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差別発言でカネに窮したDNA二重らせん発見者 ノーベル賞メダル競売の栄光と転落

木村正人在英国際ジャーナリスト

2本のリボンが絡みあうように美しいらせんを描くDNAの構造を発見し、1962年のノーベル医学・生理学賞共同受賞者、ジェームズ・ワトソン氏(86)がノーベル賞メダルを米ニューヨークのクリスティーズでオークションにかけるという。

存命中の受賞者のノーベル賞メダルが競売にかけられるのは初めてだ。何があったのか。

ワトソン氏は2007年10月、新著宣伝のため英国を訪問。英日曜紙サンデー・タイムズのインタビューに対し、「アフリカの人々の知能は私たちと同じという前提で社会政策がつくられているが、すべての知能テストがそうではないことを示している」と発言。

「今後10年内に遺伝子が人間の知能に差をもたらしていることが発見されるだろう」と人種によって知能指数が決定されるという人種差別に当たる持論を堂々と展開した。ワトソン氏の講演を予定していたロンドンの科学博物館は「科学的論争の限界を超えている」として講演会の中止を決定する騒ぎになった。

ワトソン氏は米コールド・スプリング・ハーバー研究所会長職からの引退に追い込まれ、支援企業も離れていった。その後、講演会のお呼びはまったくかからなくなった。ワトソン氏は「あの発言で社会的に抹殺されてしまった」と英紙フィナンシャル・タイムズに嘆いている。

振り返れば、ワトソン氏のノーベル賞受賞にも光と影があった。ワトソン氏はノーベル賞受賞後、『二重らせん』を出版、DNAの構造を解明する競争で繰り広げられた人間ドラマを赤裸々に描いて大きな話題をまいた。

この中で暗愚な研究者として描かれた英国生まれのユダヤ人女性、ロザリンド・フランクリンが撮影したDNAのX線写真をワトソン氏らが見ていなかったら、DNAのあの美しい二重らせん構造は他の研究者によって先に発見されていたかもしれない。

「核酸の分子構造および生体の情報伝達におけるその重要性の発見」で62年にノーベル医学・生理学賞を共同受賞したのはワトソン氏のほか、フランシス・クリック、モーリス・ウイルキンス。ワトソン氏の『二重らせん』を地で行く醜悪な人間ドラマが発見の背後に隠されていた。

ワトソン氏とクリックの属するケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所と、ウイルキンスとフランクリンのキングス・カレッジは当時、DNAの構造解明をめぐって激しい火花を散らしていた。さらに研究者のプライドをかけたウイルキンスとフランクリンの確執。

一方、ワトソン氏も非妥協的なフランクリンと論争になったことから、研究機関の競争関係を越えて、ウイルキンスと急接近する。ウイルキンスはワトソン氏に、フランクリンが撮影したDNAのX線写真をこっそり見せた。

ワトソン氏は『二重らせん』の中でこう記している。

「私は唖然として胸が早鐘のように高鳴るのを覚えた。(略)写真のなかでいちばん印象的な黒い十字の反射はらせん構造からしか生じえないものだった」

X線のデータに詳しいクリックも別のルートでフランクリンのX線写真を見ていた。フランクリンは自分の未発表の研究データがワトソン氏やクリックに流れたとも知らずに1958年に他界している。

ノーベル賞メダルの落札予想価格は250~350万ドルとクリスティーズは見積もる。「(知能指数は人種によって決まるという)人種差別発言はあまり影響しないだろう」という。

直筆の研究ノートやノーベル賞授賞式のスピーチ原稿も同時に競売にかけられる。

クリックのノーベル賞メダルは昨年5月、200万ドル以上で落札された。メダルは23金、直径6.6センチ。

ワトソン氏はクリスティーズのホームページに「ノーベル賞を受け取るとき、盗難されると大変だから銀行の金庫室にしまっておくようアドバイスされた。クリスティーズでの競売前に実際に自分の手に取ってみたのは、銀行の金庫室に新たな貴重品を預けた時の数回だけ」と記している。

オークションで得た収益で、英国のポップアート画家ホックニーの作品を購入したり、母校のシカゴ大学や、ケンブリッジ大学の研究機関に寄付したいという。

(おわり)

参考『隠された科学者─ロザリンド・フランクリン』青山学院大学理工学部、福岡伸一教授

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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