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「ジハーディ・ジョン」を殺害しても何も変わらない 「イスラム国」のナラティブを突き崩せ

木村正人在英国際ジャーナリスト
「イスラム国」に殺害された後藤健二さん(写真:ロイター/アフロ)

後藤さんらの処刑動画に登場

日本人ジャーナリスト後藤健二さんをはじめ米国や英国のジャーナリストら多数を公開処刑した過激派組織「イスラム国(IS)」の「ジハーディ(聖戦士)・ジョン」が乗った車に対し、シリア北部ラッカで米軍の無人機(ドローン)による攻撃を加えたと12日、米国防総省が発表した。

英大衆紙デーリー・スター(2014年8月の1面)
英大衆紙デーリー・スター(2014年8月の1面)

米軍は「ジハーディ・ジョン」が死亡したかどうか確認を急いでいる。菅義偉官房長官は13日の記者会見で、「事実関係を米側に確認している」と述べた。一方、キャメロン首相は同日、首相官邸前で「我々は揺るがぬ決意を持っており、我々の市民を決して忘れない」との声明を読み上げ、「ジハーディ・ジョン」への攻撃の正しさを強調した。

黒装束で覆面をした悪名高き「ジハーディ・ジョン」は英国人のモハメド・エンワジ(27)とされ、1988年にクウェートで生まれ、94年に英国に移住した。動画で公開された非情で、残酷非道な言動とは裏腹に、もともとは物静かな子供だった。

「ジハーディ・ジョン」は、後藤さんのほか、ジャーナリストのジェームズ・フォーリー、スティーブ・ソトロフ両氏ら米国人3人、エイドワーカーのデイビッド・ヘインズ、アラン・ヘニング両氏ら英国人2人を処刑したとする動画に登場していた。

若者の自己喪失につけ込むISの募集方法

ドローンによる殺害は米国にとって報復という意味はあるものの、これで第2の「ジハーディ・ジョン」の登場を防げるかと言えば、そうではない。逆にISによって、アイデンティティークライシス(自己喪失)に陥っている欧米諸国のイスラム系移民を募集する格好の宣伝材料として使われる恐れすらある。

イスラム系移民の若者が過激化する要因は多岐にわたっている。「ジハーディ・ジョン」と同じように英国からシリアに渡る若者の多くは中流家庭で育ち、大学に進学するなど、イスラム系移民の成功モデルに分類できるケースが多い。

貧困や社会的剥奪といった問題より、両親の離婚や失恋、失業、当局による不当拘束などでアイデンティティークライシスに陥ったことをきっかけに、過激イマーム(イスラム教の指導者)やモスク(イスラム教の礼拝所)、インターネット上のフォーラムを通じて過激思想に感化されていく。

アフガニスタンやイラク、パレスチナで無辜のイスラム教徒が殺害され、イスラムは世界で迫害されているというイメージは、西洋社会で暮らすイスラム系移民の若者が潜在的に抱えている矛盾や葛藤を増幅させる。「自分はいったい何者なのか」「生きていく意味は」という疑問が大きくなり、心理的な危機状況に陥る。

ISはソーシャルメディアを通じて、そうした心の隙間に巧みに入り込んでくる。

「ジハーディ・ジョン」の生い立ち

「ジハーディ・ジョン」ことモハメドはロンドンの閑静な住宅街セント・ジョーンズ・ウッドで育ち、家庭は中流階級だった。モハメドが通った公立中等学校の元校長は英BBC放送に対し、「とても物静かな若者で、長男としての責任を校外でも示していた」と話している。

思春期にありがちないじめにもあったが、志を持って勉学に励み、希望するウェストミンスター大学に進学、コンピューターを学んだ。しかし、大学を卒業した2009年8月、友人2人とタンザニアに狩猟旅行に出掛けたことを境にモハメドの人生は暗転する。

ここからは、モハメドが相談していたとされる、対テロ戦争に反対する民間団体「ケイジ(Cage)」と、英国、タンザニアなど当局の言い分は大きな違いを描き始める。

「ケイジ」の発表によると、モハメドはタンザニアのダルエスサラームで入国を拒否され、飲食を許されず、24時間拘束される。留置施設の格子越しに銃を向けられて、脅されたとも言う。係官から「これはタンザニア政府の判断ではない」と説明され、「入国を拒否して英国に送り返すこと」と記された書類を示された。

この係官は「入国拒否の理由は英国政府にあるだろう」と言った。モハメドはアムステルダムに移送され、オランダの情報機関と英情報局保安部(MI5)の情報員から尋問を受ける。MI5の情報員はモハメドに「旅行の目的はソマリアに行くことだろう」と詰め寄った。

MI5からの誘い?

