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生業訴訟、裁判所が防護服姿で原告宅を検証──原発事故の被害実態を確認

木野龍逸フリーランスライター
福島地裁の裁判官、東電や国の代理人らが帰還困難区域の双葉町を検証に訪れた

東京電力福島第一原発事故の被害者約3900人が参加する「生業(なりわい)を返せ!地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)の裁判で、福島地方裁判所は3月17日に、避難指示区域内の原告宅の現地検証を実施した。

裁判所による現地検証は、原告側が、長期かつ大規模な原発事故の被害を「五感で感じてもらうため」に求め続け、実現にこぎつけたもの。被告の国と東電は、一部の原告の状況を見ても全体を代表するものとはいえない、現場に行かなくても映像や各種報道で確認は可能なので現場検証は不要などと主張していた。

現場検証には福島地裁の金沢秀樹裁判長、西村康夫、田屋茂樹両裁判官のほか、被告の国と東電から26人の弁護士などが同行。浪江町の居住制限区域にある佐藤貞利さんの自宅と畜舎、双葉町の帰還困難区域にある福田祐司さんの自宅、富岡町の居住制限区域にある女性宅の3か所を訪れ、本人や原告代理人から現状の説明を受けた。

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福田さん宅に検証に向かう福島地裁の裁判官ら(手前右から3人目が金沢裁判長)=17日午後1時32分、福島県双葉町(代表撮影)

原告側は、浪江町では事故前の生業の状況と現在の違いを、双葉町の帰還困難区域では無人の街の雰囲気を、富岡町ではフェンスで区切られた帰還困難区域に隣接する原告宅の環境を、それぞれ裁判所に確認してもらうことを目的としていた。事故直後の避難で無人になった双葉町の双葉駅前商店街では、浪江町が一時帰宅のために2.5μSv/hに設定された線量計が「ピーピーピー」と鳴り続け、帰還困難区域の現状を知らせていた。

放射能汚染が残る中、裁判所が防護服を着用しての現地検証は過去に例がない。弁護団事務局の馬奈木厳太郎弁護士は今回の現地検証によって「東電や国の責任追及だけでなく、被害の検証もできたと思う」と感想を述べた。

現地検証は、裁判所が浪江町の居住制限区域にある佐藤さん宅に、午前11時頃に到着して始まった。裁判所、東電と国の関係者、原告弁護団は全員が防護服にサージカルマスク着用。少し汗ばむ春の陽気に梅の花の色が映える中、防護服の物々しさが際立った。

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佐藤貞利さん宅を検証に訪れた福島地裁の裁判官ら=17日午前10時45分、福島県浪江町(代表撮影)

帰宅時にイノシシが窓を破って飛び出した
帰宅時にイノシシが窓を破って飛び出した
庭先で3μSv/hを示す
庭先で3μSv/hを示す
荒れ果てた畜舎
荒れ果てた畜舎

裁判所の検証は、取材陣は同行できない。約1時間の検証後、記者団に対して佐藤さんは「以前は(裁判所は)入らなくてもいいというような話だったが、足を運んでもらったということは前向き姿勢なのかなと感じた」と話した。

また現場検証を判決にどのように生かしてほしいかという問いに対しては、「死んだ牛の無念を晴らすためには心のこもった判決をいただきたい」と述べた。佐藤さんは震災当時、約150頭の牛を飼育していたが、避難によって多くが餓死するなどした。

国が来年3月までに避難指示を解除した後に戻るかどうかについては、「戻りたいが世間はそう甘くない。浪江のものは買ってもらえない。福島も厳しい」「(戻っても)生活が成り立たない。国や県、町が言うようなきれい事では生活していけない」と、厳しい現状を語った。

浪江町で牛を飼っていた佐藤さん。現場検証ではイノシシに入られた自宅のほか、かつては牛を飼っていた畜舎を確認した。佐藤さんは取材に対して「死んだ牛の無念を晴らすためにも心のこもった判決をいただきたい」と話した

午後1時30分頃、裁判所は常磐線双葉駅前の駐車場に到着。駅前の商店街を抜けて原告宅まで、約450mを徒歩でゆっくりと移動した。事故から5年が過ぎる中、双葉駅周辺は、駐輪場に放置され散乱していた自転車が片付けられたり、崩落していた道路が修復されるなどする一方で、建物の傷みは激しくなってきていた。そんな無人の街を、防護服を着た一団は周囲の建物の写真を撮るなどしながら移動していった。

