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大統領の「名誉」を守るため公訴権が乱用される韓国 産経前支局長に無罪判決

木村正人在英国際ジャーナリスト
産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長(右)。朴大統領記事に無罪判決(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

韓国の朴(パク・クネ)槿恵大統領の名誉をコラムで傷つけたとして情報通信網法違反(名誉毀損)に問われた産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(49)に無罪判決(求刑・懲役1年6月)が言い渡された。

「司法の独立」と「表現の自由」が勝利したと言いたいところだが、判決前に韓国外務省は検察を通じて裁判所に「日本側から『日韓関係を考慮し善処してほしい』と求められている」と要請しており、日韓関係の改善を優先させた外交決着だったことをうかがわせる。

判決を傍聴した筆者主宰のつぶやいたろうラボ(旧つぶやいたろうジャーナリズム塾)4期生の笹山大志くんによると、主文は後回しになり、判決理由の朗読が行ったり来たり延々3時間も続いたという。

朝日新聞電子版に掲載された判決要旨をみると、

(1)朴大統領がセウォル号沈没事故当日に男性と一緒にいたというのと2人が「緊密な男女関係」というのは虚偽

(2)政府や国家機関の業務遂行は国民の監視と批判の対象でなければならず、言論報道の自由が保障されて初めて可能

(4)記事には大統領が国家的緊急の事故が起きている最中に私的な出会いを持ったという趣旨が含まれ、私人としての名誉を毀損

(5)記事で批判しようとした中心対象は韓国の「大統領」であり、女性「個人」とみるのは難しい

(6)誹謗の目的があったとは認められない。隣国の政治・社会・経済的関心事を日本に伝えるためだったとみられる

(7)よって無罪

これだけ自明のことを説明するのに3時間もかかるだろうか。コラムが産経新聞の電子版に掲載されたのは昨年8月。検察が市民団体の告発を受け、10月に在宅起訴し、11月から裁判が始まった。加藤前支局長の出国禁止措置は約8カ月間に及んだ。不毛の裁判は終わった。加藤前支局長も家族の皆様もホッとされたに違いない。

国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(本部・パリ)はこれまで「ジャーナリスト的観点から見て、記者の推測や記事で主張されている噂の内容は論議するに値するものだ」と指摘。「推測や噂はすでに韓国の『朝鮮日報』など様々なウェブメディア上で報道されていたが、韓国メディアの記者に対しては何の訴状も提出されていない」と批判した上で、前支局長の携帯は盗聴され、メールはハッキングされている可能性が報告されていると指摘していた。

旧日本軍の慰安婦についての著書「帝国の慰安婦」(韓国版)を出版した朴裕河・世宗大教授も韓国の検察によって名誉毀損の罪で在宅起訴されている。政権にとって望ましくない報道や主張を押さえ込むために公訴権が利用されるのは韓国では何も加藤前支局長に限った話ではない。

大志くんの法廷リポート。

「血の涙が出る思いだ」

[ソウル=笹山大志]「血の涙が出る思いだ」「本当によかったね」。報道陣が法廷から飛び出して、各社各局が「無罪、無罪」と叫ぶ中、そんな本音が日本人記者から漏れ聞こえた。裁判長が「無罪」と伝えると、一瞬、法廷内は静まり返った。続いて、通訳の女性が日本語で「無罪」と訳した瞬間、法廷内が報道陣の声でどよめいた。加藤達也前ソウル支局長は動じることなく、淡々と判決の読み上げを聞いているようだった。

昨年8月、産経新聞の電子版に掲載したコラムで、韓国の朴槿恵大統領の名誉を傷つけたとして在宅起訴されていた加藤氏に対して、ソウル中央地裁は17日、無罪判決を言い渡した。

