Yahoo!ニュース

【2016年回顧】英国はEU離脱(ピンチ)をチャンスに変えよ

木村正人在英国際ジャーナリスト
英国のEU離脱でブリュッセルでは壮絶な政治バトルが繰り広げられる見通しだ(写真:ロイター/アフロ)

ドイツが動かないとEUは動かない

2016年の6月23日は英国にとって歴史に刻まれる日となりました。投票権者の1741万742人(51.9%)が欧州連合(EU)から離脱することに票を投じ、1614万1241人(48.1%)が残留を望みました。その差は126万9501人。あの日から半年余が過ぎましたが、状況は何一つ変わっていません。

サッチャー以来、英国で2人目の女性宰相となったメイ政権はEU離脱を成功させるため交渉準備を全力で進めています。新年3月末までにEU基本法(リスボン条約)に基づき交渉開始手続きをブリュッセルに公式に伝える予定です。交渉期間は2年。しかし秋にドイツの新体制が決まるまで本当の意味での交渉はスタートしないでしょう。

新年は欧州にとって大ピンチの年となります。3月、オランダで総選挙が行われますが、事前の世論調査では反EU、反イスラムを唱える極右政党・自由党が首位を走っています。5月にはフランスの大統領が決まりますが、EU離脱を訴える極右政党・国民戦線が決選投票に進むのは確実な情勢です。そして秋にはドイツの総選挙が控えています。

ギリシャをはじめとする欧州債務危機をきっかけに最大の債権国となったドイツの発言力が強まり、ドイツが動かなければEUは1ミリたりとも動かなくなりました。そのドイツは2015年にシリア難民を中心に100万人超が流入した難民危機への対応に加え、12人が犠牲になったベルリンのトラックテロなどイスラム過激派によるテロ対策に追われています。ギリシャの債務問題も残っています。

英国は「裏切り者」

禁じ手の国民投票にEU加盟の是非をかけて離脱を決定した英国はEUの他の加盟国にとって許されざる「裏切り者」です。英国にいつまでも甘い顔をしていると離脱を選択する加盟国が後に続く恐れが否定できないため、EUの他の加盟国は英国に「良いとこ取り」を許さない方針で一致団結しているそうです。

EU残留を支持していた筆者は6月の国民投票のあと開かれた討論会に時間の許す限り出席してきました。その結果「EUが振りかざす論理は暴力団の指詰めと同じだな」と思うようになりました。これまでロシアの資源外交やギリシャ救済、難民危機などへの対応で議論を重ねても、なかなか足並みがそろわないのがEUでした。

元駐英日本大使の野上義二・日本国際問題研究所理事長も「EUの十八番(おはこ)は先送り」と言っているほどです。それが借金取り立てのため重債務国のギリシャを締め付けたり、EUを離脱していく英国をいじめたりするとなったら、普段以上に結束できるEUって何なのだろうと思います。

交渉期限の切れる19年3月末に何の協定も結ばないまま英国をEUから放り出すことがEUの最優先課題だとしたら、EUの存在意義はもはやないと言えるのではないでしょうか。石炭と鉄という戦争の原因を平和と繁栄の礎とした「欧州統合の方程式」は今や指詰めで組織の引き締めを図る暴力団の掟に変貌してしまいました。

離脱派は愚鈍なのか

ロンドンの大学が主催する英国のEU離脱に関する討論会では「残留派=賢明・正義」「離脱派=愚鈍・無分別」というトーンで議論が進められます。それは大学がEUから補助金を受けていることと密接に関係しています。英国がEUから離脱すると、大学を含めて既存の利権構造は大きく変わります。

EU加盟の是非を国民投票にかけるという決断をしたキャメロン前英首相がどうしようもない愚か者だったことに疑う余地はありません。保守党内の欧州懐疑派と決着をつけるためなら保守党の党首選を、EU離脱を党是とする英国独立党(UKIP)を抑えるためなら総選挙で済んだ話で、自分の党利党略を国民投票にすり替えたのは取り返しのつかない過ちです。

