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「イスラム国」よ、後藤さんを解放せよ 「首相責任論」「自己責任論」の愚かさ

木村正人在英国際ジャーナリスト

妻のメッセージ

イスラム過激派組織「イスラム国」とみられるグループに拘束されているフリージャーナリスト、後藤健二さんの妻がロイター通信を通じて英語の音声メッセージを発表した。夫の無事解放を祈る妻の心中を思うと胸が押し潰されそうになる。

メッセージによると、後藤さんは昨年10月25日にシリア国内で連絡を絶ち、妻は後藤さんの無事を確認するため水面下で奔走してきた。12月2日、誘拐したグループからメールが届いた。

今年1月20日、湯川遥菜さんと後藤さんの身代金として2億ドルを要求する動画を見た。以来、グループと何回かメールをやりとりした。

今まで声明を出さなかったのは、メディアの注目から2歳と生後4カ月足らずの幼い娘ら家族を守ろうとしたためだという。

約20時間前、グループから29日の日没までにヨルダンで収監中の死刑囚の解放を命じるメッセージ公開を求めるメールが届いたため、英語で音声メッセージを発表したという。

後藤さんが解放されることを祈らずにはいられない。後藤さんも、夫の無事を祈る家族も心身ともに限界に達しているだろう。

英国には人質家族を支援する団体がある

人質になった本人やその家族が新たな人質事件に巻き込まれた家族をサポートするため設立した慈善団体「ホステージ・UK(人質・英国)」。そのホームページによると、人質家族は恐怖、不安、無力感が入り混じった感情にとらわれ、フラストレーションや怒りを爆発させることもある。

それだけに冷静に後藤さんの解放を訴えた妻のメッセージは胸を打つ。

後藤さんはフリージャーナリストなので、会社からのサポートは期待できない。後藤さん自身だけでなく、ご家族は大変だ。英国の場合、家族は外務省、警察、保険会社、民間警備会社に連絡を取る。

「ホステージ・UK」も連絡を受ければ家族をサポートする。精神面だけでなく、資金面、さまざまなアドバイスが人質経験者やその家族、専門家から受けられる。

しかし、後藤さんの妻は親類や友人、警察や外務省からのサポートしか受けられていないのではないか。経験豊富な交渉人が間に入っていれば、家族の負担は少しは軽くなっていたのではないか。身代金保険には加入していたのだろうか。

日本の大手メディアがリスクが大きすぎるとして特派員を退避させている地域に後藤さんは1人で向かった。そこで暮らす人々の様子を伝えるためだ。2012年、シリアで取材中に命を落とした山本美香さんと言い、フリージャーナリストの立場はあまりにも過酷だ。

狡猾なグループの交渉手口

後藤さんの妻をメディアに引きずりだしたグループの手口はあまりに卑劣だ。しかし、計算され尽くしている。

日本国内の身代金目的誘拐事件では報道協定が結ばれるように、後藤さんの妻から届け出を受けた警察や外務省は交渉のフリーハンドを確保するため口外しないよう助言したはずだ。

「メディア・ブラックアウト」と呼ばれる状況を作り出すのが捜査の常道だ。

しかし、グループは安倍晋三首相の中東訪問を狙って法外な身代金を要求する動画をネット上に投稿、世界中のメディアを通じて「イスラム国」の恐怖を一気に拡散させた。これで交渉の主導権を握る。

欧米諸国にイラクとシリアから手を引かさせ、カリフ(イスラム社会の最高指導者に率いられた)国の建設をじゃま立てさせないのが狙いだ。期限を延長することで世界中の注目を集め、「イスラム国」の存在を実際以上に大きく見せる。

日米を分断し、ヨルダンを巻き込み、日本政府と後藤さんの妻の間にミゾをつくる。米国の「テロとの戦い」から日本とヨルダンを脱落させる。世論の批判を「イスラム国」より日本、ヨルダン両政府に向けるのが彼らの戦術だ。

