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ヒラリー・シンゾーの日米同盟 北方領土の落とし穴

木村正人在英国際ジャーナリスト
ヒラリーとトランプの最終TV討論(写真:ロイター/アフロ)

ワンサイドゲームのTV討論会

11月8日に迫った米大統領選の投票を前に19日夜(日本時間20日午前)、西部ネバダ州ラスベガスで最後となるTV討論会(3回目)が開かれ、民主党候補ヒラリー・クリントン前国務長官(68)と共和党候補で不動産王のドナルド・トランプ氏(70)が激突しました。米CNNの視聴者調査では52%対39%でヒラリーの圧勝でした。

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TV討論会は3回とも「美女と野獣」と言うより、古代ローマの闘技場で戦う「剣闘士と猛獣」か、スペインの「闘牛士と牛」と表現するのが相応しい展開。闘牛士が鮮やかに牛を仕留めるように、ヒラリーがトランプをもてあそぶワンサイドゲームでした。

米データ分析サイト「538」によると、ヒラリーが大統領になる確率は86.7%で、トランプの13.3%を大きく引き離しています。

「女性の下半身なんかすぐ触れる」と自慢げに語った女性蔑視発言に加え、選挙に敗れても結果を受け入れるかどうかは「その時になったら話す」と口を濁したことが致命傷になりました。

「祖国と自国民を最優先にすべき」というトランプの「アメリカニズム」には一理ありますが、女性蔑視発言で女性有権者を完全に敵に回して失速します。品性も問われました。選挙結果を受け入れないという発言は民主主義の否定です。オバマ大統領の「近代政治史で選挙の手続きを疑う大統領候補を見たことがない」「泣き言はやめよ」という批判が止めの一撃となりました。

トランプ・ドクトリン

20日、ロンドンにあるシンクタンク、欧州外交評議会(ECFR)で、米ブルッキングス研究所の国際秩序・戦略プロジェクト部長、トーマス・ライト氏が講演しました。ライト氏もヒラリーが大統領になる可能性が強いとみています。ライト氏によると、トランプの過去30年間の発言を振り返ると、次の3つがトランプ・ドクトリンとして浮かび上がるそうです。

米ブルッキングス研究所のトーマス・ライト氏(左、筆者撮影)
米ブルッキングス研究所のトーマス・ライト氏(左、筆者撮影)

(1)米国の同盟関係への反対

(2)自由貿易への反対

(3)権威主義への支持、ロシアのプーチン大統領への支持がとりわけ強い

トランプは1987年、41歳のとき9万5千ドルの私財を投じてニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ボストン・グローブの3紙に「数十年にわたって日本と他の国々は米国を利用してきた」「米国は同盟国に提供している防衛費の全額を負担させよ」と全面広告を打ったことがあります。

3回目のTV討論会でもトランプは、韓国やドイツ、サウジアラビアとともに5回にわたって「日本」に言及し「こうした国々を守るためにお金を使ってきた。これ以上、米国が防衛を引き受けることはできない。同盟関係を再交渉しなければならない」と発言しました。

ヒラリー外交

ライト氏は、ヒラリーが大統領になったら、トランプの孤立主義・保護主義・権威主義にはくみせず、米国伝統の自由主義外交を引き継ぐと分析しています。その一方で、トランプ発言を利用して同盟国に防衛費と役割の拡大を求めるだろうと指摘しました。大統領選でくっきり浮かび上がったポピュリズムとナショナリズムは無視できないからです。

ヒラリーはオバマの外交・安保政策と一線を画すると、ライト氏は見ているそうです。歴代大統領の外交・安保政策は自由主義外交という点では一貫していますが、1人ひとりが特徴を持っています。

初期のオバマ外交は中国との対話路線を重視し、東シナ海の尖閣問題で中国の圧力にさらされていた日本をハラハラさせました。ロシアのクリミア併合、ウクライナ危機でも米国は十分な抑止力を発揮できませんでした。

