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「暗黒の火曜日」ルーブル一気に11%下落 北方領土交渉に好機到来

木村正人在英国際ジャーナリスト

ブラック・チューズデー

ロシア中央銀行が政策金利を17%に引き上げたにもかかわらず、ロシア通貨ルーブルが1ドル=71ルーブル台まで暴落した。プーチン大統領にとっては「ブラック・チューズデー(暗黒の火曜日)」だ。

対ドルでルーブルは1日で11%も下落。通貨危機がロシア金融危機の引き金になるかが懸念される。もう打つ手が資本規制しかなくなってきた。ロシアからの資本逃避を凍結するのか。預金封鎖もあり得るのだろうか。

対ドル・ルーブル相場の動き(ヤフー・ファイナンスより)
対ドル・ルーブル相場の動き(ヤフー・ファイナンスより)

世界金融危機や欧州債務危機ではアイスランドやキプロスで資本規制が行われた。ロシアの外貨準備高は今年初めの4990億ドルから10月末には4286億ドル、11月末は4190億ドル、さらに4千億ドルに近づいている。

筆者がロシアからの資本逃避がすごいことになっていると聞いたのはクリミア編入直前の今年3月中旬だった。欧州の国際金融機関で働く知人からの情報だった。

ウクライナに事実上「武力介入」したプーチン大統領への不信が、国内の高い支持率とは裏腹に広がっていた。情報操作で大衆は騙せても、オリガルヒ(新興財閥)は虎の子のオカネを国外に移し始めていた。それでもルーブルは強かった。

7月上旬、北海ブレント原油価格は1バレル=110ドル超。為替は同月9日、1ドル=33ルーブルだった。プーチン大統領は2月末から3月にかけクリミアを編入、4月には親ロシア派勢力がウクライナ東部の政府施設を占拠するなど、やりたい放題だった。

転機はマレーシア航空機撃墜事件か

ウクライナ危機の年表と原油価格、対ドルのルーブル相場のチャートをながめていると、7月17日にウクライナ東部でマレーシア航空の旅客機が撃墜され、オランダ人192人を含む乗客乗員298人が死亡した事件が大きな転機になっている。

同機はロシア製の地対空ミサイルで撃墜されたとみられ、親ロシア派勢力の関与が疑われている。しかし、現場が十分に保存されておらず、証拠隠滅の恐れも指摘されている。

堪忍袋の緒を切らした欧米諸国は対ロシア経済制裁を一気に強化した。このころから原油価格が下落を始め、ルーブル安を引き起こしている。原油安は産油国サウジアラビアによる米国のシェールオイル潰しとも言われるが、果たしてそうだろうか。

オバマ米大統領の要請にサウジアラビアが応じ、原油安でロシアの経済と財政を圧迫し、プーチン大統領を追い詰めようとしているというのが真相ではないだろうか。

サウジアラビアなどイスラム教スンニ派諸国は、核開発を進めるイランや、シリアのアサド大統領を支援するプーチン大統領を忌々しく思っていたに違いない。スンニ派諸国は、シーア派の影響力が広がるのを警戒している。

原油安は日本には追い風

プーチン大統領を苦しめている原油安だが、テクニカル・リセッション入りした日本にとっては朗報だ。原発再稼働が停滞する中、原油の輸入価格や電気代、引いては貿易赤字も抑制できる。

2年程度で2%の安定インフレを目指す日銀の黒田東彦総裁には物価を押し下げる原油安は逆風になるが、黒田総裁も内心では追加緩和の新たな口実ができて良かったと思っているのかもしれない。

前回のエントリーで指摘したように、原油価格が1バレル=30ドルを割っていた1997~98年、北方領土は最も解決に近づいた。

97年から4年近くクレムリン番記者を務め、その後、英国に亡命したロシア人女性ジャーナリスト、エレーナ・トレグボワさんからこんな話を聞いたことがある。

「あなたの求める島をすべて返そう」

97年11月にロシア・シベリア中部のクラスノヤルスク郊外でエリツィン大統領が橋本龍太郎首相(いずれも故人)と会談した際、「あなたの求める島をすべて返そう」と北方四島の全島返還を約束したというのだ。