「首相責任論」「自己責任論」の愚かさ

今回の事件で日本では「首相責任論」「自己責任論」なるものが議論され、安倍晋三首相は29日の衆院予算委員会で「領域国の同意がある場合、自衛隊の能力を生かし、救出に対応できるようにするのは国の責任だ」と安全保障法制の成立に意欲を見せた。

どうかしている。まず私たちは後藤さんの無事を祈り、家族に寄り添うべきだ。これまで後藤さんのサポートを受けてきた大手メディアは後藤さんが紛争地の子供たちを優しい眼差しで伝えてきたことを世界に向けて発信すべきだ。

安倍首相は今、海外の邦人保護を議論するのが適切か考える必要がある。後藤さんと湯川さんが「イスラム国」に誘拐されているにもかかわらず中東を訪問するリスクについて警察庁から事前にアドバイスを受けていなかったのだろうか。

後藤さんが誘拐されたのは、シリアに潜入取材した後藤さんの責任でも安倍首相の責任でもない。

英政府のテロ対策年次レポート(2013年)によると、イスラム過激派による誘拐は08年以降、150人以上にのぼる。12年には50人が誘拐され、10年から倍増した。多くのケースで身代金が支払われ、総額は少なくとも6千万ドルに達している。

シリアだけでなく、アフガニスタン、パキスタン、リビア、ナイジェリア、ソマリア沖などで、いつ、誰が誘拐されてもおかしくないのだ。

身代金支払いに応じるか否かは家族の判断だ

米国と隊列を組む英国では、身代金の支払いに応じることは新たなテロの資金源になり、さらなる身代金目的の誘拐を助長するとして法律で禁じている。しかし家族にとって最愛の人を救うため身代金を支払うことは違法ではあっても道義的には許されるのではないかという議論がある。

09年にソマリア沖で海賊に拉致され、13カ月間人質になった英国人夫婦は45万ポンドを支払って解放された。英政府がソマリア政府に580万ポンドの開発援助を受け、ソマリア政府がこの中から30万ポンドを負担したという報道もある。

昨年、イエメンで誘拐された英国人教師は身代金14万ポンドを支払って解放されたと報じられた。リビアで誘拐され、5カ月間人質になった英国人教師も身代金を支払って解放された。

大手メディアの対応はどうか。民放局チャンネル4は08年、アフガニスタンで誘拐されたジャーナリストを救出するためにイスラム原理主義勢力タリバンに15万ポンドを支払っている。

キャメロン英首相は主要8カ国(G8)首脳会議でテロ組織の身代金要求に応じないよう呼びかけたが、人質家族の思いは180度異なるのだ。

後藤さんの妻に、身代金保険に入ったり、交渉人を依頼したりする選択肢はあったのだろうか。メディア・ブラックアウトの3カ月間にグループとの交渉が上手くいかなかったとしたら、「ホステージ・UK」に相談した方が良かったかもしれない。

英国の保険会社関係者によると、日本では身代金保険について誘拐を助長するとして周知するのを控える傾向が強いそうだ。

メディアに話すのは得策ではない

「ホステージ・UK」はメディア対応について、「家族はメディアに話す前に必ず慎重に考えるべきだ」とアドバイスしている。「ほとんどのケースでメディアに話すのは得策ではない。報道が人質にマイナスのインパクトを与える可能性があるからだ」という。

「ホステージ・UK」のガイドブックによると、ジャーナリストは多くの情報を知りたがる。彼らに話す必要はないが、彼らが何を求めるかを知ることは助けになる。お金持ちに見えるような写真や特に軍に関係するような写真は絶対、メディアに提供してはならない。

インターネットがこれだけ普及している時代だから、あなたが発するひと言ひと言は誘拐犯に届いている。ジャーナリストは事件が注目を集めれば集めるほど情報を得ようとする圧力を受けている。でも、あなたが望まないなら何一つ話す必要はない。

報道を望まないならメディアにそう伝えなさいと「ホステージ・UK」は強調している。

アンケートに答えてくださるとうれしいです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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