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英国俳優がハリウッドで人気爆発 成功の7つのカギ(動画あり)

木村正人在英国際ジャーナリスト

労働者階級は俳優になれない?

今年度のアカデミー賞には英国から19部門計39件がノミネートされ、『博士と彼女のセオリー』のレッドメイン(33)と『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』のカンバーバッチ(38)が激しい主演男優賞争いを演じた。

栄光のオスカーは、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患う物理学者ホーキング博士を演じたレッドメインが手にした。レッドメインは名門私立イートン校出身でウィリアム王子とご学友、カンバーバッチも名門私立ハーロー校出身というエリートだ。

名門私立校出身者の対決となったため、英国では「政治やビジネスの世界だけでなく、演劇や映画界からも労働者階級は次第に締め出され、富裕層に独占されつつある」という階級論争が火を噴いた。

名門私立校の学費は年間3万4千ポンド(635万円)を超え、富裕層の子弟しか通えない。現在も残る英国の階級社会の象徴でもある。

財政再建に取り組む保守党のキャメロン政権は映画産業を育成・促進するUKフィルム・カウンシルを廃止・統合し、劇場やギャラリーを支援するアーツ・カウンシルの予算も30%カット。

「保守党は芸術まで削減した」と最大野党・労働党の批判を受けてきた。

総選挙にらみの階級論争

今年5月の総選挙を控え、労働党のブライアント影の文化相がレッドメインがアカデミー賞に先立ちゴールデングローブ賞ドラマ部門主演男優賞を受賞したことを受け、こう言い放った。

「レッドメインの受賞は喜ばしいが、私たちはレッドメイン、歌手ジェームス・ブラント(ハーロー校出身)やその同類が文化を支配するのを許すことはできない」

アカデミー賞助演女優賞のジュディ・デンチは「劇場には演劇学校に通うため援助してほしいという手紙が数え切れないほど来る。演劇学校はカネがかかりすぎるようになった」という。

ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)のジュリー・ウォルターズも「労働者階級の俳優が少なくなったのは嘆かわしい」と同調する。

労働者階級出身のウォルターズは「私のような人は今なら、カレッジには進めない。私の時代は奨学金がフルに出たから行くことができた」という。

こうした声に対して、影の文化相にやり玉に上げられた人気歌手ジェームス・ブラントは反撃の狼煙を上げた。

「ハーロー校に行ったのはたまたまで、音楽界に入るとき誰の助けも受けなかった。影の文化相は階級にとりつかれている」

富裕層しか演劇学校に行けないという大嘘

英国の演劇界は本当に名門私立校出身者に独占されているのだろうか。そんなことはないと、演劇の促進を図るロビー団体「ドラマUK」は反論する。

2013年時点でオックスフォード大学は学生の57%が公立学校出身、ケンブリッジ大学も60%に達している。では、演劇学校は――。公立学校出身者の割合はもっと高かった。

セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマ 83.8%

ギルドホール音楽演劇学校 79.5%

マウントビュー・アカデミー・オブ・シアター・アーツ 85%

リバプール・インスティチュート・オブ・パフォーミング・アーツ87.4%

LAMDA 65%

RADA 71%

ブリストル・オールド・ビック・シアター・スクール 77%

アーツエド・スクールズ 50%

ローズ・ブルフォ 91.6%

オックスフォード・スクール・オブ・ドラマ 42%

名門セントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマによると、学生の43.2%は年収2万5千ポンド未満の家庭出身者。これでも労働者階級には演劇への道が閉ざされていると言えるのだろうか。

英国勢の躍進

筆者は、階級論争より、アカデミー賞主演男優賞でダニエル・デイ=ルイス氏(07年の『ゼア・ウィル・ビ・ブラッド』、12年の『リンカーン』)、コリン・ファース氏(10年の『英国王のスピーチ』)と英国勢の活躍が最近、目覚ましいことを素直に喜びたい。

そこで、『スター・ウォーズ』のユアン・マクレガーや『ロード・オブ・ザ・リング』のオーランド・ブルームを育てたロンドンのギルドホール音楽演劇学校のケン・レイ氏を訪ね、疑問をぶつけてみた。

ギルドホール音楽芸術学校のケン・レイ氏(筆者撮影)
ギルドホール音楽芸術学校のケン・レイ氏(筆者撮影)

――労働党支持の英紙ガーディアンを中心に、演劇界も名門私立校出身のエリートに独占されているという主張が目立つ

「レッドメインとカンバーバッチがアカデミー賞主演男優賞に同時にノミネートされたのは偶然。ただ、名門私立校出身者は特別な自信を持っていることが強みだ。インタビューやオーディションで自信を見せつけるエネルギーがある」

――演劇学校の授業料が高すぎて労働者階級の子供は通えないという批判があるが

「(保守党政権になって)年間授業料が3千ポンドから9千ポンドに引き上げされたが、私たちはあらゆるバックグラウンドから才能を集めるのが仕事。労働者階級の学生が増えれば、もっとエキサイティングになる」

「毎年2600人が応募して演劇学校で学べるのはわずか26人。その競争をくぐり抜けることができるタレントさえあれば私たちは奨学金を受け取れるように全力で支援する。労働党・影の文化相の指摘は的外れだ」

7つのカギ

新著『突出した俳優、成功のための7つのカギ(仮訳)』を発表したレイ氏がダニエル・デイ=ルイスやジュード・ロウら大成功を収めた俳優たちと意見を交わし、一致した名優に欠かせない7つの資質とは何か。