無人の町を歩く裁判官ら
無人の町を歩く裁判官ら
5年間の歳月を感じる町並み
5年間の歳月を感じる町並み
窓が破れ傾いている
窓が破れ傾いている

移動時間を含めて約1時間の検証後、原告の福田さんが取材に応じた。福田さんは「原発事故で家も土地も全部置いたまま地域から追い出されてもう5年。(この状況の中)国にも考えてもらえない、東電もろくに考えてくれない。司法の力を借りるしかないということで原告になった」と語った。そして東電や国への思いを、次のように話した。

「(東電、国に)街の様子、家の中の様子を見てもらった。荒れた家の中とか、イノシシに入られたような家の中、ネズミの糞がちらばっているとか、普通じゃないのは感じてもらったと思う」

「なんでこんなふうになってしまったのか。(東電、国には)こんな惨めな原発事故事故、こういう事故のおそろしさ、こういう事態になったことをよく考えてもらって、真摯に反省してもらって、なんとか前向きな姿勢で我々を真剣に考えてほしいという気持ちはある」

その気持ちは裁判所にも「伝わったと思う」と述べた。

東電も国も真剣に被害者に向き合わない中、「司法に頼るしかなかった」という福田さん

現地検証はその後、富岡町夜ノ森の、片側一車線の道路を挟んで居住制限区域と帰還困難区域に分けられている境界線に移動。歩いて原告宅に向かった。

検証後、馬奈木弁護士は検証後に記者団に対し、原告は原発避難によりやりがい、生きがいを奪われたこと、帰還困難区域にも友人がいたため原告宅の区域だけ避難指示が解除されても地域の分断は解消されず、元の生活を取り戻すことはできないことなどを説明した。

フェンスで区切られた帰還困難区域
フェンスで区切られた帰還困難区域
フェンスから帰還困難区域を見る
フェンスから帰還困難区域を見る
ガードレールとフェンスの左側は帰還困難区域で、避難指示解除の見通しは立っていない
ガードレールとフェンスの左側は帰還困難区域で、避難指示解除の見通しは立っていない
防護服を脱いでいるのは国の代理人ら。早期解除を目指すための安全アピールにも見える
防護服を脱いでいるのは国の代理人ら。早期解除を目指すための安全アピールにも見える

ところで、約1時間弱の検証後、裁判所と同行者が夜ノ森の桜のトンネルを抜けて戻るとき、奇妙な光景が見られた。裁判所、東電関係者、原告弁護団は防護服を着たままだったが、国の代理人らは白い防護服を脱いでダークスーツになっていたのだ。今回の検証では富岡町と浪江町が居住制限区域内の検証だったが、国が防護服を脱いだのは富岡町だけだった。

富岡町は2015年6月に策定した「災害復興計画(第二次)」の中で、早ければ2017年4月に帰還を開始する目標を掲げた。帰還困難区域を抱える自治体ではもっと早いグループになる。さらに現地検証直前の3月10日には「富岡町帰町計画」を発表し、目標をより具体化させている。一方で浪江町は、2016年3月をめどに避難指示解除の可否などを判断するとしている。

国は2017年3月までに、帰還困難区域を除いた避難指示区域をすべて解除することをめざしている(「原子力災害からの福島復興の加速に向けて」)。そのため国の代理人らは、富岡町の方針に配慮し、安全をアピールできるスーツ姿になったのかもしれない。

生業訴訟はこれまで16回の口頭弁論を実施。原告の本人尋問や専門家の意見陳述などによって被害の大きさを訴えてきたほか、地震・津波の専門家の証人尋問によって津波が予見できた可能性があることなどを主張してきた。その中で、被害の程度を立証するために現地検証の実施を重視していた。

現地検証は、浜通りだけでなく中通りでの実施も申し入れている。次回5月17日の口頭弁論で実施が決まる見通しだ。

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フリーランスライター

編集プロダクション、オーストラリアの邦人向けフリーペーパー編集部などを経て独立。1990年代半ばから自動車に関する環境、エネルギー問題を中心に取材し、カーグラフィックや日経トレンディ他に寄稿。技術的、文化的、経済的、環境的側面から自動車社会を俯瞰してきた。福島の原発事故発生以後は、事故収束作業や避難者の状況等を中心に取材中。ニコニコチャンネルなどでメルマガ配信。連載記事「不思議な裁判官人事」で「PEP(政策起業家プラットフォーム)ジャーナリズム大賞2022 特別賞」受賞。著作に「検証 福島原発事故・記者会見3~欺瞞の連鎖」(岩波書店)他。

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