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その「ニュース」に一体どれほどの価値がありますか?「伝えるだけ」を超えるために

木村正人在英国際ジャーナリスト
東日本大震災の津波で流された写真(写真:ロイター/アフロ)

国連開発計画(UNDP)、セーブ・ザ・チルドレンなどを通じ中東・北アフリカで子供支援に関わってきた田邑恵子さんの協力で、熊本地震に合わせYahoo!JAPANニュース個人の欄にエントリーしました。改めて、伝えるということについて田邑さんと考えてみました。

――現地からの報道にどれほど意味があるのでしょうか?

田邑恵子

「第三者の目としての報道の役割を考える時、政府が発表する声明、事件・事故の当事者の見解あるいは地域の噂の真偽を確かめるというためにも、報道機関が現地に入り、情報を精査することはとても重要です。そのためには、報道機関の自由なアクセスが確保されなくてはなりません。行政や政府が見過ごしてしまった問題を訴える市民の声を伝える報道機関の役割は大きいです」

「その一方、日本においては報道機関も読者の方も、とかく『現場至上主義』な印象があります。『現場情報を伝える』ことの意義は何でしょうか? 災害発生時に放送法によりNHKなどの放送業者には報道義務が課せられています。災害発生時『何のために伝えるのか』、実は放送法に明らかに書かれています」

放送法108条(災害の場合の放送)

基幹放送事業者は、国内基幹放送等を行うに当たり、暴風、豪雨、洪水、地震、大規模な火事その他による災害が発生し、又は発生するおそれがある場合には、その発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送をするようにしなければならない。

「熊本地震においては、避難所からの生中継に対して被災された方からのクレームが生放送される、多くの避難所が報道機関の立ち入り遠慮を願い出るという事態が発生しました。どちらも、被災された方への配慮に欠ける報道機関の姿勢が引き金となって起こした反応のように思われます。中継車両の割り込みなど、記者のいわば『イロハ』に欠ける行動も問題となりました。これらは『(災害を)発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送』のため、必要だったのでしょうか?」

「国立病院機構災害医療センターDMAT(災害派遣医療チーム)の事務局運営室、室長補佐を務める河嶌(かわしま)讓医師は『現地状況、現地ニーズを把握するためにも、報道は重要』と報道機関が貢献できる役割を認めています。その一方『何を、どう報道するべきか』については、報道機関への再考を促しています。緊急搬送の邪魔となり、命の危険にもつながりかねませんし、また患者さんの個人情報・プライバシー保護の観点から、DMATは報道機関の同行取材を一切受け付けていません。それでも、避難所・病院などに数多くの報道機関が張り付いていることから、問題も発生しています」

「今回の熊本地震においても、熊本県内の被災病院から入院患者さんを避難させるために搬送中、取材を試みようとした報道機関とDMAT隊員の間でも軋轢が生じました。雨が降る中、緊急搬送される患者さんにインタビューを試みようとしたTV局取材スタッフをDMAT隊員が『よけてください』と押し戻さなければならなかったということも発生しました」

筆者

「新聞報道は放送法に縛られているわけではありませんが、記者が現場に行くのは、事実を確認するためです。私は新聞記者を28年しましたが、分かったのは事実を伝えるのは非常に難しいということです。人の話を聞くのには根気がいります。言葉を拾って、写真を撮影し、一つひとつ事実を積み上げていくのは非常に難しいことです。現場100回というように現場に何度も足を運ぶことで関係者の話が拾えたり、これまで隠れていた事実が見えてきたりすることもあります」

「みなさん伝言ゲームをしたことはおありと思います。1度話しただけでは情報は30%程度しか伝わらないと言われています。だから人から話を聞いて記事を書くと、よく間違えるのです。取材チームが複数になってくると余計間違えます。記者も経験を積んでくると、インタビューの中で形を変えて何回も同じことを聞くようになってきます。その人が実際に体験したことか、人から聞いた話なのか、ラジオ、TV、新聞で得た情報なのかを峻別する必要があるからです」

