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「美しすぎるロシア人女性ハッカー」の正体 米民主党ハッキングは「プーチンの命令」

木村正人在英国際ジャーナリスト
トランプとプーチンが描かれたセルビアの壁画(写真:ロイター/アフロ)

ヒラリーを貶める影響作戦

米大統領選で民主党サイトにロシアの情報機関がハッカー攻撃を仕掛け、ヒラリー・クリントン前国務長官に不利となる電子メールをリークしていた問題で、クラッパー米国家情報長官は6日「ロシアのプーチン大統領は2016年、米大統領選に影響を与える作戦を命じていた」とする報告書を公開しました。

報告書は「ロシアの狙いは米国の民主的なプロセスに対する有権者の信頼を揺るがせ、クリントン前長官を中傷し、彼女が当選して大統領になる可能性を損ねることだった」「プーチンとロシア政府はトランプ次期大統領が有利になるよう活動したと米国の情報機関は評価する」と指摘しています。

米国の3情報機関、CIA(中央情報局)とFBI(連邦捜査局)は高い確信、NSA(国家安全保障局)は適度な確信を持ってこの報告書の分析に同意しています。ヒラリーが大統領選に勝利する確率が強まった時、彼女を貶めるロシアの影響作戦は一気にエスカレートしたと記しています。

ロシアは旧ソ連時代から米大統領選を狙って、スパイ、エージェント、報道機関を使い、クレムリンに対して敵意を持っていると思われる候補者の評判を悪くするため、表面化しないよう巧妙に影響作戦を繰り広げてきました。しかし今回、そのスケールと効果はこれまでの活動をはるかに凌駕していました。

米大統領選の成功に味しめるプーチン

米大統領選で、政府機関、国営メディア、第三者、デタラメの情報をまき散らす有給のソーシャルメディアユーザー(雇われトロール部隊)によるサイバー攻撃などのメッセージ戦略と影響作戦をロシアは巧みに組み合わせました。

ロシアの情報機関、軍参謀本部情報総局(GRU)は民主党サイトからハッキングした電子メールを架空の人物Guccifer2.0やDCLeaks.comを使ってリークしました。

報告書は「モスクワは米国の同盟国とその選挙プロセスを含めて世界中で影響作戦を展開するため、プーチン大統領が命じた今回の米大統領選の作戦から学んだことを活かしていくと評価している」と結んでいます。

1月20日にはトランプ大統領が誕生します。この時期にオバマ大統領が報告書の機密扱いを解除してまで「プーチンの命令」を公開した狙いはいくつもあります。

まず、トランプが当選の正当性が疑われることを怖れてロシア情報機関が米大統領選に介入したことを認めようとしないため、情報機関の調査を白日の下にさらしておく狙いがあります。トランプ大統領が誕生した後では、報告書は闇に埋もれていたでしょう。

ハッキングなどのサイバー攻撃と誹謗・中傷の影響作戦、プロパガンダを組み合わせたプーチンの情報戦争に対する警鐘を鳴らし、選挙を控える米国の同盟国政府に注意を呼びかけなければなりません。目には目を、歯に歯をでロシアに対抗するというオバマの最後の意地でもあったでしょう。

ソ連はグローバル化の犠牲者

しかしオバマの意地がどこまで米国や同盟国の有権者に響くか疑問です。トランプは、グローバリズムで負け組に転落した製造業の白人労働者の支持を受けて当選しました。プーチンはグローバリズムで最初に犠牲になったのはソ連と考えており、トランプや米国の白人労働者の気持ちに同調することができます。

グローバリズムの負け組であるロシアと米国の白人労働者にとってグローバリズムの推進者であるオバマやヒラリーは「憎き敵」のように映っているからです。トランプはプーチンへのシンパシーを隠そうとはせず、トランプ政権の重要閣僚の中には親ロシア派が少なくありません。

ロシアとプーチンへの対決姿勢を鮮明にしていたオバマやヒラリーより、ロシアに譲歩できるトランプの方がシリア内戦など泥沼状態に陥っている中東・北アフリカ地域は安定するのかもしれません。自由や民主主義という価値よりも安定を重視する地政学上のバランスがプーチンとトランプの間で働く可能性があるからです。

