Yahoo!ニュース

暗殺された金正男の息子ハンソルさんの動画公開 ボスニアで戦後和解学ぶ

木村正人在英国際ジャーナリスト
ディズニーランドを訪れるため日本に密入国した金正男氏の家族。男児はハンソルさんか(写真:ロイター/アフロ)

「2日前に父が殺された」

2月にマレーシアで殺害された北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏の息子、キム・ハンソル氏とみられる男性が英語で「2日前に父が殺された」と話す動画が8日、ユーチューブに公開されました。

黒いシャツを着た男性は旅券を示して「北朝鮮出身のキム・ハンソルです。金ファミリーのメンバーです」「父は2日前に殺されました。今は、母や妹といます」と40秒にわたって話しています。

韓国の聯合ニュースやシンガポール国営のチャンネル・ニュース・アジアは「キム・ハンソル本人」と報じています。

動画を公開した脱北者保護団体Cheollima Civil Defenseは「先月、金正男氏暗殺以来、家族から助けが必要だと要請がきました。すぐに要望に応え、3人を安全な場所に移動しました。家族の所在などの情報はこれ以上公開できません」という声明を発表しています。

声明によると、米国や中国、オランダなど4カ国の協力を得て3人の安全を確保しました。中でも駐韓オランダ大使は急な要請にもかかわらず、協力を惜しみませんでした。その一方で、Cheollima Civil Defenseの協力要請を断った国もあったそうです。

ボスニア留学

YLEのインタビューに応じたハンソルさん(12年10月)
YLEのインタビューに応じたハンソルさん(12年10月)

2012年10月当時、ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)の学校に通っていたハンソルさんがフィンランド放送協会(YLE)のインタビューに応じ、ドキュメンタリー番組が放映されたことがあります。インタビューは国連事務次長とボスニア人権特別報告官を務めたフィンランドのエリザベス・レーン元国防相が英語で行いました。

筆者は11年末に、旧ユーゴスラビア内戦の傷痕が生々しく残るボスニアの古都モスタルにある国際学校ユナイテッド・ワールド・カレッジ(UWC)モスタル校を取材に訪れました。ハンソルさんが学んでいたからです。モスタルはイスラムとカトリックの文化が混じり合った非常に美しい街でした。

ハンソルさんが学んだUWCモスタル校(11年12月、筆者撮影)
ハンソルさんが学んだUWCモスタル校(11年12月、筆者撮影)

1992~95年のボスニア紛争ではボスニア人(イスラム教徒)、クロアチア人、セルビア人勢力が三つ巴の激しい戦闘を繰り広げました。ハンソルさんが通うモスタルの学校は「分割線」と呼ばれたボスニア人とクロアチア人対立の最前線にあり、周辺の廃墟ビルに銃弾や爆撃の痕が残っていました。

モスタルを訪れたのは、11年12月に死去した北朝鮮の独裁者で核・ミサイル開発を進める金正日総書記の孫、ハンソルさんが、どうして内戦の傷跡が残るボスニアを留学先に選んだのか知りたかったからです。

虐殺の地スレブレニツァを訪問

UWCモスタル校は内戦後の民族和解と多文化・多民族主義をテーマに2006年設立され、地元のボスニア人、クロアチア人生徒のほか、30カ国以上からの留学生135人が学んでいました。ハンソルさんは自らUWCへの入学を申請し、1995年にイスラム教徒8千人がセルビア人勢力に殺された東部スレブレニツァを校外活動の訪問先に選んだそうです。

モスタルで生まれ育ったという同級生は「ハンソルを普通の生徒と同じように扱いたいという理由で学校から箝口(かんこう)令が敷かれている」と話しました。「ハンソルは学校では北朝鮮のことを少しも話さないよ。彼はモスタルで生まれたように溶け込んでいる。自分の気持ちを素直に語り、ここでの経験はきっと良い影響をもたらすはず」

ハンソルさんは当時、ごく普通の学生寮で暮らしていました。近くの喫茶店員は、ハンソルさんは明るい性格で笑顔を絶やさず、おしゃべり好きな好青年だと話してくれました。英語が流暢で、夜にはビールやタバコを楽しむところも目撃されていました。

