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北方領土返還は1ミリたりとも動かない 安倍首相を手懐けたプーチン大統領の思惑

木村正人在英国際ジャーナリスト
安倍首相が贈った秋田犬「ゆめ」にご馳走を与えるプーチン大統領(写真:Kremlin/Sputnik/ロイター/アフロ)

桁落ちの「プレス向け声明」

12月15、16日に行われた日露首脳会談の「共同声明」でも「共同宣言」でもない「プレス向け声明」で、平和条約の締結に向けた重要な一歩として北方領土における共同経済活動に関する協議を開始することや人的交流を発表しました。民間を含めた日本側の経済協力の総額は3千億円規模にのぼる見込みだそうです。

プーチン露大統領と会談した安倍晋三首相(首相官邸HP)
プーチン露大統領と会談した安倍晋三首相(首相官邸HP)

北方領土問題は1ミリも進みませんでした。東シナ海や南シナ海で中国が傍若無人に振る舞うことに対抗するため、日本は中露分断を図り、ロシアとの関係を強化しなければならないという、やむにやまれぬ事情があります。

しかし米大統領選で敗れた民主党候補ヒラリー陣営に対するハッカー攻撃、シリアで市民や病院への空爆を繰り返すアサド政権への加担、クリミア併合やウクライナ東部での親ロシア派武装勢力への肩入れなど、ロシアと米欧の対立が深刻になる中で、プーチン露大統領と笑顔で握手する安倍晋三首相には非常に残念な思いがしました。

「ゆめ」を従えるプーチン大統領(露大統領府HP)
「ゆめ」を従えるプーチン大統領(露大統領府HP)

13日にモスクワのクレムリン(大統領府)で日本テレビと読売新聞と会見したプーチン氏は、安倍首相が2012年にプレゼントした秋田犬の「ゆめ」を連れて現れ、日本では人気を集めました。

しかしプーチン氏からご褒美の餌を与えられ、喜ぶ「ゆめ」の様子は、プーチン氏に手懐けられた安倍首相のメタファー(暗喩)のように感じられてなりませんでした。北方領土交渉の前進で支持率を固め、次の総選挙での勝利、憲法改正につなげたい安倍首相は完全に足元を見られてしまいました。

2島も主権は棚上げ

1990年代、日米露3カ国で行われた北方領土問題の解決策を提言する研究会に参加、米国家情報会議ロシア担当だった米ブルッキングス研究所のフィオナ・ヒル女史は以前、筆者に「プーチン大統領の立場は法的に一貫しています。56年の日ソ共同宣言に法的に準拠して進めようという立場です」と語りました。

国交を回復した日ソ共同宣言では、平和条約締結後、歯舞群島と色丹島を引き渡すとしています。しかしユーラシアの国境問題を専門にする北海道大学・九州大学の岩下明裕教授は3年前、筆者に「主権がどちらにあるのか、いつどのような形で引き渡すのか記されておらず、それはその後の交渉によるというのがロシア側の立場です。歯舞、色丹を引き渡すとしても無条件ではないのです。平和条約を結ぶというのは、国後、択捉はロシアのものであり続けるということとセットです」と指摘していました。

プーチン氏は首脳会談後の共同記者会見で「45年にソ連はサハリンだけではなく、南クリール(北方領土)も含めて自分のものに戻した。(略)56年の共同宣言をベースにして話し合いに戻った。宣言には2島(歯舞、色丹)を引き渡すと書いてあるが、その条件がわからない。共同経済活動はロシアの利益であり、平和条約の話を棚上げするというのは違う。平和条約締結は重要な課題だ」と強調しました。

16回目の首脳会談、坊主丸儲けのプーチン氏

北方領土で共同経済活動を進めることは、4島がロシアの主権下にあることを追認することにもなりかねません。ロシアの法律を適用しない「特別な制度」を設けるのは、新しい六法全書をつくるのと同じだ(袴田茂樹・新潟県立大教授)という指摘もなされています。

プーチン氏の訪日をようやく実現させた16回目の会談は2日間で計6時間にのぼりました。坊主丸儲けのプーチン氏に比べ、前のめりになり過ぎた安倍首相の成果は非常に乏しいものでした。日露首脳会談に臨んだプーチン氏の戦略はいったい何だったのでしょうか。

筆者の質問に答えたロシアのベストセラー作家ジガー氏(筆者撮影)
筆者の質問に答えたロシアのベストセラー作家ジガー氏(筆者撮影)

プーチン氏の側近から証言を集めた『All the Kremlin’s Men: Inside the Court of Vladimir Putin(筆者仮訳:クレムリンの男たち ウラジミール・プーチンの宮中)』がロシアで大ベストセラーになった著者ミハイル・ジガー氏に筆者は11月上旬、直撃しました。ジガー氏は次のように答えました。

「通常、プーチン氏はプランを持っていません。国際政治においてプーチン氏はプランや戦略を持っていないということが著作の柱となるアイデアになっています。しかし北方領土に関してプーチン氏の考えは明白です」

「交渉のフリはできる」

「真の意味での交渉はまったく不可能だと推測します。プーチン氏と安倍首相はあらゆる事柄について交渉しているフリをすることはできます。しかし(プーチン氏にとって)状況を打開する必要は全くないのが現実です」

「多くの人が日露両国の間に平和条約がないことや形式的には第二次大戦が続いていることを知らないことはおかしなことです。しかしロシアでも日本でも大抵の人は気にしていません。何も起こらないでしょう」

「私たちはプーチン氏が気にしないワケを知っています。彼は自分を強く見せることにだけ関心があるのです。国際社会の取締役会の主要メンバーだと見られることにね。プーチン氏は北方領土問題に言及する必要などないのです。意味のないことだから」

「ロシアの政治家や政府高官などエスタブリッシュメント(支配層)には北方領土の返還に応じようという考えは微塵もありません。領土問題で譲歩はあり得ないということです。劇的な変化でも起きない限り、こうした状況は変わりません。北方領土問題が動くことは100%ありません」

「ロシアナショナリズムというより、どこの国でも領土問題で譲歩することはありません。それが万国に共通する伝統的な思考法というものです」

領土回復・民族統一主義

出所:国営ロシア世論調査センターのデータをもとに筆者作成
出所:国営ロシア世論調査センターのデータをもとに筆者作成

国営ロシア世論調査センターによると、プーチン氏の支持率は80%台を維持しています。「自分はロシアの子供たちを守る母なるロシアに仕える役目を負う」と自負するプーチン氏は国内で高まるロシアナショナリズムを背景に領土回復・民族統一主義を前面に押し出しています。プーチン政権の原動力は、欧米諸国に対して一歩も引かないナショナル・プライド、大ロシア主義です。

ジガー氏によると、プーチン氏は第二次大戦で戦後の世界秩序を決めたヤルタ会談を再現する野望を抱いています。米大統領ルーズベルト、英首相チャーチルと会談したソ連の独裁者スターリンのように21世紀の世界地図を描きたいのです。

領土回復・民族統一のためには武力行使も厭わないプーチン氏は安倍首相側近の手に負える相手ではないのです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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