Yahoo!ニュース

感情が「離脱」を決断した英国のEU国民投票 不確実ドミノが倒れ始めた

木村正人在英国際ジャーナリスト
予想外の勝利に歓喜する英国独立党のナイジェル・ファラージ党首(写真:ロイター/アフロ)

英国の欧州連合(EU)残留・離脱を問う国民投票は24日、英BBC放送によると、離脱派が過半数を占めることになりました。投票率は現時点で71.6%。キャメロン首相が辞任を表明するのは間違いありません。「英国売り」による為替・債券・株式・不動産の急落と「不確実性ドミノ」の連鎖反応が始まりました。

急落する英通貨ポンド(Yahoo! Finance)
急落する英通貨ポンド(Yahoo! Finance)

2つのE

投票が締め切られた23日夜、英国のEU離脱を党是に掲げる英国独立党(UKIP)は「残留派が僅差で勝ちそうだ」といったんは弱音を漏らしました。が、開票が進むに連れて離脱派の優勢が明らかになり、「夜明けとともに英国は独立する」と宣言しました。

世論調査は今月13日を境に離脱派の勢いがピークアウトしたことから、ブックメーカー(賭け屋)のオッズ、市場は一気に残留に傾きました。しかし22日まで世論調査は残留と離脱が拮抗し、どうして食い違いが出るのか、理解できませんでした。

昨年5月の総選挙に続いて再び予想を完全に外す大失態を演じた世論調査会社YouGovのピーター・ケルナー前会長は言います。「世論調査は英国民の心(感情)、賭け屋のオッズは頭(理性)を映している」。頭ではEU離脱は経済的に損だと分かりながら、英国の投票権者は心の訴えに従ったのです。

英国に詳しい日本国際問題研究所の野上義二理事長・所長(元在英日本大使、ヒゲの大使として有名)は「英国のEU国民投票は2つのEの闘いだ」と解説していました。2つのEとは、Emotion(感情)とEconomy(経済)です。「移民がこれ以上、無制限に増えるのは困る」という感情と、「EUから飛び出すと短期的には必ず損をする」という理性の対立です。

EU域内では労働者の自由移動が認められており理屈上、移民がどんどん増えるのを制御できません。英国人がゼノフォビック(外国人嫌悪)かと言うと、そうではありません。英連邦からの移民はこれまでもいるわけで、ターバンを巻いたシーク教徒やヒジャブをかぶった女性が英国にはたくさんいます。

頭ではEUから離脱するのは損だと分かっているのに、移民がこれ以上増えると困ると思う心に従って最終的に投票行動に移したというのが、予想外の結果となった国民投票の真相でしょう。

1993年のEU創設と2004年のEU拡大によって東欧やバルト三国からの出稼ぎ移民が急激に増えました。イングランド地方の多くの地方都市で移民の割合が1割ぐらいだったところでもこの10年間で2割ぐらいに増えました。

スコットランド、北アイルランド地方は「残留」を選択したものの、大票田のイングランド・ウェールズ地方は「離脱」を選択しました。EUの理屈では景気の変動に合わせ移民の数も増減するというのですが、現実には増え続けています。

英国は他のEU加盟国に比べ移民に対する就職差別が少ないので、移民がネットで年間33万人以上も増え、キャメロン首相が公約で掲げた10万人以内という目標を3倍以上上回っています。1991年から2015年にかけ、英国にやって来た移民は差し引き計431万2千人。この増え方にイングランド・ウェールズ地方の投票権者はノーを突きつけたのです。

押し潰された最下層の怒り

英国人の本質とは何かというと、できるだけ自分は働かず、楽をしてカネを儲けるという究極の商売人だったと思います。同じプロテスタントでも勤勉なドイツ人とは大違い。通商国家の英国としてはEUの規制にできるだけ縛られず、世界とつながっていく道を進むと筆者はこれまで信じて疑いませんでした。