オバマは東シナ海、南シナ海、ウクライナ、中東などの地域問題より、テロ対策、地球温暖化、核拡散防止、パンデミック(伝染病の世界的流行)といったグローバル問題を優先させたと批判されてきました。ヒラリーはオバマと異なり、地域の地政学に重きを置く「地政学地域主義」に基づく外交・安保政策を採るだろうとライト氏は予測します。

共和党アーミテージもヒラリー派

アジア地域でヒラリーはアジア回帰政策を継続、「ジャパン・ハンドラーズ(日本に強い影響力を持つ米国の知日派)」として知られる共和党のリチャード・アーミテージ氏がヒラリー支持を打ち出すなど、共和党の外交専門家と協力することもあり得るようです。

ヒラリーは南シナ海の「法の支配」を守るため「航行の自由」作戦を継続し、中国に対して米国はアジアから撤退しない姿勢を見せるでしょう。しかしその一方で、日本やオーストラリア、韓国といった同盟国に防衛費の拡大や、南シナ海での共同訓練、フィリピンやベトナムへの支援を求めてくることを覚悟しておかなければなりません。

ライト氏に環太平洋経済連携協定(TPP)と、安倍晋三首相とプーチンの北方領土交渉について質問してみました。

どうなるTPP

TPPについてヒラリー氏は3回目のTV討論会でも「私がTPPの最終合意を見た時、反対した。最終合意は私のテストを受けていない。TPPは米国の雇用を創出し、収入を増やし、私たちの国の安全に寄与するのか。私が大統領になったらTPPに反対する」と繰り返しました。

ライト氏は「ヒラリー政権でTPPの運命がどうなるのかは定かではない。ヒラリーがTPP最終合意の持つアジアへの影響力について理解していることはアジアの同盟国にとっては安心材料。TPPがオバマの残り任期中に議会で承認されなかったら、ヒラリー外交にとってのリトマス試験になる」と答えました。

ライト氏は、ヒラリーがTPPについての態度を翻すのは難しいが、TPP最終合意を通貨など他の経済問題に結びつける可能性はあると見ています。そうすると、日銀の緩和策による通貨安は封じられます。TPPについて日本は慎重に状況を見守る必要がありそうです。

北方領土交渉

安倍首相がプーチンと北方領土交渉を進めていることについて、ライト氏は「ヒラリーは日本の友人だ。ヒラリーのスタッフにも知日派がいっぱいいて、日本の状況を理解している。安倍首相もクリミア問題で責任ある対応をしている」と指摘しました。

しかしヒラリーとプーチンの関係は最悪です。ヒラリーはプーチンが大統領に返り咲いた時、真っ先に欧州の対ロシア政策の変更を呼びかけました。そしてクリミアを併合したプーチンをヒトラーになぞらえました。

「全体としてみると、米国の情報機関はロシアが(ハッキングした電子メールの暴露によって)米国の民主主義に介入しているとして警戒している。来年のフランス大統領選やドイツ総選挙でも同じことが繰り返されるだろう」

「ヒラリー政権が日本とロシアの交渉があまりにも進みすぎることを熱烈に支援することはありそうにもない。しかしロシアとの交渉を考える上で、日本がロシアと良い関係を持っているのは悪いことではない」とライト氏は話しました。

米国はプーチンにカンカン

北朝鮮の核・ミサイル開発を止めるため米中の協力が進む可能性もあり、日本が対中牽制のため、対露関係を進めるのには十分な配慮が求められます。米露のスパイ合戦はサイバー空間でヒートアップし、プーチンは米国をカンカンに怒らせているからです。

ヒラリーはオバマ同様、米国伝統の自由主義外交を進める一方で、アジア、中東、欧州の地政学上の安定を確保するため、同盟国との関係を強化するでしょう。アジア回帰政策とTPPは車の両輪ですが、ヒラリーは国内のポピュリズムとナショナリズムに直面しています。

ヒラリーが米国民を説得して、アジア太平洋地域の安定に関わり、自由貿易を推進できるかどうかが、日本にとっても重要なカギとなります。安倍首相がどこまで日本の役割を広げ、ヒラリーをサポートできるのか。ヒラリー・シンゾーの二人三脚で日米同盟を深化させ、アジア太平洋の平和と繁栄を築いていく必要があります。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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