Yahoo!ニュース

日産と英政府に損失保証の密約? EU離脱めぐる攻防は第2ラウンドに

木村正人在英国際ジャーナリスト
メイ英首相と会談したゴーン日産社長(写真:ロイター/アフロ)

「英国政府の支援と公約」

英国の欧州連合(EU)離脱リスクについてカルロス・ゴーン社長が新規投資に対する英国政府の保証を求めていた日産自動車は27日、英北部サンダーランド工場で主力車「キャシュカイ」と「エクストレイル」の次期モデルを生産すると発表しました。英国ではEU離脱決定後もソフトバンクによるARMホールディングスの買収など大型投資が続いています。

ゴーン社長は「英国政府から支援と公約を得られたことで、サンダーランド工場でのキャシュカイとエクストレイルの次期モデルの生産決定につながりました。英国の自動車産業および産業戦略全体の発展に対するメイ首相の強い決意に敬意を表します」と表明しました。

サッチャー政権の日本企業誘致に応じた日産は1986年に北東部サンダーランド工場の操業を開始して以来、テクニカルセンター、デザイン部門を英国に設置し、年間約50万台の自動車を生産しています。サンダーランド工場への投資総額は37億ポンドを超え、英国で生産される車の3分の1はサンダーランド工場でつくられています。

欧州ではドイツをはじめ、各国の自動車メーカーがしのぎを削っているため、日産、トヨタ、ホンダといった日本勢はEU加盟国の英国を拠点に製造した自動車をEU域内に輸出しています。

EUとの離脱交渉が難航すれば、英国からEU域内に輸出する自動車に10%、自動車部品に5%のEU域外関税がかかるようになる恐れがあります。そうなれば英国の自動車産業は大打撃を受けます。

しかし、自動車の製造工場を英国(ワーカーの月給2754ユーロ、JETRO調査)からスロバキア(同785ユーロ)やハンガリー(同357~1001ユーロ)などEUの旧共産圏に移すと言っても莫大なコストがかかります。しかも、これまでの英国への投資が無駄になってしまいます。

すでに巨額の資本を英国につぎ込んでいる日産にしてもトヨタにしてもできれば英国から動きたくないのです。かと言ってEU域内に輸出する自動車に10%の域外関税をかけられたら、競争が厳しい欧州市場でドイツ車やフランス車、イタリア車に太刀打ちできません。

車1台の生産コストを抑えるには規模を拡大させる必要があり、日産は次期モデル生産のためサンダーランド工場への新規投資を決める必要に迫られていました。投資判断が1日でも遅れれば、それだけビジネスチャンスは逃げていきます。

サンダーランド工場は7千人の従業員を抱え、自動車部品などのサプライチェーンで2万8千人の雇用を生み出しています。日産は日系企業であると同時に英国人が働く英国の企業でもあり、フランスの自動車メーカー、ルノーが株式の43.4%を保有するフランスの企業でもあるのです。そうした意味で日産は完全なグローバル企業です。

密約?

しかしゴーン社長の言う「英国政府の支援と公約」の内容が問題です。英紙タイムズは、クラーク・ビジネス・エネルギー・産業戦略相が「英国がEUを離脱した後も日産の英国でのオペレーションが競争力を維持することを保証する」との念書を日産に差し入れたと報じました。この文書は、自動車輸出がEUの域外関税や非関税障壁の対象になったら英国政府が損失分を負担するという密約を日産と結んだとも読めます。

政府が日産だけを特別扱いし、「EU離脱に伴って損害が発生したら英国政府が負担する」という保証書を差し入れていたとしたら、民間企業の公正な競争を阻害してしまいます。このためトヨタは「公平な取り扱いではない」と反発しています。EUのルールにも違反しているし、「それが本当ならEUに離脱した後、世界貿易機関(WTO)にも加盟できない」とロンドン大学のダグラススコット教授(憲法担当)は指摘しています。