日本と同じ島国でも、英国は1980年代のサッチャー改革を機に人もカネもオープンに受け入れました。英国はグローバル化で大儲けした国の一つです。ホテルの清掃やレストランの厨房仕事、イチゴの収穫などは低賃金の移民にさせて、英国はそのあがりを懐に入れてきました。

「NHS」と呼ばれる国営医療制度で働く医師の3割、看護師の4割は外国生まれ。国際金融街シティーのトレーダーの多くは移民です。サッカーのイングランド・プレミアリーグを見ても分かるように外国資本と移民なしでは成長のエンジンを失うのは明らかです。

しかし、こうした経済のグローバル化は敗者も生み出しました。

Trussell Trustより
Trussell Trustより

単純・熟練労働者の労働市場にEUからの出稼ぎ移民が流入し、過当競争による賃金の下方圧力を強めてしまったのです。上の図は2008年の世界金融危機後、ある民間団体(フードバンク)が3日間の緊急食料支援を実施した件数です。2万5899件から110万930件に爆発的に増えています。

量的緩和と緊縮財政の組み合わせは貧富の格差を拡大させ、最下層の人たちを追い込んでしまいました。世界中の国々がグローバル経済で稼いで、その所得や富を国民に再分配する方法を模索していますが、どの国も理想モデルを構築できていません。

今回の国民投票でEU離脱を選んだ英国は貧しくなっても格差が縮小する道を選びました。ロンドンはさらに自由度の高い国際金融都市になるかも分かりませんが、英国経済全体のパイは縮んでしまいます。英国は1970年代の混迷の時代に逆戻りしていく恐れも十分にあります。

既成政党は崩壊した

直接民主制の国民投票とは恐ろしいものです。欧州と英国という歴史もあり、複雑に絡み合った関係を「移民」というシングルイシューで一夜にして一刀両断にしてしまったのです。

保守党と労働党の二大政党制のモデルとされてきた英国は、反EU・反移民のポピュリスト政党「英国独立党(UKIP)」や地域政党「スコットランド民族党(SNP)」の台頭で、まず労働党がスコットランド地方で壊滅。今回の国民投票で保守党もEU残留・離脱をめぐり真っ二つに割れてしまいました。

キャメロン首相と労働党の中でも強硬左派に位置づけられるコービン党首が肩を並べて「EU残留」を訴える光景には違和感を拭い去ることをできませんでした。キャメロン首相はもともと欧州懐疑派、コービン党首は「やる気のない残留派」と言われていました。

欧州懐疑主義をまき散らす保守党右派と、労働者の痛みに心を寄せる良心的な労働党左派の一部が一緒に行動するのにも納得できませんでした。英国はこれを機に「Leave(離脱)党」と「Remain(残留)党」に再編した方が良いと思います。

親EUと反EUの対立が深まり、既存の中道右派政党と中道左派政党が協力する構造は欧州債務危機以降、ドイツやフランスをはじめ、多くのEU加盟国で見られる現象です。

離脱派が過半数を占めたとは言え、スーパーグローバル主義者、政権狙いの日和見主義者、反グローバル主義の急進・強硬左派の寄り合い所帯の「Leave党」がこれから一つにまとまるとはとても思えません。

「Remain党」と「Leave党」の激突はグローバル経済の功罪を浮き彫りにしました。EUとの新しい貿易協定がいつ、どんな形で結ばれるのか、誰にも予想できません。英紙フィナンシャル・タイムズのライオネル・バーバー編集長は筆者に「4~7年間はかかると思います。容易な交渉ではありません。もし英国が単一市場にアクセスするのなら、移動の自由(移民)を受け入れなければなりません」との見通しを示しました。

英国の元外交官でEU閣僚理事会の対外関係総局長、欧州対外活動庁カウンセラーなどを歴任したロバート・クーパー氏は筆者に「英国がEUを離脱したら、混乱を脱するのに10年。後悔するのに10年。EU再加盟を申請するのに10年。再加盟が認められるのに10年。元に戻るまでに計40年はかかります」と話しています。

英国の独立記念日ではなく、恐るべき「不確実性の時代」が幕を開けたのです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事