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ポピュリストから攻撃される中央銀行 日銀は大丈夫?

木村正人在英国際ジャーナリスト
メイ首相に2019年までの任期延長を伝えたカーニー英中銀総裁(写真:ロイター/アフロ)

離脱派の標的にされた英中銀総裁

英国の欧州連合(EU)離脱決定から4カ月余が経過しました。筆者が一番やきもきしていたのが英中央銀行・イングランド銀行のマーク・カーニー総裁の進退です。カーニー総裁は国民投票の前、EUを離脱すれば景気後退入りすると何度も警鐘を鳴らしました。

このため保守党内のEU離脱強硬派の怒りを買い、辞任を要求されていたカーニー総裁がイングランド銀行を去るようなことになれば、英国のEU離脱は「内向き」「後ろ向き」の方向に進むという印象を世界中に与えかねません。

カーニー総裁がEU離脱に備えて金融市場に資金を供給したり、離脱決定後に利下げを含む包括的緩和策を実施したり適切に対応したからこそ、英国経済は危機を回避できたとも言えます。

カーニー総裁は英連邦のカナダ出身です。愛国的な英メディアから意地悪な質問をぶつけられることもありましたが、そのたびカーニー総裁は理路整然と答え、見事に退けてきました。

頭脳明晰。難しい局面も、いとも簡単に切り抜ける実力を今回の離脱決定でも証明して見せました。カナダ銀行(中央銀行)総裁だったカーニー総裁はオズボーン前財務相にこわれて2013年、イングランド銀行の総裁に就任します。

1960年代に労働党のウィルソン首相(故人)が英連邦のオーストラリア準備銀行(中央銀行)総裁をイングランド銀行総裁として招請しようとしたことはありました。しかし実際に、英国籍を持たない人が総裁になるのは、「老貴婦人」と呼ばれるイングランド銀行が1694年に創設されて以来、初めてのことでした。

カーニー総裁は国籍より能力や適性を優先する英国の市場開放政策の「象徴」です。そのカーニー総裁が18年の任期終了を待たずに辞任するのか、それとも当初の希望だった5年の任期を延長して21年(フルの8年任期)まで総裁を続けるかが市場の注目を集めていました。

保守党の「妖怪軍団」

カーニー総裁が保守党内の離脱強硬派の圧力に屈して任期前に辞任することになったら、難航が予想される英国のEU離脱は座礁してしまう恐れがあると筆者は気を揉んでいました。

英紙フィナンシャル・タイムズ電子版が31日、カーニー総裁が友人に打ち明けた話をもとに「カーニー総裁、21年まで任期延長へ」と報じたので、ホッと胸をなでおろしました。

首相官邸報道官もメイ首相がカーニー総裁を全面的に支持していると発表しましたが、カーニー総裁はハモンド財務相への書簡で、EU離脱の手続きが終了する19年まで総裁職を務めると伝えました。

国民投票の前からこまめにEU関連の講演会や討論会に参加していますが、保守党内の離脱強硬派はたとえは悪いかもしれませんが、ゲゲゲの鬼太郎に出てくる「妖怪軍団」のような人たちです。

「EUから主権と民主主義を取り戻せ」と呪文のように唱えるだけで、はっきりしたEU離脱の青写真は何一つ持っていません。

「妖怪軍団」の特徴は、英国は特別で、世界を率いる能力を持ち、歴史を変革していくと信じて疑わないことです。米国例外主義と同様、英国には時代を切り拓く使命があるという、何の根拠もない英国例外主義を信奉する人たちです。

「日の沈まぬ帝国」よ、もう一度という妄想に取りつかれた「妖怪軍団」の呪術政治に中銀のカーニー総裁は絡め取られようとしていました。

グローバリゼーションの我利我利亡者

一方、残留派も、さあグローバリゼーションに突き進もうという我利我利亡者や、欧州統合の幻想に取り憑かれた人たちが目立ち、EU離脱決定後の議論でも「とにかくEUに入っていれば、すべてが上手く行く」の一点張りです。

投票権こそないものの残留派だった筆者でさえ、最近の議論に耳を傾けていると壊れたレコードを聞いているようで、EUから離脱しないとEUと英国が抱える問題は永遠に解決されないと思うようになりました。

EUに残留したままだと、不動産市場の高騰と移民の流入が続き、英国経済は過熱して、いつか破裂していたに違いありません。

英国がEUを離脱する上で欠かせない人材が、残留を強く主張したイングランド銀行のカーニー総裁でした。

政府と中央銀行の二人三脚

政府と中央銀行は車の両輪であり、適度な距離を置いた協力が必要です。しかし、イングランド銀行で働いた経験を持つメイ首相が先の保守党大会でこう演説したことが波紋を広げます。

「資産を持つ人々はより豊かになった。資産を持たない人は苦しんでいる。(略)変える必要がある。我々はそれを実行しようとしている」

保守党内の「妖怪軍団」は、メイ首相の演説をイングランド銀行の緩和策に対する批判、カーニー総裁更迭のシグナルと勝手にとらえ、辞任要求の動きを強めていました。メイ首相の政権基盤はキャメロン前首相と同じで、非常に脆弱です。

キャメロン首相は10年、自由民主党と連立政権を樹立する際、解散権を放棄して5年の議会期を固定しました。連立時代はそれで良かったのですが、15年に保守党単独政権が誕生して弱さが露呈します。

解散権を持たない首相は全然、怖くないのです。だから保守党内の「妖怪軍団」はやりたい放題。メイ首相は対処を間違えるとキャメロン首相の二の舞いになりかねません。

そのためメイ首相の発言はいつも強めになってしまうのですが、政府と中央銀行が協力しないとEUからの離脱という第二次大戦以来の難局を乗り越えることはできません。

カーニー総裁は米ハーバード大学を卒業後、英オックスフォード大学で博士号を取得。米金融大手ゴールドマン・サックスやカナダ財務省、カナダ銀行に勤務し、08年にカナダ銀行総裁に就任します。

世界金融危機で、期間を決めて金利を0.25%に下げ、先進7カ国(G7)の中で初めて国内総生産(GDP)と失業率を危機前のレベルに回復させたことで一気に株を上げます。

世界の金融システムを監視する金融安定理事会(FSB)の議長も務め、銀行資本の積み増し、レバレッジの制限、銀行の自己責任の明確化など、金融危機の再発防止策を主導しました。

「信頼できない恋人」と呼ばれたカーニー総裁

8年の総裁任期を例外的に5年に短縮、年収、年金の掛け金、妻と娘4人の住宅手当まとめて87万4千ポンド(1億1200万円)の高待遇でカーニー氏はイングランド銀行総裁に就任します。キング前総裁の年収は30万5千ポンドだったので、破格の待遇だったことが分かります。

カーニー総裁は失業率だけでなく、実質賃金の回復を慎重に見守り、利上げを先送りし、下院の特別委員会で「信頼できない恋人」と呼ばれたこともありました。が、「無事これ名馬」と言われる通り、カーニー総裁の金融政策は過不足なく、そつが全くありません。

カーニー総裁は「政治家が中央銀行の目標ではなく、むしろ政策に口出しするようになると、中央銀行の仕事は難しくなる」と中央銀行の独立を主張し、保守党内の「妖怪軍団」の圧力を退けてきました。

メイ首相が「妖怪軍団」に振り回されず、カーニー総裁を支持したことは非常に大きいと思います。カーニー総裁が19年まで任期を延長したことでEU離脱の不安材料は少しだけ和らげられます。メイ首相とカーニー総裁の二人三脚によって英国のEU離脱が難破しないことを祈ります。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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