英国政府は火消しに大わらわです。渦中のクラーク大臣は「金銭的保証はどこにも存在しない。私は小切手帳を持っているわけではない」と発言し、日産側も「英国政府との間に特別な取引はない」とタイムズ紙の報道を否定しています。しかし、英国政府が日産に何らかの保証を与えたとしても不思議ではありません。自動車産業は英国経済のエンジンの一つだからです。

出所:SMMT
出所:SMMT

英自動車製造販売者協会(SMMT)によると、英国の自動車産業は81万4千人の雇用を生み出しています。昨年、英国国内の乗用車生産台数は前年比3.9%増の158万7700台。日産は同4.7%減の47万6600万台で、インド・タタ自動車傘下の高級車メーカー、ジャガー・ランドローバーの48万9900台(同9%増)に抜かれて首位の座を明け渡しました。3位は独BMW傘下の高級小型車MINIで20万1200台(同12.4%増)。4位はトヨタ自動車の19万200台(同10.4%増)です。

英国の乗用車生産のピークは1972年の192万台。「英国病」で一時、国際競争力を失ったものの日系自動車メーカーの進出など外資導入で復活し、2020年には200万台の生産を目指しています。また英国内では263万台の新車が販売され、86.5%は輸入しています。このうち81.5%はEUからの輸入です。英国内の需要は旺盛です。

円満離婚か、泥沼離婚か

貿易は英国にとってもその他のEU加盟国にとっても利益になります。EUが離脱ドミノを防ぐため懲罰的な域外関税を英国の輸出品にかけたら結局、共倒れになるだけです。しかも日産にはフランス資本が、MINIにはドイツ資本が入っているため、EUが英国を域外関税の対象にするとしたら、フランスやドイツがそれぞれ自分の国の会社に関税をかけるのと同じようなことになってしまいます。

シンクタンク、オープン・ヨーロッパのスティーブン・ブース氏に尋ねたところ「離脱交渉はお互いが受けるダメージを最小限に抑える方向で進む可能性がある」との見通しを示しました。筆者も経済的合理性を優先すれば泥沼離婚より円満離婚を双方が選ぶはずとみています。英国に拠点を置く日産、トヨタ、ホンダなど自動車メーカー8社の幹部に確認したところ、大半が同じような見方をしていました。

メイ政権には念書を日産に差し入れても、離脱交渉を円満に進めれば実行せずに済むため問題は生じないという読みが働いているのかもしれません。EU離脱決定後、英中銀・イングランド銀行が約7年ぶりに政策金利を0.5%から0.25%に引き下げるなど包括的金融緩和策を発動し、ポンド安も急激に進んだため、英国経済は景気後退入りするどころか、次第に上向きになっています。

出所:英国家統計局のデータをもとに筆者作成
出所:英国家統計局のデータをもとに筆者作成

筆者は英国で暮らすようになって10年目になりますが、英国は慢性的な供給不足に加えて、実需がいつも供給を上回っています。それに比べ働き過ぎの日本は慢性的な供給過剰で、すぐにデフレに傾いてしまいます。英国はEUに残留したらしたで資本や移民の流入が止まらずバブル景気が沸騰し、離脱を決定したらしたでポンドが劇的に下がり、景気が上向きます。英国経済がまだまだ若い証拠です。

しかしメイがEU離脱のグランドデザインを示さないため、中・長期的に見れば投資が止まり、景気が停滞しかねません。このため国民投票のEU離脱決定を反省した残留派は資金を投入して巻き返しを図り、政府VS議会、ハードブレグジット(単一市場から離脱)VSソフトブレグジット(単一市場に残留)の第2ラウンドを仕掛けようとしています。

いったん離脱を決定したら、さっさと出ていくべきだとも思うのですが、あまりにも問題が複雑で影響が大きいため、英国ではメイ首相らハードブレグジット派を押しとどめる動きが次第に強まっています。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事