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EU残留派の労働党女性議員が「英国第一!」を叫ぶ男に惨殺された

木村正人在英国際ジャーナリスト
殺害された女性議員の死を悼む市民(国会議事堂前)(写真:ロイター/アフロ)

労働党の新しいスター

欧州連合(EU)残留・離脱を問う英国の国民投票が6月23日に迫る中で衝撃的な事件が起きました。英国中部ウエストヨークシャー州で16日、EU残留を呼びかけていた労働党のジョー・コックス下院議員(41)が銃で撃たれたあと、何度も刺されたのです。

コックスさんは病院に運ばれましたが、亡くなりました。犯人とみられる男(52)が現場近くで逮捕されました。「英国第一(ブリテン・ファースト)!」と叫んでいたという目撃証言もありますが、英国の極右団体「英国第一」はホームページで否定しています。

コックスさんのツイート
コックスさんのツイート

ウエストヨークシャー州で生まれ育ったコックスさんは地元の公立進学校(グラマー・スクール)に進み、名門ケンブリッジ大学を卒業しています。彼女は家族の中で初の大学卒業者です。典型的な労働者階級の家庭で育ったようです。

大学卒業後は、労働党下院議員の下で親欧州団体を立ち上げるのを手伝ったり、ブリュッセルの労働党欧州議会議員(ニール・キノック元労働党党首の妻)の事務所で働いたりします。

そのあと、貧困問題に取り組む民間支援団体「オックスファム」で働き、ゴードン・ブラウン前首相の妻サラさんと一緒に妊娠や出産で母親とお腹の子供が命を落とすことがないように支援する運動を展開しています。2人の子供を持つ母親でもあり、昨年の総選挙で初当選しました。

労働党の進むべき道は左旋回ではない

労働者優先の「オールド・レイバー」でも、市場主義と福祉政策を両立させる「ニュー・レイバー」でも、ジェレミー・コービン党首のような急進・強硬左派でもない彼女は労働党の未来を担う新星でした。議会での初演説で次のように語っています。

「私たちのコミュニティーは移民によって深められてきました。アイルランド系のカトリックであっても、インドやパキスタン、特にカシミール地方から来たイスラム教徒(ムスリム)であっても」

「私たちは多様性を享受しています。私の選挙区を回ってみて何度も驚かされました。私たちの社会はより一層団結しています。私たちを分断するよりも、お互いに共通するものが本当にたくさんあります」

今回のEU国民投票でコービン党首は、単純労働者の権利を守るためなのか、それともユーロ圏内で緊縮策に苦しめられるギリシャやスペインの若者への共感(政治的にはギリシャの急進左派連合SYRIZAやスペインのポデモスとの連帯)からなのか分かりませんが、EU残留を支持したものの、TV討論への出演を拒否するなど、煮え切らない態度をとってきました。

このため、保守党内のEU離脱派マイケル・ゴーブ司法相がグローバル化によりアンダードッグ(負け犬)となった労働者階級の代弁者を装う珍現象まで出ました。EU残留派が巻き返すためには、まだ態度を決めていない人が多い労働党支持層に残留を訴える一方で、残留派が圧倒的に多い若者、大学生に投票を呼びかけるしかなくなっていました。

労働党寄りの英紙ガーディアンが今月13日ようやく「コービン党首が残留キャンペーンのため影の内閣を総動員」と報じるぐらい、労働党の動きは鈍かったのです。それがために残留派と離脱派の徹底的な対立を生んでしまいました。残留派の巻き返しを図るため、労働党がそれぞれの選挙区で戸別訪問や集会を展開していた矢先に今回の悲劇が起きたわけです。

欧州懐疑派マップ

事件が起きたコックスさんのパトリィ・アンド・スペン選挙区がどんな地域なのか調べてみました。下にあるのは世論調査会社Yougovが過去の世論調査データをもとに作成し、今年2月に公表した英国の欧州懐疑(EU離脱)派マップです。濃い赤色ほど欧州懐疑派が多く、緑色が濃くなるほど親欧州(EU統合)派が多くなります。

出所:Yougovの欧州懐疑派マップ(今年2月)
出所:Yougovの欧州懐疑派マップ(今年2月)

コックスさんの選挙区はカークリーズ大都市自治区(下の星印)の中にあります。離脱派と残留派が本当に拮抗している地域です。筆者はすぐ近くのリーズで開かれた離脱派の集会に取材に出かけたことがありますが、白人の高齢者は「離脱」、移民2世が多いタクシー運転手は「残留」という反応でした。

出所:Yougov
出所:Yougov

次にカークリーズ大都市自治区の多様性を見てみましょう。英国の国勢調査は10年ごとに行われています。白人人口は横ばいなのに非白人の割合は1991年の全体の11%から2011年には21%にハネ上がっています。白人の英国人(ホワイト・ブリティッシュ)の割合はどんどん減っています。こうした地域では欧州懐疑派が強くなる傾向があります。

出所:マンチェスター大学の報告書
出所:マンチェスター大学の報告書

第三の道

筆者はコービン党首をはじめ、ブラウン前首相、エド・ミリバンド前党首、デイビッド・ミリバンド元外相、ピーター・マンデルソン元ビジネス・イノベーション・技能相に質問したことがあります。経済成長と福祉政策を連動させる「ニュー・レイバー」の第三の道を唱えたアンソニー・ギデンズ元ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス学長と議論になったこともあります。

未来への答えは急進・強硬左派のコービン党首にはありません。グローバル化を乗り切るためには「ニュー・レイバー」の第三の道を再生させるか、格差を埋めるため温情主義的な義務を上流階級に求めた19世紀の「ワンネーション・コンサーバティズム」をアップグレードするしかないというのが筆者の結論です。

その具体的な方法を見つけ出すのはコックスさんのような志と資質を兼ね備えた若い世代だと期待していただけに、今回のニュースは悲しくて仕方ありません。EU離脱派も残留派もコックスさんの死を悼み、16日は運動を取りやめました。

コックスさんのツイート

しかし気になるのは多様性を強調していたコックスさんまで6月10日には「移民問題を心配するのは正当なことです。しかしEUを離脱する適切な理由にはなりません」とツイートし、タイムラインの一番上に固定していたことです。労働党支持者に対しても残留を訴えるには移民問題を避けて通れなかったことがうかがえます。

EU国民投票は、団結と統合、多文化と多様性を掲げて発展してきた英国社会を修復しがたいほど二分しています。今回の悲劇は、これ以上移民を受け入れたくない人たちと多様性を主張する人の埋めがたい対立の象徴だと思います。コックスさんの死が英国の理性と希望を覚醒させることを祈らずにはいられません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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