キャメロン前首相の愚さは国民投票を実施したことと同様に、EU離脱が一体何を指すのか示さなかったことにもあります。

EU離脱とは、EUから無制限に流入する移民を規制することなのか、それとも人・モノ・資本・サービスの4つの自由移動を認めた単一市場から離脱することなのか、関税同盟からも飛び出すことなのか。40年以上も積み上げてきた欧州との関係をどこまで逆戻しするのか、ご破算にして一から出直すのか。メイ首相にも官僚にも全く見当がつかないのです。

EU内では格差が広がっていた

しかし、いずれ英国がEUを去る日が来るのではと、少なくない英国の政治家や官僚は密かに考えていたはずです。そして今、国民投票で示された国民の意思をないがしろにしては、民主主義は成り立ちません。

筆者は英国がEUから離脱することになっても市場原理に基づき落ち着くところに落ち着くと予想しているのですが、ブリュッセルでは離脱ドミノを防ぐため英国の離脱を悲惨なものにすることで見せしめにしてやるという政治力学が渦巻いているようです。

国際金融都市シティーの権利擁護を至上命題とする英紙フィナンシャル・タイムズや、EUの補助金をもらいたい大学教授は後者の論調を強調します。

英国の軍事力に自国の安全保障を頼むところがある旧共産圏のEU加盟国が英国いじめに同調しているさまは噴飯ものです。EUは今や「欧州統合の方程式」ではなく「分裂の方程式」です。経済協力開発機構(OECD)の「所得格差」のデータをみると、いくつかのEU加盟国で格差は拡大しています。

出所:OECDデータをもとに筆者作成
出所:OECDデータをもとに筆者作成

0は格差のない状態で、1に近づけば近づくほど格差は大きくなっていきます。先進国の成長に限界が見えたことで、EUはウィンウィンではなく、28カ国の加盟国が参加するシーソーになってしまいました。ドイツのような強い工業国、ビジネスのしやすさでは断トツの英国の重みが次第に増し、シーソーの上に乗っていた砂がドーッと音をたてて一方向に流れ落ちるようになりました。

「関税同盟からも離脱せよ」前英中銀総裁

勝ち組はさらに強くなり、負け組はさらに負け込んでいくのです。勝ち組だった英国には移民が大量に流入し、マクロ経済的には非常に良かったわけですが、難民危機もあって反EU感情が一気に高まってしまいました。加盟国間に大きな経済格差があると、単一通貨、単一市場といったワン・サイズ・フィッツ・オールの枠組みは機能しません。

英中銀・イングランド銀行のキング前総裁(筆者撮影)
英中銀・イングランド銀行のキング前総裁(筆者撮影)

英中央銀行・イングランド銀行のキング前総裁は英BBC放送のラジオ番組に出演し「英国はEUを離脱することに自信を持つべきだ」と述べました。「EUを離脱することによって経済改革の本当のチャンスがあり、新しい貿易協定を結ぶことができれば英国のEU離脱は成功したと言えるでしょう」

「英国のEU離脱というチャレンジはバラ色の未来を意味するのではなく、そのように装うべきでもありません。しかし同時にこの世の終わりでもないのです。EUを離脱することによって本当の意味でのチャンスもやってきます」

「経済的に全くうまく行っていないEUから出ることは、私たちに非常に大きな政治的な難しさをもたらすとともに、チャンスも与えてくれるのです」。キング前総裁はEUの関税同盟にとどまることにも疑問符を投げかけます。

「もしEUの関税同盟にとどまることになったら、EU離脱によるチャンスをつかむのが難しくなります」「私たちは単一市場にとどまるべきだと装う意味はないと思います。関税同盟にとどまるとEU域外の国々と英国独自の貿易協定を結ぶことはできないからです」

フィナンシャル・タイムズ紙に代表されるリベラル派は単一市場にとどまる「ソフト・ブレグジット(英国のEU離脱)」を主張していますが、英中銀の前総裁は、英国は独自の自由貿易国家を目指すため関税同盟からも離脱する「ハード・ブレグジット」を唱えています。

これはメイ政権の要であるデービスEU離脱担当相と同じ考え方です。

フランスとドイツ、イタリア、ベネルクス三国の6カ国でスタートした欧州統合は04年のEU拡大をきっかけに大きくなり過ぎました。EUはすでにユーロ圏と非ユーロ圏と言う2つのグループに分かれていますが、ローマ帝国が東と西に分裂したように拡大し過ぎたEUの分裂は避けられない運命なのかもしれません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事