オバマとヒラリーはプーチンと徹底的に対立してきました。最後の最後までオバマはプーチンに対する攻撃を止めようとはしませんでした。しかし結局、オバマとヒラリーはすべてを失い、米大統領選ではプーチンの思惑通りダークホースのトランプが大逆転勝利を収めました。

英国の欧州連合(EU)離脱決定もEU解体を目論むプーチンの狙い通りの結果になりました。フランス大統領選で決選投票に進出するとみられている共和党のフィヨン候補も極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首もプーチン寄りです。北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコのエルドアン大統領はプーチンと強力な関係を築いています。

「サンタクロースの悪戯?」

今回の電子メール漏洩問題で、米ホワイトハウスは12月29日、在ワシントン大使館とサンフランシスコ領事館のロシア人外交官35人を国外追放するとともに、米国内の資産凍結・入国禁止などの制裁リストを新たに発表しました。

FBIに指名手配されたハッカー
FBIに指名手配されたハッカー

制裁リストには、ロシアの情報機関、軍参謀本部情報総局(GRU)や連邦保安局(FSB)とその上層部に加え、複数の米金融機関や一流企業500社から1億ドル以上を盗み出したり、電子商取引会社3社以上のコンピューターネットワークに侵入したりしていた悪名高いハッカー2人の名前も含まれていました。

アリサ・シェフチェンコさんのツイッターより
アリサ・シェフチェンコさんのツイッターより

そしてGRUの研究・開発に協力していたとして「Zorセキュリティー (a.k.a. Esageラボ)」の名前もありました。Zorセキュリティーはアリサ・シェフチェンコさんが2009年にEsageラボとして起業した会社で、1年以上前に閉鎖しています。アリサは30日の朝起きて飛び上がります。

「朝、目を覚ますとメディアからの取材申し込みが殺到していた。これまで耳にしたことがない制裁リストに自分の会社の名前が載っているという…」(アリサのツイートより)

「ジャーナリストの皆様、どうか私の沈黙を許して下さい。私は本当に何が起きたのか理解しようとしているの」

「私のちっぽけな会社が、しかもかなり前に閉じているのに、(ロシアの情報機関である)FSBや国際テロリストと同じリストに載るようなことがあり得るのかな」

「実際に起きたことは。エレクトロニクス企業のインテルのアナリストがクリスマス休暇をとっている間に、米財務省の匿名の事務員がグーグルで『サイバー』と検索した(結果、アリサの会社の名前がヒットした)」

「違ったバージョンはこう。悪戯なサンタクロースが、クリスマスの夜の闇に紛れて、オバマのコンピューターをハッキングして、無作為に数人のロシア人の名前を紙に書き留めたか」

ホワイトハット

アリサは有名なハッカーではありませんが、ホワイトハット(善玉)のハッカーとしてオペレーション・システムやソフトの脆弱性を見つけるのを仕事にしていました。

15年には米企業の脆弱性を見つけた1人として、アリサの名前は米国土安全保障省の産業用制御システムサイバー緊急対応チーム(ICS-CERT)ホームページにも記されています。

アリサは米誌フォーブスや英紙ガーディアンのインタビューに応じて「無実」を主張しています。

アリサは3つの大学をいずれも中退。プログラムの書き方を覚えたアリサは大学で勉強するより、実践を優先したからです。04年から5年間、ロシアのサイバーセキュリティー会社カスペルスキーで働いていました。

ガーディアン紙の記者に「今のプランは?」と聞かれたアリサはこうツイートしています。アリサはタイの首都バンコク郊外にいるようです。「LSD(薬物)を飲んで、ボディーガードなしに国立公園を散歩するわ」

ロシア情報機関が米民主党サイトにサイバー攻撃を仕掛けるとき、アリサのパソコンを踏み台にしたのか、それとも過去にアリサがゼロデイ脆弱性を見つけて問題を解決したときのコードが今回使われたのか真相は分かりません。

しかしアリサの名前がホワイトハウスの制裁リストに加えられていたことが米情報機関の信頼性を著しく損ねたのは間違いありません。米情報機関の勇み足なのか、筆者には判断する材料がありません。ただはっきりしているのは、プーチンがオバマに仕掛けた情報戦争は、直情径行のオバマと違って、そこまで手が込んでいる、遠謀深慮が働いているということです。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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