Yahoo!ニュース

4項目の日中合意文書の裏側を読む

木村正人在英国際ジャーナリスト

日本は「脅威」という虚構

約3年ぶりの日中首脳会談に向け、日中両政府が発表した合意文書は、何を物語るのか。アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で安倍晋三首相と中国の習近平国家主席が会談しても、首脳レベルの文書や声明は出せないということだ。

習主席は国際的にはAPEC首脳会議ホスト国として日中「友好」を演出することでソフトパワーとしての台頭を強調する一方で、国内的にはホストとして参加国の一国である安倍首相に会うに過ぎないと説明し、強硬な保守派や人民解放軍をなだめるのが狙いとみられている。

1972年の日中共同声明以来、続いた日中蜜月の時代は、皮肉なことに日米同盟と距離を置き、日中の緊密化を企てた民主党政権時代に幕を閉じた。中国が世界第二の経済大国として台頭、スーパーパワーの米国を脅かす存在になり、アジアから日本の影響力を排除しようとしていることと無縁ではない。

日中両政府の合意文書が発表された7日、ロンドンにあるシンクタンク、英王立国際問題研究所(チャタムハウス)で開かれたパネルディスカッション「アジア太平洋の安全保障」で、在英中国大使館の外交官は従来通りの見解を繰り返した。

「日本は1937年から45年まで中国を侵略した。日本政府は43年のカイロ宣言を受け入れた」などなど。

中国は自らを歴史上の「被害者」と強調することで、実際には日本は中国の脅威でも何でもないのだが、現在も日本はアジア太平洋地域の「脅威」であり続けているというデタラメな絵を描こうとしている。

また、日本はカイロ宣言やポツダム宣言で台湾とともに尖閣諸島の領有権を放棄したと主張することで、巧妙に尖閣問題を歴史問題に結びつけようとしている。

ステレオタイプの欧米メディアはともかく、アジア太平洋地域の専門家は南シナ海や東シナ海で起きていることに気づき始めている。壊れたテープレコーダーのように同じ言葉を繰り返す中国外務省のプロパガンダには耳を貸さなくなっている。

日本の領土は日本が守る

日本の領土は日本が守る、事態が日本の手に負えないところまでエスカレートした場合にだけ米国に支援を求めたいという安倍首相の気迫、中国の圧力にへつらわない外交が中国をようやくテーブルに引き戻したと言えるだろう。

合意文書は次の4項目からなる。

(1)双方は、日中間の4つの基本文書の諸原則と精神を遵守し、日中の戦略的互恵関係を引き続き発展させていくことを確認した。

(2)双方は、歴史を直視し、未来に向かうという精神に従い、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。

(3)双方は、尖閣諸島など東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、情勢の悪化を防ぐとともに、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態の発生を回避することで意見の一致をみた。

(4)双方は、様々な多国間・二国間のチャンネルを活用して、政治・外交・安保対話を徐々に再開し、政治的相互信頼関係の構築に努めることにつき意見の一致をみた。

日中は1970年代以降の相思相愛の恋人や夫婦には戻れない。中国が現状変更を図るため作り出す「緊張と摩擦」に今後さらされ続けることになる日本にとって、話し合いのための最低限の信頼関係を確認したという意味で合意文書は前進である。

抗日史観はイデオロギー

日本が肝に銘じておかなければならないのは、中国にとって抗日史観が共産主義に取って代わるイデオロギーになっていることだ。

歴史問題の解決が日中両国の和解とアジアの平和と安定、発展につながるという考えは幻想に過ぎず、中国にとっては歴史問題の解決とは尖閣諸島の領有権を奪うことであり、「中国=被害国」「日本=加害国」というありもしない構図の固定化だ。

アジア太平洋地域、引いては世界の未来は中国に大きく左右されるが、中国の政治・経済・外交・軍事がこれからどうなるかは予測不能だ。だからこそアジア太平洋地域の平和と安定を達成するグランドデザインが必要になる。

チャタムハウスでのパネルディスカッションに参加した新アメリカ安全保障センターのシニア・アドバイザー、パトリック・クローニン氏は(1)安全保障の再保証(2)抑止力の確保(3)説得(4)新しい枠組みの構築――を進めるためには二国間関係が重要だと強調した。

現在はロシアのプーチン大統領によるウクライナ危機、イスラム教スニン派過激組織「イスラム国」が混乱をもたらすイラクとシリア情勢に頭を痛める米国だが、アジア太平洋に軍事力をシフトさせる基本戦略は今のところ揺らいでいない。

中国の圧力や北朝鮮の核・ミサイル開発で不安を感じている日本や韓国、ベトナム、フィリピンを安心させ、抑止力をきちんと働かせる。中国や北朝鮮の動きを封じ込めた上で、協調するよう粘り強く説得する。最終的にはお互いが安心して発展していける枠組みを構築していくというモデルをクローニン氏は説明した。

しかし、最近、日経新聞の高坂哲郎編集委員がこんな疑問を呈している。

米空母「4カ月の不在」

関係者によると、米空母としては唯一米国外(横須賀)を母港とする「ジョージ・ワシントン」が来年、米国での核燃料交換と整備のため日本を離れ、交代の「ロナルド・レーガン」が到着するまでの約4カ月間、アジア海域から米空母がいなくなるという。

この隙を狙って現状変更を企てる不逞な輩が現れないとも限らないというわけだ。高坂編集委員が護衛艦に短距離離陸・垂直着陸能力のある米新型戦闘機F35Bを搭載して空母として活用する可能性に言及していたので、クローニン氏に質問してみた。

クローニン氏「潜水艦や戦闘機、攻撃機があるので抑止力に穴が開くとは思わないが、日本の国防費は国内総生産(GDP)の1%に抑えられており、(2%の目標を達成できない加盟国がほとんどの)北大西洋条約機構(NATO)加盟国の軍事費でさえ高く見える。基本的に日本の安全保障に責任を負うのは日本だ」

要するに日本が必要と感じるなら、日本が考えて行動しろということだ。中国との交渉に臨む前に日本は抑止力を確保することが絶対条件になる。そこが揺らぐと中国は交渉のテーブルに着こうとしないだろう。

筆者は護衛艦の空母転用より、中国人民解放軍海軍が太平洋に出る際の要衝となる与那国、石垣、宮古、西表の4島の守りをしっかり固めることが大切だと思う。対日・対米強硬派の中国人民解放軍海軍にとってのバイタルインタレストは、与那国、石垣、宮古、西表の4島を奪うことだからだ。

ソフトパワー対決

尖閣は中国にとって歴史問題であり、日本と日米同盟に揺さぶりをかける絶好の材料だった。しかし、米国が尖閣は日米安保による防衛対象との立場を鮮明にしたことで、揺さぶりをかける隙はなくなった。ハードパワーの次はソフトパワーでの争いになる。

アジアのインフラ整備をめぐっては、日本主導のアジア開発銀行(ADB)と、中国のアジアインフラ投資銀行(AIIB)が火花を散らしそうだ。どちらが経済や環境に配慮して効果的な開発を進めることができるのか。日本モデルか、国家統制型の中国モデルか。

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉の行方もにらみながら、アジアの主導権争いが激化するのは必至だ。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事