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「クリントン大統領」に貸し作った安倍首相のギャンブル シンゾー・ヒラリー時代はやって来るのか

木村正人在英国際ジャーナリスト
レーガンとサッチャーのような蜜月時代を作れるか(写真:ロイター/アフロ)

ヒラリーの表敬訪問を受けたシンゾー

国連総会出席のため米国を訪れている安倍晋三首相は19日午後(日本時間20日朝)、ニューヨーク市内で、米大統領選民主党候補の前国務長官ヒラリー・クリントンと会談しました。ヒラリーからの呼びかけにより行われたもので、ヒラリーの「表敬訪問」という位置づけです。

共和党候補の不動産王ドナルド・トランプからの要請はなく、安倍・トランプ会談はありませんでした。ヒラリーの会談要請を断ると角が立つとは言え、米大統領選の最中に民主党候補とだけ会うのは、いくら「表敬」という形でもかなりリスクを伴います。まだ「トランプ大統領」誕生の可能性が残っているからです。

在米日本大使館や安倍首相の外交ブレーンは、米大統領はヒラリーで決まりと読んでいるのでしょうか。「ギャンブル」とも言えるこの会談で安倍首相はヒラリーに大きな貸しを作りました。環太平洋経済連携協定(TPP)に反対しているヒラリー側には安倍首相と会談して、TPPをめぐって日本と対立している構図を演出する必要があったからです。

データ分析の神様で2008年、12年大統領選の結果を見事に予測したネイト・シルバーのデータ分析サイト「ファイブサーティエイト(538、米大統領選の選挙人団の人数)」を見てみましょう。米大統領選でヒラリーが勝つ確率は59.3%、トランプが勝つ確率は40.6%と予測しています。

大票田のカリフォルニア州(選挙人の数55)、ニューヨーク州(29)、イリノイ州(20)を確実に抑えるヒラリーが優勢に戦いを進めており、トランプはテキサス州(38)を手中に収め、フロリダ州(29)で若干リードし始めています。予測ではヒラリーが獲得する選挙人の数は287.8人、トランプは249.9人です。

逆転するにはトランプが19人以上の選挙人をヒラリーから奪う必要があります。州ごとの分析を見ると、トランプはコロラド州(9)、ニューハンプシャー州(4)、ペンシルバニア州(20)、ミシガン州(10)、ウィスコンシン州(10)のいくつかをひっくり返さなければならず、こうした情勢から安倍首相はヒラリーとの会談を決断したのでしょう。

トランプが勝つ確率は45ヤードのキックを外すのと同じ

9月19日、「米大統領選、米国の有権者は何を考えているか」と題してロンドンのシンクタンク、欧州外交評議会(ECFR)で講演した米シンクタンク、ピュー・リサーチ・センターのキャロル・ドハーティ政治調査部長は大統領選の行方をこう占いました。「トランプが勝つ確率はアメリカンフットボールにたとえると、45ヤードのキックを外す確率と同じだ」

裏を返せば、ヒラリーが大統領になるためには45ヤードのキックを決めなければならないということです。40ヤードはほとんど入るけれども、45ヤードになると成功率は下がります。ヒラリーがリードしているけれども、かなり競っているという意味です。

隣に英世論調査会社YouGovのピーター・ケルナー前会長が座っていたので「トランプが勝つかもしれないということですか」と尋ねると、「ドハーティ部長はヒラリー優勢と読んでいるようだが、私は疑っている」との見方を示しました。ケルナー氏は英国の欧州連合(EU)国民投票で「残留」と予測して、離脱派の一斉蜂起を全く読めませんでした。

二極化する米国

ドハーティ部長の発表で、グローバル経済と外交政策をめぐって米国が完全に二極化し、トランプの支持者は現状に対して強い怒りを抱いていることが浮き彫りになりました。英国のEU 国民投票と非常に良く似た状況が米大統領選でも現れています。

下の折れ線グラフは1960年代には70%を超えていた政府への信頼が20%前後まで下がっていることを物語っています。

出所:pewresearchのグラフを筆者加工
出所:pewresearchのグラフを筆者加工

次のグラフを見ると、共和党の支持者が年々保守的になる一方、民主党の支持者はリベラルになり、党派対立が鮮明になっています。

出所:pewresearchのグラフを筆者加工
出所:pewresearchのグラフを筆者加工

次の棒グラフを見ると、トランプ支持者は政治の現状にも政府に対しても怒りを感じていることが分かります。

出所:pewresearchの今年3月調査データをもとに筆者作成
出所:pewresearchの今年3月調査データをもとに筆者作成

どうなるTPP

TPPについて米大統領オバマは任期中の来年1月までに議会承認を得る考えです。安倍首相が早期の国会承認を目指す方針を伝えたのに対し、「雇用を奪う貿易協定を阻止する」とTPPに反対の立場を表明しているヒラリーは同様の姿勢を示したと報じられています。

出所:pewresearchのグラフを筆者加工
出所:pewresearchのグラフを筆者加工

しかしピュー・リサーチ・センターの調査を見ると、民主党支持層は自由貿易協定を支持していることが分かります。ヒラリーの国務長官時代にスピーチライターを務めたECFRのジェレミー・シャピロ調査部長は「ヒラリーは選挙対策でTPP反対を言っているが、正真正銘の自由貿易主義者だ。オフレコではTPPに賛成している」と指摘しています。

つまり安倍首相とヒラリーは「歌舞伎」を演じたわけで、米大統領選の最中にヒラリーと会談して歌舞伎を共演した安倍首相は大きな貸しを作ったと言えます。「クリントン大統領」が誕生した場合、米国内で安倍首相の株が急上昇するのは間違いありません。

ヒラリー外交はタカ派

急ピッチで進む北朝鮮の核・ミサイル開発、南シナ海・東シナ海での中国の海洋進出があからさまになっていることを受け、安倍首相は「日米同盟の重要性はさらに高まっている」と述べ、ヒラリーは「アジアだけでなく世界の平和と繁栄を実現していく上で必要だ」と応じました。

出所:pewresearchの今年4月調査データをもとに筆者作成
出所:pewresearchの今年4月調査データをもとに筆者作成

ピュー・リサーチ・センターの今年4月の調査で57%が「米国は自国の問題に専念し、他国の問題はできるだけその国に任せるべきだ」と答えました。米国世論はますます内向きになっています。国務長官時代、ヒラリーの外交政策はオバマよりタカ派と言われました。が、ECFRのシャピロ部長は「ヒラリーが大統領になったら、オバマと同様、外交より内政重視にならざるを得ない。対アジア政策もオバマの政策をほぼ踏襲することになる」と分析しています。

一方、トランプの対アジア政策については「明確な方針がまだ示されていない」と言葉を濁しました。さて安倍首相のギャンブルは吉と出るか、凶と出るのか。是非とも吉を期待したいところです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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