「一を聞いて十を知るという言葉がありますが、記者は十を聞いて一を伝えるぐらいの愚直な人が向いていると思います。インターネットや24時間TVニュース、ソーシャルメディアがあって情報が氾濫しています。そんな時代だからこそ、デマや風評ではない事実を新聞やラジオ、テレビがしっかり伝えることが求められています」

「地震など災害現場でも取材の基本は変わりません。申し訳ないなと思いながら1時間ぐらい話を聞いていると、向こうも知りたい情報が出てきて次第にうまくコミュニケーションが取れてきます。それが伝えるという作業の第一歩になります。大きなテレビカメラを向けていきなり関係者を追いかけ回すような取材で十分な話が聞けるとは思えません」

「2013年1月のアルジェリア人質殺害事件で実名報道を支持してブログが炎上したことがあります。人の不幸を食い物にするなと批判されたのですが、やはり匿名報道ではきちんと裏付けが取れた事実なのか疑問が残ります。記者の中には取材もしていないのに取材したように装って事実をでっち上げた例も過去にはあります。また、遺族の方の中には愛する人がどういう形で亡くなったのか、どうして悲劇は防げなかったのか知りたいと思う方もいらっしゃいます」

「あの子が生きた証をしっかり歴史の記録に残してほしいとお話をされ、写真を提供してくださる方もいます。それが人間社会なのではないでしょうか。新聞記事やテレビを見て犠牲者の方を思い出し、コミュニケーションや新しい気づきのきっかけになったりします。相手に警戒心を抱かせるような取材ではそもそも話が聞けません。現場にも行かず、関係者の話も聞かず、記者が記事を書くようになったら、報道をめぐる今のトラブルよりもっと大きな問題が生じると思います」

――「(災害を)発生を予防し、又はその被害を軽減するために役立つ放送」のため、必要なインタビュー・情報だったのでしょうか?

田邑恵子

「私は、災害発生時に、集められた情報の正しい活用のためには、ミクロとマクロの情報、『現地からの情報』『それを受けて分析された情報』の両方必要であると強く信じています。現地からの情報は『たまたまアクセスできた特定地域の情報』『たまたまお話を聞いた個人の情報』だけが広く流通するべきではないことは、これまでの経験からも明らかです」

「ジャーナリストではない私がYahoo!ニュース個人のような場で発信させていただくのは(1)正しい情報が共有されないことに起因するリスクを減らすこと(2)被災された方が参考にすることができ、自分たちの工夫で状況を改善する時に、参考にできる情報を出すこと(3)被災地以外の人々が、正しい知識を身につけ、また、自分の足もと、地域の備えを事前にチェックすることで、同じようなリスクが発生するのを減らすこと。この3つが目標です」

「そのため、今回の地震でも、現場に向かったわけではありません。『まだ、報道されていないけれども、これから起きる可能性のあること』などに警鐘を鳴らすことで、少しでも被害を食い止めたいという願いがあります。現場に行って見てもいないくせに、というコメントをいただいた記事もありました。現場情報とそれを分析した補足する情報、両方の重要性をより多くの方に知っていただく必要があると感じました」

「特に不要の混乱をさけるためにも、初動の時期においては、何が報道されるべきか?その情報の価値は何か?が改めて精査される必要があると思います。これら現地からの情報を元に『何がどこで起きており、発生頻度、深刻度、緊急性は○○である』という分析された情報が共有され、それに基づいた適切な対応が取られる必要があります」

「また、単に目の前に提示された状況を報告するだけではなく『今、起きていないが、今後起きる可能性のあること』『今、起きているようには見えないが、見えないだけで起きている可能性のあること』に警鐘を鳴らすことも、報道機関の役割の一つではないかと感じます」

「現状ではどうでしょうか?被災された方の心情を害してまで、伝える意義のある中身がある報道となっているでしょうか?また、発信源となる情報元は注意深く選ばれているでしょうか?報道機関の『とにかく現場に行け』という姿勢が生み出した問題もありました。河嶌医師は『聞いて終わりだけにするのではなく、必要な社会的支援につなげることができるように、事前に支援に関連する現地情報を入手して欲しい』と訴えています」