クレムリンの記者クラブに所属していたトレグボワさんはエリツィン大統領に同席した側近から教えてもらったという。

トレグボワさんの話では、エリツィン大統領は橋本首相との非公式会談で4島返還を約束してしまった。驚いたヤストルジェムスキー大統領報道官が「大統領、やめてください」とエリツィン大統領を制止した。

大統領は不服そうに「私はリュウ(橋本首相の愛称)に約束した。お前はそれを許さないのか」と同報道官に対応を任せたというのがトレグボワさんの話だった。

当時、産経新聞ロンドン支局長だった筆者は「すごい話だな」と思って送稿した。記事が掲載されてしばらくして「トレグボワはいい加減な女だ。彼女の本にはまったく逆のことが書いてある」と東京の編集局からクレームがついた。

実はトレグボワさんはロシアで『番記者が見たクレムリン』(筆者の仮訳)を出版、ロシア連邦保安局(FSB)長官だったプーチン氏に誘われ、スシレストランで2人きりで会食したことなどを暴露して逆鱗に触れ、ロンドンに逃れてきたのだ。

トレグボワさんは本に「4島返還」の話も書いてあると言うので確認して送稿したのに、変なクレームだなと思った。

実は筆者もトレグボワさんをロンドンのスシレストランに誘ったのだが、彼女はベジタリアンなので「酢めし」しか注文しなかった。「4島返還」の話は酢めしを食べながら雑談した時に飛び出したので、とてもウソをついているとは思わなかった。

当時の状況にはめ込んでも、齟齬はなかった。

プーチン政権を批判してロシアの日刊紙を解雇され、自宅前で爆発が起きたあと「しゃべりすぎる奴は舌を切り落とされる」と脅されても言論活動を続けている人なのに、ウソをついてどんな得があるのかとも思った。

丹波元外務審議官の証言

後に97~98年の日露トップ交渉について、丹波實元外務審議官(元駐露大使)が産経新聞に詳細を明らかにしている。

丹波氏によると、クラスノヤルスク会談でエリツィン大統領が橋本首相に「今日を1855年の日露通好条約(日露両国は国境を択捉島とウルップ島との間に定める)と比べることができる歴史的な一日にしたい。自分は東京宣言(4島を明記し、「歴史的・法的事実」「法と正義の原則」などに基づき解決するとしている)を暗記するくらい覚えている。前進が必要だ。自分の任期中にこの問題を解決したい。そのための行動計画をつくろう」と語った。

98年の川奈会談で橋本首相が「もしロシアが日露間の国境線がウルップ島と択捉島との中間線にあるということを平和条約に明記するのであれば、日本は別途合意するまでの当面の間、ロシアの4島支配を認める」と説明したが、ロシアはその後、「日本の極端な立場」と拒否したという。

結局、日本は最大のチャンスをものにすることができなかった。

酒飲みで気のいいエリツィン氏とKGB(旧ソ連国家保安委員会)出身の黒帯プーチン大統領とでは役者は違いすぎる。しかし、原油安でロシア経済が弱体化すれば北方領土交渉は日本にとって有利に運ぶ可能性がある。

反プーチン勢力の砦であるロンドンから見ていると、日本ではプーチン人気が異様と言えるほど高い。プーチン大統領周辺はいろんなチャンネルを使って、ロシアにとって有利な情報を日本に流し続けている。「2島返還」や「2・5島返還」、「3島返還」はその最たるものだ。

来年に向けてプーチン大統領の訪日を準備する安倍政権は「4島一括返還」の基本方針を動かすべきではないと筆者は思う。ルーブル危機再来でプーチン大統領が強硬になるのか、宥和的になるのか。それともポスト・プーチンもあり得るのか、見極める必要がある。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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