快速〈ムーンライトながら〉3代目車両へ

快速〈ムーンライトながら〉初代車両、JR東海373系のヘッドマーク

189系(一部183系1000番代含む)から185系へ

快速〈ムーンライトながら〉初代車両、JR東海373系特急形電車。
快速〈ムーンライトながら〉初代車両、JR東海373系特急形電車。

臨時快速〈ムーンライトながら〉は、東海道本線東京―大垣間(JR東日本、JR東海)を結ぶ夜行列車である。かつて、定期列車はJR東海373系(初代車両)、臨時列車はJR東日本189系(2代目車両。一部183系1000番代含む)で運転されていたが、現在は後者のみ。青春18きっぷシーズン以外は、満席にならない日が多かったからだ。

10年間、臨時快速〈ムーンライトながら〉で活躍した2代目車両。
10年間、臨時快速〈ムーンライトながら〉で活躍した2代目車両。

さて、2003年夏から189系が「臨時快速〈ムーンライトながら91・92号〉」として、東海道の夜を駆け抜け10年が経過。2013年12月20日より、185系(3代目車両)に交代し、新しい時代に突入した。

185系特急形電車。特急から普通列車まで幅広い運用を前提とした異色の車両だ。
185系特急形電車。特急から普通列車まで幅広い運用を前提とした異色の車両だ。

185系は1981年に登場し、特急〈踊り子〉や〈湘南ライナー〉などで活躍している。耐寒耐雪構造などを施した185系200番代を含め、227両が製造されたが、2013年に入ると若干の廃車が発生した。

185系臨時快速〈ムーンライトながら〉のポイント

側扉(乗客が乗り降りするドア)が広い

通勤・通学輸送に対応するため、側扉の幅を広くした。
通勤・通学輸送に対応するため、側扉の幅を広くした。

185系は特急から普通列車まで幅広い運用をこなすため、側扉の幅を1000mmにした(185系が登場した当時の国鉄特急形車両は、700mmを標準としていた)。189系時代は1列乗降に対し、185系では2列乗降が可能だ。

客室とデッキの仕切りドアは自動で開閉

189系時代は、10号車を除き客室とデッキの仕切りドアは手動となっていた。ドアを閉めるとき、「ガチャン」という音をたてる人が多く、デッキ寄りに坐る乗客にとっては、不快だったと思う。私は乗客に不快な思いをさせないよう、いつもドアノブをひねったままドアを閉めていた。

185系の場合、客室とデッキの仕切りドアは、自動で開閉する(手動操作も可能)。「ガチャン」という不快な音がほぼなくなるので、快適性が向上し、客室デッキ寄りに坐る乗客のストレスが軽減すると思う。

全席リクライニングシート

185系のリクライニングシート。
185系のリクライニングシート。
189系の簡易リクライニングシート。座席背面にテーブルがない。
189系の簡易リクライニングシート。座席背面にテーブルがない。

189系時代、日によって2・3号車は簡易リクライニングシートの編成が充当されており、居住性はリクライニングシートより劣る。私は指定席料金510円で座席に格差がつくのは、納得いかなかった。

185系が登場したとき、普通車の座席は転換クロスシートだったが、現在は客室のリニューアルでリクライニングシートに更新され、居住性がアップした。ただし、暖房は吊り下げ式ではないので、足が伸ばせない難点がある。

4号車と5号車のあいだは車内の通り抜けができない

185系臨時快速〈ムーンライトながら〉は、4両車(1~4号車)+6両車(5~10号車)の10両編成で、4号車と5号車のあいだは車内の通り抜けができない。どちらも「クハ185形」という、貫通扉がない乗務員室つき車両だからだ。

下り列車の場合、定期運転の時代から終点大垣が近づくと、後方の車両から乗客が前方の車両へ移動する。終点大垣1番線に到着すると、大半は普通列車米原方面行きに乗り換えるため、隣の2番線に移動しなければならないからだ。階段、エスカレーターは、米原寄りしか設置しておらず、しかも乗り換え時間は5分なので、ほとんどの人が急ぎ足となる。

今回の場合、6両車に乗った乗客が前方へ移動すると、4号車から先へは行けない。岐阜停車中に6両車から4両車に乗り移る乗客が多いと思う。

一部の車両にはトイレ、洗面所がない

189系時代は、各車両にトイレ、洗面所があり、使い勝手がいい車両だった。ところが185系は、「モハ185形」にトイレ、洗面所がない。車両番号(例えば「モハ185-1」)については、車体側面の中央下部、客室のデッキ寄りに掲示しているので、確認することができる。

なお、トイレ、洗面所がない車両は、10両編成中3両(4両車は1両、6両車は2両)だ。

185系はどんな車両

185系は1981年に登場した特急形電車で、特急から普通列車まで幅広い運用を前提とした異色の車両だ。外観は今までの国鉄特急車にはない斬新なデザインが注目された。

同年春、急行〈伊豆〉でデビュー。同年10月1日のダイヤ改正で、特急〈あまぎ〉、急行〈伊豆〉〈修善寺〉をエル特急(現・特急)〈踊り子〉に統合した。当時のエル特急〈踊り子〉は185系を中心に、183系1000番代も充当されていた。

1982年、耐寒耐雪構造などを施した185系200番代が登場し、同年6月23日に〈新幹線リレー〉でデビューした。当時、東北新幹線は大宮―盛岡間が暫定開業し、都内方面の工事が遅れていたため、上野―大宮間に新幹線アクセス列車を設定したのだ。同年11月15日に上越新幹線が開業すると、エル特急(現・特急)〈あかぎ〉、エル特急〈谷川〉など運用を拡大した。