ドキュメンタリー番組にハンソルさんは黒縁眼鏡をかけ、左の耳にピアスを二つ着けて出演しました。「私は1995年に平壌で生まれましたが、幼児期は目立たないようにしていなければならず、非常に孤独でした。幼なじみはほとんどいません。マカオに住むようになってから、インターナショナルスクールで米国や韓国の友達と知り合った」と生い立ちを語りました。

ハンソルさんは「寄宿舎のルームメイトがリビア人で、革命(体制変革)後、帰国すると、ニュー・リビアになっていたと感動していました」と語り、北朝鮮と韓国について「政治に分断されている。われわれは同じ文化と言語を共有しており、2つのサイドから平和を構築し、統一を実現することは可能だと思います」と強調しました。

「独裁者になった金正恩」

祖父・金総書記について「会ったことも話したこともない。メディアと同じように私も彼がどんな人物なのか、どんなパーソナリティーなのか知りたかった。最期まで回復するのをずっと待っていた」と語りました。

後継者の金正恩については「会ったこともないし、彼がどのようにして独裁者になったかは、祖父(金総書記)と叔父(金正恩氏)の間の話で、僕は知らない。父(金正男氏)は政治に全然興味がありませんでした」と打ち明けました。

「僕は独裁者と普通の家系の二つを経験しました。母は一般市民で、自分が食べる前に、十分な食料が手に入らない人々のことを考えなさいと言って私を育てました。僕がこうして(モスタルで民族和解を学んで)いるのは両親の影響が大きいです」

将来について「いつか北朝鮮に帰ることを夢見ています。38度線をまたいで他のサイドに行けないというのは悲しいことです。実現するのは遠い未来のことだが、南北統一を果たせるよう一歩ずつ努力したい」と目を輝かせました。

金正男の家族遠ざけた金正日

北朝鮮ウォッチャーの武貞秀士・拓殖大学海外事情研究所特任教授は12年当時、ハンソルさんのインタビューについて筆者の取材に以下のように答えています。

「ハンソルさんが『祖父の金正日総書記に会ったことはない』と言っていることから、早い時期から金総書記の長男である金正男氏の後継の可能性はなかったことや、金総書記は金正男氏の家族全員を早い時期から遠ざけていたことが分かります」

「『私(ハンソル)が存在するということを祖父が知っていたのかどうかもわからない。そのため常に祖父が私を訪ねてくるのを期待して待っていた。(祖父が)どんな人物なのか、また個人的なことについて知りたかった』『主に母方で育ったため、祖父が北朝鮮の指導者だということを知ったのは大きくなってからだ』とハンソルさんが言っていることから、金総書記は早い時期に金正恩を後継者に決めていたのでしょう」

「ハンソルさんの母は北朝鮮の一般市民の出身であり、ハンソルさんは子供のときから自分の勉強したいことを勉強し、制約を受けずに外国に滞在して教育を受けたので、自由主義に憧れていることがわかります」

「韓国について、ハンソルさんは『韓国人の友人と話しているうちに自分たちがどれだけ似通っているかわかってきた。言葉も同じ、文化も同じ。そして私たちは親しい友人になった。それは本当にすごい気分』と述べています」

南北のどちらかに行けないのは悲しいこと

「ハンソルさんはインタビューで『韓国と北朝鮮の二つの国は平和と統一に向けて努力しているが、法があるため双方の国民が会うことはできない。南北のどちらか一方に行けないというのは悲しいこと』と語っています」

「『学業を続けて大学を卒業し、どこかでボランティア活動や人道主義的な活動に取り組みたい。北朝鮮に戻ってあらゆる面をもう少し改善し、住民たちが楽に暮らせるようにするのが夢』というのは、金総書記の孫であるから許される言葉です」

「『独裁者』という言葉も使っています。北の一般住民がこのような発言をすると厳罰だが、ハンソルさんの言葉には、切迫した感じがしない。自由な雰囲気の下で、『処罰される』ということを知らない特権階級で育ったからでしょう。金日成主席の曾孫が『多文化主義』『多様性』という言葉を使いながら、ここまで話をするのだなあという感慨のようなものがあります。マカオでの教育の成果でしょう」

父の金正男氏が殺された今、ハンソルさんの心中はどうなのでしょう。ユーチューブに公開された動画からはうかがうことはできませんでした。朝鮮半島に未来を担うハンソルさんと母親、妹3人の無事を祈らずにはいられません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

木村正人の最近の記事