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日本メディアは「世界のシーラカンス」 データより声の大きさ優先される公共政策

木村正人在英国際ジャーナリスト

ナラティブの大切さ

英インペリアル・カレッジ・ロンドン公衆衛生大学院生、野村周平さんにインタビューしたのは、データがどのように実際の政策に落とし込まれいくかを自分なりに考えてみようと思ったからだ。

日本語に訳すと同じ「物語」であるストーリーとナラティブの違いについてご存知だろうか。

人によって定義が異なるが、筆者の理解では、ストーリーとは始まりと終わりが決まっているのに対して、ナラティブは始点も終点もなく、変化していくものだ。

外交や安全保障、国際政治のディスカッションを聞いていると、ひっきりなしにナラティブという言葉が出てくる。

対テロ戦争では、イスラム対西洋の衝突というナラティブが定着してしまったため、アフガニスタンではイスラム原理主義勢力タリバンとの対話という選択肢を最初から消去される結果になった。

さらには西洋の中に反イスラムという嫌悪主義を植え付けてしまった。

アフガンでは開戦から13年を経て、北大西洋条約機構(NATO)が今年、戦闘任務を終了するが、タリバンとの対話の重要性がクローズアップされている。

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に参加したものの、ついていけずに帰国したイスラム教徒の若者たちを受け入れるのか、社会から排除するのかが真剣に議論されている。

ナラティブの作り方が国の安全を大きく左右するからだ。

野村さんたちによる高齢者避難のデータ分析は、「とりあえず避難」というナラティブが災害弱者である高齢者に条件反射的な避難を強い、死亡率を高めてしまう恐れがあることを指摘している。

「カイゼン」できない公共サービス

こうした研究成果を活かしていくことが、公共サービスの「カイゼン」につながる。トヨタ生産方式の基本概念の一つに数えられる「カイゼン」は日本のお家芸のはずだが、公共サービスに活かされていないのではないかという思いが日増しに強くなってきた。

例えば、文部科学省のスーパーグローバル大学・高校構想。これまで日本経済を支えてきた均質で勤勉な労働者を生み出してきたマス教育から、「選択と集中」によるエリート教育に大きく転換するものだ。

しかし、「選択と集中」は選ばれなかった大学・高校の切り捨てに他ならず、収穫逓減の法則で「選択と集中」の効果は長くは続かないと元三重大学学長で前国立大学財務・経営センター理事長、鈴鹿医療科学大学の豊田長康学長は指摘する。

豊田学長は公開されたデータを手掛かりにコツコツ自分で分析した結果をブログで公表し、スーパーグローバル大学・高校構想のあり方に疑問を唱えている。

この構想が万が一にでも失敗に終わったら日本の知性は十年後に崩壊しているかもしれないというのに、文科省が公開しているデータと、「選択と集中」というナラティブに関する説明は不十分なように筆者には思える。

英国では、民間資金を取り入れて校長の裁量権を増すアカデミー校やフリースクールを拡大して公教育のテコ入れを図っている。と同時に7歳までに貧富による教育格差がつかないよう目配せしている。

大学・大学院などの高等教育で世界的に高い評価を得ている英国では、これ以上格差を広げると将来の社会コストが高くなると考え、公共サービスを「カイゼン」するため試行錯誤の真っ最中だ。

教育格差の縮小を目指す英国と、グローバル人材(エリート)養成という名の下、格差拡大に進む日本。英国の公教育は相当壊れているが、日本でも一部の学校の荒廃ぶりは想像を絶している。いずれも結果が出るのはこれからだ。

声の大きさが優先する日本

政府債務が国内総生産(GDP)の240%にも達している日本では公共サービスの「カイゼン」が民間企業のようには進んでいない。どうしてか。

霞ヶ関の若手官僚、英国留学中の研究者、霞ヶ関に精通する大手メディアのベテラン記者らに「データは活かされていますか」と質問してみた。答えは「日本の政策はデータより声の大きさで決まっています」と共通していた。

声の大きさを優先すれば民間企業なら倒産という憂き目にあうが、国家がなくなるということはない。公共政策は一部の政治家や利益団体の都合で決められている要素が大きく、そのツケが膨大な政府債務と日本の停滞をもたらしている。

権力を監視するメディアは何をしていたのか。筆者も反省しなければならない。新聞記者時代、「第二国土軸」や紀淡連絡道路という霞ヶ関のナラティブに踊らされて、いい加減な記事を随分書いてしまった。

恥ずかしい話、取材先から話を聞いて記事を書くのが仕事と思っていたので、将来の予測データに基いて政策を検証するという作業は余程の情報がない限り、やらなかった。汚職や不正に目を光らせるのが精一杯で、政策の効果を見抜く能力も知恵もなかった。

当時はパソコンもインターネットもなく、データは役所が独占していた。

2002年、米国ではノースカロライナ大学チェペルヒル校のフィリップ・メイヤー名誉教授が著書『プレシジョン・ジャーナリズム(正確な報道)』を出版している。

26年間も新聞業界に身を置いたベテラン・ジャーナリストでもあるメイヤー氏は1960年代後半からコンピューターを使った報道に取り組んできたデータ・ジャーナリズムの草分け的存在だ。

米英では、前出の豊田学長が取り組んだようなデータ分析は新聞社やTV局のジャーナリストが日常的に行っている。21世紀のジャーナリストはストーリー・テラーとしてだけではなく、データを読み解く能力も求められている。

16年間も事件記者として朝駆けと夜討ちに明け暮れた筆者は若手記者から「シーラカンス」と冷やかされたものだが、今やロンドンから見ると「日本メディアは世界のシーラカンス」と言ってもおかしくない状況だ。

次回は、東日本大震災と福島第1原発事故を取材した米紙ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長に質問している。

(つづく)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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