(1)温もりと寛容

冷たさよりも温もり、自己中心的な振る舞いより寛容さが最初のクラスで強調される。

(2)他者への敬意

お互いに成長していくために他者の居場所を認める。

(3)情熱

演劇界も映画界も認められるより拒否されることの方が圧倒的に多い。エネルギーを持ち続けられる情熱が必要だ。

(4)弾力性

日本のことわざにあるように「七転び八起き」の精神が激しい競争を生き残るためには最も重要だ。

(5)危険な香り

観衆は驚きを求めている。だから予測不能な部分が求められる。

(6)存在感

過去ではなく、そのとき、そのとき周囲に認知させる圧倒的な存在感を発していること。

(7)カリスマ

こうした要素を兼ね備えて初めて観衆を惹きつけるカリスマ性を身につけることができる。

ギルドホール音楽演劇学校でレイ氏の指導風景を見学させてもらった。失敗から学んで立ち上がるリスクを取ることや演技する楽しさが何度も強調される。興味がある方は筆者が撮影した動画をご覧下さい。

最初のドラマ・トレーニングは、池に投げ込まれた石に反応するカエルを表現するというテーマだ。レイ氏は日本の「俳句」をイメージさせて、体全体で表現するよう指導した。

次の場面は教師に早期退職を言い渡す校長の演技。2人は「対決」か、それとも全面衝突を「回避」しようとしているのか目的を設定し、次に動物になったり、色を意識したりしながら演技を積み重ねていく。

いろいろな要素が加わるにつれ、演技に深みが増していくのが手に取るようにわかる。

俳優の半数は年収90万円余

実は演劇学校に入るより、卒業後に厳しい現実が待ち受けている。「英国の映画界や演劇界で働く俳優の約半数が年間5千ポンド(92万円余)未満の稼ぎしかない」とレイ氏は言う。

役者として食えるようになるまで長い苦難の道が待ち受ける。労働者階級は役者になれないというより、ワーキング・プアの下積み時代を耐える覚悟がないと役者にならない方が良い。

レイ氏が「僕の教え子に日本人の石田淡朗がいるよ」と教えてくれた。

日英戦後和解をテーマにした映画『The Railway Man(邦題はレイルウェイ 運命の旅路)』でコリン・ファースと真田広之と共演した石田さんは一度、取材してブログで紹介したことがある。

早速、ロンドンを拠点にサンフランシスコでも活動する石田さんに連絡を取ってみた。石田さんは3歳から父・石田幸雄のあとを継ぎ、人間国宝・野村万作に師事し、能狂言の舞台に立ってきた。

ニューヨーク・カーネギーホール、ロンドンのグローブ座など海外の劇場でも公演したのがきっかけで、15歳のとき渡英。ギルドホール音楽演劇学校を日本人として初めて卒業した。

英国の役者は職人、米国はアーティスト

石田淡朗さん
石田淡朗さん

――英国の俳優が米国の芸能雑誌を席巻しているが

「英国の役者教育は歴史もあり、確立している。職人を育てるという感覚だ。ツール、クラフト、スキルをすごく気にする。それに比べて米国ではアーティストを育てるという感じがする」

「ハリウッドも今、財政難。フィルムからデジタルになって撮影費用がかからなくなった。しかし、時間がかかるとそれだけ経費がかかる。職人として育てられた英国の役者の方が限られた時間内でも常に合格点の演技ができる」

「これに対して芸術家として育てられた米国の役者は精神的にも感情的にも良いときは良いが、調子が悪いときは時間がかかる。それで経費もかかってしまう」

「限られた時間内で監督に指示されたことを的確に、一定の基準を下回らないようにやれる、その基準値を上げるようにトレーニングを積んできている英国の役者が買われているというのはすごく感じる」

――英国の俳優には有名私立校出身者が多いという指摘があるが

「演劇界も映画界も1カ月であれ、3カ月であれすごく濃い時間を共有する。新しい人よりも前に一緒に仕事をしたことがある人や信頼している人から紹介された人と、というのが自然な流れになる」

「演出家にオックスフォード大学、ケンブリッジ大学の出身者が多いので、知り合いか、お墨付きのある人となると、どうしてもその階級になってしまうというとらえ方が正しい」

「経済がうまく回っていないから冒険してみようと思わない。冒険したくないから職人の英国俳優を選ぶということだと思う」

――演劇学校に通う学生に奨学金が出にくくなっているというのは本当か

「僕は06年に入学し、09年に卒業した。奨学金はもらった。ギルドホール音楽演劇学校の場合、奨学金は出やすいが、出ない学校もある。僕が卒業した後、ギルドホールでも入学できないケースが何人かあったようだ」

階級より忍耐が問題だ

――ギルドホール音楽演劇学校で得たものは

「一番大きなものは自信。2年のときツールボックスを豊富にすることに集中した。おかげで歴史的なダンスであれ、格闘技であれ、どんな役が来ても、『少し練習すればできる』ということができる」

「階級より、忍耐が問題だ。仕事がない時期が必ずあるので、生活面でも精神面でもどこまで耐えられるかが非常に大切。100倍以上の難関をくぐり抜け、ギルドホールで3年間みっちり学んだ自信があるから耐えられる」

財政難の英国では実際に芸術は切り捨てられているのだろうか。石田さんは第二次大戦でナチスに勝利したチャーチル首相のエピソードを例に出す。

大戦中、軍事費を捻出するため、芸術予算を削減しようという話が出たとき、チャーチルが立ち上がった。

「それではわれわれは何のために戦っているのか。芸術という人間の価値を守るために戦っているんだ」

芸術予算のカットは見送られた。英国では芸術の占める地位は確立されている。チャーチルの言葉は重い、と石田さんは言う。

(おわり)

石田さんは現在、東北、東京、カルフォルニアの海岸を故郷にする3人の物語『君に生きる』(アル・ホワイト監督、コリン・ファース監修)の脚本、出演、プロデュースを手掛けている。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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