まさかの無罪判決

約40分前に到着した加藤氏は数人の警護に囲まれながら、記者の質問に答えることなく、一目散に法廷へと向かった。裁判所前には約50人、法廷内は100人以上の報道陣が詰めかけた。日韓だけでなく、ブルームバーグやロイター通信など欧米メディアの姿もあり、世界的な注目度の高さもうかがえた。

判決後の記者会見で加藤氏が「(無罪判決は)予想できなかった」と話したように、大方の見方は有罪だったという。実刑にはならないにしても、罰金刑か刑の宣告は猶予する「宣告猶予付きの懲役・罰金刑」になるのではと思われていた。

判決当日も裁判長は「私人としての朴大統領の社会的評価を阻害し、名誉を毀損した」「うわさは虚偽だが、その内容自体は公的関心事案」「私人としての社会的評価を深刻に低下させた」などと有罪を匂わしては、逆に「記事によって大統領である朴氏の名誉毀損がただちに成立するとは言えない」と加藤氏側の主張にも理解を示すなど、主文が言い渡されるまで判決を予想するのが難しかった。

だが、最終的に裁判長は「韓国の政治、経済、社会状況を日本人向けに伝えたもので、朴氏を誹謗・中傷する目的はなかった」とし、無罪判決を言い渡した。また、「韓国は民主主義制度を採っている。民主主義の根本である言論の自由を尊重すべきだ」という点も付け加えた。

冒頭、裁判長は韓国・外務省から届いたとされる日韓関係の影響を考慮してほしいという旨の要請があったことを明らかにした。異例のことだが、法廷内から驚きの声が出ることはなかった。検察側の起訴事実と加藤氏側の反論、各証拠に対する地裁の見解を裁判長が読み上げた。主文の言い渡しが最後になり、途中、何度も席を立つ報道陣の姿が見られた。

午後2時から始まった判決の言い渡しは3時間にも及ぶ異例の長さだ。立ったまま判決を聞かされた加藤氏。落ち着かないのか、立ち疲れたのか、自身の手や指をいじったり、スーツの裾を何度も直したりする様子が見られた。

韓国メディアの反応は

判決後、韓国メディアも速報を流した。ネットだけでなく、ニュース専門放送局YTNも速報しているのを裁判所内のテレビから確認できた。一夜明けた今朝、各新聞社は今回の無罪判決を先日の鳩山由紀夫元首相の訪韓時のように1面ではないものの、中面で大きく扱った。

多くは「虚偽事実、名誉毀損に当たるが誹謗の目的はなかった」(朝鮮日報)と事実を淡々と伝えるにとどめている一方、東亜日報は社説で「検察の起訴にはやはり無理があった」と論評を加えている。そして、日本メディアとは違い、「加藤氏が3時間立ったまま聞いていた」(東亜日報)というニュースを大きめに扱った。

メディアの注目度は高かった一方で、一般市民の関心は高かったとは言えない。韓国の友人らは「無罪になったことしか知らない」と答えるだけ。定食屋で働く50代の女性店員も「一体、どんなコラムを書いていたのかしら」と関心なさそうだった。

加藤氏のコラムがなぜ問題視されたのか未だに理解できない。告発した民族団体は公判で、読んだのは加藤氏のコラムではなく、そのコラムを無断転載し、独自の論評を加えた非営利のネット媒体「ニュースプロ」の文章だと明らかにしていた。

言論の自由や名誉毀損を云々する前に、問うべきなのは事実関係を曖昧にしたまま起訴した韓国検察の姿勢ではないのか。そして、日韓関係に無用なトゲが刺さったこの1年4カ月は一体何だったのだろうか。釈然としない思いだけが残った。

(おわり)

笹山大志(ささやま・たいし)1994年生まれ。立命館大学政策科学部所属。北朝鮮問題や日韓ナショナリズムに関心がある。韓国延世大学語学堂に語学留学。日韓学生フォーラムに参加、日韓市民へのインタビューを学生ウェブメディア「Digital Free Press」で連載し、若者の視点で日韓関係を探っている。

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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