧米から強く加盟を迫られ、昨年の通常国会でようやく承認された。

外務省などによると、今回のケースは、別居中の日本人母が今年3月末、7歳の子供を連れて英国に渡り、帰国しなかったため、父親がハーグ条約に基づき、子供の返還を求めていた。

英国政府は5月末、父親への支援を決定。英国の裁判所は7月下旬、「約束した期間を超えて英国に滞在させるのは違法な状態」と判断、子供を日本に戻すよう命じた。日本では母親側からの離婚調停が申し立てられている。

英団体「日本の家族法は『人さらい憲章』」

英国の市民団体チルドレン・アンド・ファミリーズ・アクロス・ボーダーズ(CFAB)は、英国人男性と離婚した日本人女性が無断で子供を日本に連れ去った事案を取り扱ってきた。

最高経営責任者(CEO)のアンディ・エルビン氏は2010年、日本の政府と政治家にハーグ条約への加盟を説得するため日本を訪れたこともある。

以前、エルビン氏に話をうかがうと、かなり厳しい言葉が返ってきた。

「これまでは連れ去られた子供を英国に連れ戻す手段がなかった。英国人の親は日本の裁判所に提訴することもできなかった」

「英国人の多くは日本の家族法を、夫婦間に葛藤が生じたとき連れ去りや面会拒否を促す悪名高き『人さらい憲章』とみなしてきた」

エルビン氏は日本のハーグ条約加盟について、「とてもうれしい。両親が離婚したとしても、子供には両方の親と建設的な関係を保ちながら育つ権利がある。連れ去りや面会拒否は子供を含めた当事者全員を苦しめる」と語っていた。

国際離婚が激増

今回は日本人夫婦間の争いだったが、ハーグ条約は主に国際結婚が破綻したケースを想定している。

日本人と外国人の国際結婚は1970年には年間5千件程度だったが、80年代後半から急増、05年には年間4万件を超えた。

一方、日本国内での日本人と外国人夫婦の離婚は1992年に7716件(離婚全体の4.3%)だったのが、2010年には1万8968件(同7.5%)にまで膨らんだ。

それに伴って、日本人が外国から無断で子供を日本に連れ帰ったり、逆に外国人の親が日本から子供を国外に連れ去ったりする事例が増えている。

外国政府から日本政府に対して提起されている子供の連れ去り事案は米国81件、英国39件、カナダ39件、フランス33件となっている(昨年6月時点、日本外務省調べ)。

米国では6億円超の支払い命令、テロリスト扱いも

11年、米国のテネシー州では、離婚後に子供を無断で日本に連れ帰った日本人の元妻を相手に米国人男性が損害賠償を求めた裁判で、元妻は610万ドル(約6億2千万円)という巨額の支払いを命じられた。

米連邦捜査局(FBI)の最重要指名手配犯リストでは、米国人の元夫に無断で子供を連れて日本に帰国した日本人女性の名前がテロリストと同様に扱われていた。

英国では、若い男性が「別れた妻が日本にいるが、子供に会わせてくれない。子供に会いたくて、会いたくてたまらない。英政府もどうすることもできない」と訴える悲痛な例もあった。

日本はハーグ条約に加盟していなことから、海外で離婚して生活している母親が子供と一緒に帰国しようとした場合、連れ去りを恐れて、出国を許可されない事態も発生していた。

英国でも立場が弱いのは男

国際結婚が破綻する理由は、性格の不一致、言葉や生活、文化、習慣の違い、家庭内暴力(DV)などさまざまだ。

単独親権制度の日本では、犯罪や禁治産宣告などの問題でもない限り、親権は母親に認められている。英国では離婚後も親権は両方の親にあり、裁判で監護者や面会の条件などを決める仕組みになっている。

男女平等が徹底しているように見える英国でも、家庭裁判所の判断で父親の面会が制限されたり、母親が無断で子供を連れ去ったりする事例が少なくない。

離婚した父親の親権強化を訴える市民団体「ファーザーズ・フォー・ジャスティス」のメンバーはバットマンに扮装してバッキンガム宮殿によじ登ったり、下院でブレア首相(当時)に小麦粉を投げつけたり、過激な活動を続けている。

滑稽で嘲笑を誘う哀れな父親の姿に、自分に対する思いを改めて知る子供も多いという。

DVがあれば返還の必要なし

日本では「外国でのDV(家庭内暴力)被害や生活苦から避難するため、日本への連れ去りは最後の手段として必要」という反対論がある。

しかし、ハーグ条約加盟後も、DVが明らかであれば裁判所は子供を元の居住国に戻す必要はない。

ハーグ条約で返還が拒否できる事例

(1)連れ去りから1年以上経過した後に裁判所に申し立てられ、子供が新しい環境に適応している場合

(2)申請者が連れ去り時に現実に監護の権利を行使していない場合

(3)申請者が事前の同意または事後の黙認をしていた場合

(4)返還により子供が心身に害悪を受け、または他の耐え難い状態に置かれることとなる重大な危険がある場合

(5)子供が返還を拒み、かつ該当する子供が、その意見を考慮するに足る十分な年齢・成熟度に達している場合

(6)返還の要請を受けた国における人権および基本的自由の保護に関する基本原則により返還が認められない場合

今後、日本からの連れ去りが増える事態も予想される。子供には母親だけではなく父親の愛情も欠かせない。母親にとっても父親にとっても子供はかけがえのない存在だ。

何かの事情で離婚に至っても、2人で子供を育てていく姿勢を示すことが大切だと思う。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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