モハメドが否定すると、MI5の情報員は「お前は21歳で大学を卒業したばかりだ。MI5の協力者にならないか。断ると、いろいろな問題を抱えるようになる」と脅した。アムステルダムから英国のドーバーに到着すると、再び尋問が待ち受けていた。

係官はモハメドが旅行する前に交わした会話を盗聴していた。「我々はお前の婚約者にも連絡を取った」と告げ、最終的にモハメドは解放された。しかし、不安を覚えた婚約者とは破談になった。モハメドは面倒に巻き込まれるのを避けるため、翌9月から10年まで親類を頼ってクウェートで過ごした。

同年7月に英国に一時帰国し、再びクウェート行きの飛行機に乗ろうとしたところ査証の期限切れを理由にロンドンのヒースロー空港で搭乗を拒否された。13年、モハメドは名前を変えて再びクウェートに向かおうとしたが拒否された。同年8月に、モハメドの両親は失踪届を提出している。

両親はトルコでエイドワーカーをしていると信じていたが、モハメドはシリアに入国していた。当時はまだ、英国からシリアに渡ったイスラム系移民の多くはISではなく、アサド大統領の打倒を目指す反政府勢力に参加していた。

タンザニアの警察当局は「モハメドは泥酔し、わめき散らしていた。だから入国を拒否した」とBBCのインタビューに答えた。英首相官邸はMI5の工作がモハメドを過激化させたというケイジの主張に対し、「そうした示唆は極めて許しがたい」と全面否定した。

モハメドがソマリアのイスラム教スンニ派過激組織「アルシャバブ」の外国人戦士とつながりがあったのかどうかははっきりしない。モハメドが再び公の場に姿を現したのは昨年8月に米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏が処刑される動画に登場してからだ。「ジハーディ・ジョン」として、だった。

崩壊するISへの幻想

モハメドがシリアに向かった13年に比べて、ISへ参加したイスラム系移民の若者が抱く幻想は音を立てて崩れ始めている。英キングス・カレッジ・ロンドン大学過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)はISから逃げ出した58人の証言を詳細に調べた。

その結果、脱走した大きな理由が4つ浮かび上がってきた。

(1)アサド政権の打倒がISの優先課題には見えなかった

ISは他のスンニ派反政府勢力と戦っている。アサド政権から狙われるスンニ派を助けるためにはほとんど何もしていない。スンニ派の他グループとの争いに明け暮れ、ISの指導者はスパイや裏切りの妄想にとり付かれている。これは考えていた聖戦とは異なるものだ。

(2)ISは無辜の一般市民を虐待している

人質の無差別殺害、組織的な村民の虐待、司令官による戦士の処刑が行われるなど、ISは野蛮だ。こうした残虐行為が他のスンニ派に向けられたとき、脱走者は強い怒りの感情を抱いていた。

(3)ISは聖戦士を平等に扱わない

シリア人の脱走者は外国人戦士が特別扱いされていることを批判する。ISへの参加者は戦争の苦難には寛容だが、不公正や不平等、人種差別には厳しい。インド人の脱走者は「肌の色でトイレ掃除を押し付けられた。これは聖戦ではない」と批判している。

(4)ISでの生活は過酷だ

ISが喧伝していた贅沢品も車もない。ISでの生活は過酷で失望に値する。脱走者の中には外国人戦士は搾取され、使い捨てにされていると不満を述べている者もいる。

中東・北アフリアの安定を取り戻すのに、今、必要なのは「Bomb(爆弾)」ではなく、「Build(建設)」だと筆者は考えている。シリア難民を少しでも多く受け入れるという正のメッセージを送り、ISの幻想を突き崩すナラティブを脱走者の口から語らせる機会を積極的に設けていく。

「Bomb」では「ジハーディ・ジョン」を殺すことはできても、第2の「ジハーディ・ジョン」の誕生を防ぐことはできない。「Bomb」はISの思惑通り、西洋とイスラムの対立を強調するプロパガンダに利用されるだけだ。「Build」こそ後藤さんの遺志を受け継ぐことになる。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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