Yahoo!ニュース

シリア難民アラン君の写真はなぜ、世界を動かしたのか

木村正人在英国際ジャーナリスト
トルコの通信社DHAのHP(モザイクは筆者)

トルコの海岸に打ち上げられたクルド人のシリア難民アラン・クルディ君(3歳)の遺体を撮影した女性カメラマン、ニリュフェル・デミアさんが所属するトルコの通信社DHAのインタビューに応じている。

アラン君の写真は世界に衝撃を与えたが、死の描写がリアルすぎるため掲載を見送ったメディアも少なくなかった。大手メディアの大半は遺体の写真は掲載しない自主規制を設けており、日本メディアはアラン君の遺体を掲載した英紙インディペンデントの1面にモザイクをかける形で報道した。

ロンドンで暮らす筆者は英BBC放送が、アラン君の遺体の写った映像を放送しているのに非常に驚いた。BBCは原則として遺体の写真や映像は使用しないからだ。

アラン君の死が持つ意味を伝えようと、遺体の写真を加工したシリア出身のグラフィックデザイナーのツィッターを転載してYahooニュース個人に投稿したところ、「待った」がかかった。編集ルールに抵触するという理由だった。

BBCも一番ショッキングな写真は使わなかったそうだ。アラン君の遺体がカメラマンのニリュフェルさんに撮影され、その写真が世界に配信されていなかったら、英国をはじめ欧州の政治指導者は、地中海を渡ってくる難民を厄介者扱いするのをやめなかったはずだ。

世界金融危機と欧州債務危機を経て「成長の限界」が見えた欧州では、高齢者や下層階級に移民や難民を毛嫌いする空気が広がっている。ドイツでも排外主義やネオナチがうごめき、難民の収容施設に放火する嫌悪犯罪が急増している。

アラン君の写真にモザイクをかけて報道したり、掲載を見送ったりするのは正解か否か。商業主義を優先するメディアはページビュー稼ぎのため掲載するかもしれないし、茶の間にショックを与えるとして見送るかもしれない。

現場のジャーナリストや編集者はどう判断したのか。

アラン君の遺体を撮影したニリュフェルさん(VICEのHPより)
アラン君の遺体を撮影したニリュフェルさん(VICEのHPより)

まず、DHAのインタビュー記事からニリュフェルさんの話に耳を傾けてみよう。彼女はトルコからギリシャに密航する難民問題を12年も追いかけてきた。この2~3カ月、密航の規模はかつてないほど拡大していたという。

9月2日午前6時だった。パキスタン難民の密航を取材しようとニリュフェルさんはトルコ南西部ボドルムの砂浜を歩いていた。「そこで私は3歳のアラン・クルディを見つけたのです。私はショックのあまり硬直してしまいました」

「私にはジャーナリストとしての責務を果たすという以外に選択肢はありませんでした。アランは砂浜にうつ伏せになって横たわっていました。赤いTシャツを着て、濃紺のズボンは腰のところで止まっていました」

「私にできることはたった1つ、アランの叫びを世界に届けることです。カメラのシャッターを押し、彼の写真を撮ることでそれができると信じていました」

アラン君の兄(5歳)も100メートル先に横たわっていた。ボート2隻が沈み、砂浜には他の遺体も打ち上げられていた。救命胴衣も、しがみつく浮遊物も何一つなかった。

「痛みと悲しみを感じながら、写真を撮りました。この地域では2003年から密航者の死やドラマなど多くの出来事が起きています。私は今日から状況が変わることを望んでいます」

アラン君の死はボドルムの海岸では珍しい事件ではない。最近でも他のDHA記者の目の前で8隻のボートのうち6隻が沈み、50人が救助された。アラン君の死はなぜ、欧州をはじめ世界の良心とヒューマニズムを揺り起こしたのか。

イラクやシリアの内戦では数えきれないほどの子供たちが命を落としている。しかし、その映像は決して伝えられることはない。あまりに暴力的で残虐だからだ。今、世界の多くの地域で、「非日常」であるはずの紛争や内戦が「日常」化している。

その一方で平和で安定した生活を送る日本や欧米諸国にとってイラクやシリアで起きている出来事は「非日常」であり続ける。アラン君の死は平和なトルコの海岸で起きた。あなたの子供と同じ年頃のアラン君が砂浜で眠るように亡くなっていた。

手のひらを上にして、砂浜がベッドならまるで眠っているような安らかな姿だった。

シリア内戦で家族の団らんという「日常」生活を奪われたアラン君の「非日常」が1枚の写真を通じ、共感できるメッセージになって初めて欧米諸国や日本の家庭に届いた。

これまで散々、難民の受け入れに否定的な考えを示してきた英国のキャメロン首相は「1人の父親として深く心が動かされました」と方針を転換し、数千人の受け入れ枠拡大を表明した。

キャメロン首相だけでなく、多くの政治指導者がアラン君の遺体の写真を見て、人間の心を取り戻した。もちろんチェコやハンガリー、ポーランド、スロバキアは欧州連合(EU)全体としての割当制導入に反対している。

過去のピュリツァー賞受賞写真を見ると、日本では掲載が見送られるかもしれない残酷な写真や論争を呼び起こすショッキングな写真が数多く含まれている。

『ピュリツァー賞受賞写真全記録』より
『ピュリツァー賞受賞写真全記録』より

1973年の受賞写真「戦争の恐怖」は、南ベトナム軍のナパーム弾で大量の炎が民間人の上に降り注ぎ、子供たちが泣き叫びながら逃げてくる一瞬を撮らえた写真だ。AP通信のサイゴン支局では、炎が燃え移った衣服を脱ぎ捨てた全裸の少女の写真をめぐって議論が起きていた。

「少女が裸なので、どこも掲載しないだろう」という反対意見に対し、ピュリツァー賞を2度受賞したホースト・ファースが写真を本社に送るよう命じた。少女は17回に及ぶ手術を受けた。写真を撮ったのはAP通信の写真部員ニック・ウット氏。少女との親交はその後も続いている。

ニリュフェルさんはオンライン・メディア「VICE」のインタビューに対し、「私はアランの遺体を撮影するより砂浜で遊んでいる姿を撮りたかった。恐ろしい印象がまぶたに焼きつき、夜も眠れない」「私の写真が難民や移民に対する欧州の見方を変えることを願っています」と話している。

あなたが編集者ならアラン君の写真をどう扱いますか。

(おわり)

参考:『ピュリツァー賞受賞写真全記録』(ナショナル・ジオグラフィック)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事