「指定避難所以外に避難されている方々の中には『誰もここには来てくれない』と支援から漏れてしまう方が発生することがあります。特別な配慮が必要な方やその家族の声など、公的支援から充分サポートされない可能性のある方々の声を届けるためにも、現地に入る報道機関の役割には大きいものがあります」

「そのためには『何を何のために伝えるのか』が専門家の間で、今後きちんと検証されることを強く望んでやみません。また、課題の解決のためには『取材する側』『取材されるだけの側』という関係を超えて、プロとしてのジャーナリストと当事者の方が協力できることが、まだまだたくさんあるのは?と思います」

筆者

「アルジェリア事件で炎上した経験から、希望者の方々と一緒につぶやいたろうラボ(旧つぶやいたろうジャーナリズム塾)を開催し、情報発信の仕方を話し合ってきました。これまでのジャーナリズムは一部を切り取って単純化した事実を強調して伝えるストーリーが中心でした。今はソーシャルリスニング・ツールを使ったりすると、データを集めてエビデンスをベースに伝えたりできます」

「表計算ソフトを使えばあっという間に相関関係が評価でき、どの変数を動かせばどのように状況を変えていけるのかデザインしていくことができます。データもいろんな形で表現でき、状況の変化をリアルタイムに反映する動くグラフも簡単に作れる時代になりました。現場主義の虫の目と、全体を俯瞰する鳥の目、状況の変化をとらえる魚の目で立体的に伝えることができるのです」

「私はできるだけ取材はスマートフォン1台とメモ帳で済ませるよう心掛けています。この前、英24時間TVニュース局の若い女性スタッフに教えてもらった技でフェイスブックのライブというサービスを使うと、データ通信さえつながっていればスマホで現場から生中継できます。大きなTVカメラではなく、スマホや小型カメラを使えば被災者の方の心の負担を減らすことができ、取材の距離を縮めることができます。ドローン技術を上手く使うとヘリの騒音もなくなります」

「例えばブルートゥース(周辺機器をワイヤレスで使える近距離通信規格のこと)を使ってネットワークを構築すれば、被災者の方に必要な情報を提供することも可能です。グーグルのマイマップという無料サービスでは位置情報とともにいろいろな書き込みができるようになります。こうした新しい技術を抵抗なく使える世代が伝えるという作業を進化させる時代に差し掛かっていると実感します」

「私は阪神大震災を取材しましたが、神戸新聞の編集局長が震災直後、被災した社屋に駆けつけ、グチャグチャになった編集局から神戸新聞という題字の版を拾い上げ、『あった。これで今日の新聞を刷って、被災した読者の方々に配ることができる』と叫んだエピソードを忘れることができません。これが新聞の本能です。この版は提携社の京都新聞に運ばれ、題字だけ神戸新聞に差し替えて新聞が発行されました。また朝日新聞襲撃事件で凶弾に倒れた小尻知博記者(当時29歳)の『チクショウ』という最後の言葉も忘れられません」

「時代やツールが変わっても伝えるという魂は変わりません。ただ、マスコミは独善に陥ってはいけません。いろいろな学びが必要です。部分を切り取るのではなく、全体を俯瞰する。テキスト(ストーリー)だけでなく、ナンバー(データ)にもこだわる。そしてインターネットで支援団体などいろいろな組織や機関とつながることができます。面白い時代だと思います」

「筆者が主宰するつぶやいたろうラボからは、新しいアイデアと技を身に着けた若者たちが次々とジャーナリストとして羽ばたいています。人道支援関係者やCSR(企業の社会的責任)、医療サービスの設計者、マーケティングの専門家の方もいます。特に若い世代のジャーナリストには失敗を恐れず、どんどん伝えることにチャレンジしてほしいと思っています」

(つづく)

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田邑恵子(たむら・けいこ)

北海道生まれ。北海道大学法学部、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院卒。国際協力の仕事に従事。開発援助や復興支援の仕事に15年ほど従事し、日本のNPO事務局、国際協力機構(JICA)、国連開発計画(UNDP)、セーブ・ザ・チルドレンなどで勤務。現在はフリーランスとして活動している。中東・北アフリカ地域で過ごした年数が多い。ブログ「シリアの食卓から」

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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